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2006年3月30日(木)

1日のはじまりはミルクから

まずホットミルク。そしてスープ皿にプリン、牛乳ゼリー、それからヨーグルトをこんもり盛り合わせる。全部、ぼくが昨日つくった。

これが今朝のわが家の朝ごはん。

僕はちょっとお腹が物足りないのでじゃがいもスープも追加する。これも、もちろんベースはミルクでできている。茹でたじゃがいもとよく炒めた玉ねぎを潰してペースト状に練り、牛乳でのばす。これは昨夜の晩飯の残りもの。

デザートにアイスクリームと思ったけど、さすがにギブアップ。

ミルクづくしに子供たちは嬉しそうだ。

きょうもミルキーな1日が始まった。

**********

午後10時、風呂上り、1日の締めくくりに牛乳アイスクリームをいただいた。僕が作った自家製バニラアイス。生乳を静置しておくと表面に10%ほど生クリームの層(バターの原料になる)が浮かび上がるんだけど、これをふんだんに使ったアイスクリームなのだ。これが格別うまい。うますぎる。

こうしてミルキーな1日が終わった。


2006年3月29日(水)

ミルクだらけの1日

昨日もらった20リットルの搾乳したての生乳を、きょうはせっせと加工する。こいつを材料にいろいろ作るのだ。

まず朝飯用にコーンクリームスープ。これは簡単、まあ朝飯前というところ。コーンの缶詰をミキサーでクリーム状にしてさらに生乳でのばし塩で味の調整をするだけ。固くなったゴーシュのパンをスティック状にしてスープのうえにのせて刻んで冷凍してあったパセリを軽くあしらって完成。

午前中に作ったのは定番の牛乳ゼリー。驚いたことに冷蔵庫で整置している間に表面5ミリほどに生クリームの層が浮かび出てきた。

掬って食べると、これがまたうまい・・・。これはバターの原料になる部分だ。

こうして牛乳ゼリーは4リットル完成。これが家族の昼ごはんになった。続いてプリン作りに移行する。

プリン作りには玉子を大量に使うし、砂糖の量も半端じゃない。生乳1ℓにつき200gもの砂糖を使う。すごいカロリーに、ちょっとビビった。もうすぐ2歳になる娘が足元をちょろちょろして危なっかしい。

それにしても、材料が加工前の生乳なので生クリームなどを混ぜる必要がないほど濃厚だ。よって生クリームは使わない。というか、表面に生クリームが浮いているから必要ない。

きょうは荒れ気味の天気で外は吹雪。プリンはオーブンで焼かずに大鍋で蒸した。そうやって大きなボールいっぱいに完成した洗面器プリンの荒熱取りは吹雪模様の外に出しておくだけでよかった。気温2度でちょうどいい。3時のおやつは家族全員で洗面器プリンに挑んだ。みんな嬉しそう。いちばん興奮しているのは妻だけど。

合間ではバニラアイスを作る。それからヨーグルト。これらは簡単だ。市販の明治ブルガリアヨーグルトから種をとって大量のブルガリアヨーグルトを増殖させるのだ。500ccあたり50gくらいのブルガリアヨーグルトをポンと落としてやり、30〜40度くらいに保ってやればいつの間にか完成する。

そのほかにもバターを作ろうとか、チーズとか、いろいろ考えたが、そうこうしているうちに20リットルはたちまち残り少なくなってしまった。

でもやっぱり、一番うまいのは冷えた牛乳をグビーと飲むときだ。

これに限る。


2006年3月28日(火)

牛乳の生産調整 

絞りたて生の牛乳をたくさんもらった。タンクで牛乳を貰うなんて初めてだ。

いま道内は牛乳の生産調整をしていて、これも捨てるしかないのだという。

「ちょうだい、ちょうだい!絶対、ぜ〜ったい頂戴ッ!」頼み込んでもらってきた。捨てるだなんて、せっかく乳を出してくれた牛に申し訳ないではないか。

僕は牛乳が大好きだ。スーパーに行けば毎回必ず牛乳を4本買う。ジュースやウーロン茶は滅多に飲まない。家では茶や水のかわりに牛乳をのむ。一度に1ℓ飲むこともある。だから痩せないんだけど、好きなんだからしょうがないのだ。毎度のことながら4本はあっと言う間になくなってしまう。

きょう貰った牛乳は20リットル。わ〜〜〜超・うれしい♪

これから牛乳プリン、牛乳アイス、バターにシチュー、ヨーグルト。いろいろ作るのだ。まずは沸かして飲むことから始めよう。何しろ酪農家から直接貰っちゃったのだ。めちゃくちゃ新鮮な生乳なのだ。滅多にいただけるものではない。

今朝搾乳されたばかりの新鮮な牛乳。上富良野産。

か、か、感動のうまさだ・・・。

まず沸かす。そして飲む。う・うまい・・・!

我が家は育ち盛りの三姉妹をふくむ5人家族。20リットルくらい、あっという間になくなってしまうだろう。

それにしても生産調整って何?捨てることが「調整」なの?もっと別のやり方ってないんだろうか。

素朴に思うのだ。もったいないって。なぜ?こんなにうまいのに。これを捨てちゃうなんて間違ってる。

みんなでもっと北海道の牛乳を飲もうぜ!こんなうまいもの捨てさせてはいけない!だっておかしいじゃないか。牛乳ファンとしては黙っていられない。

ストップ・ザ・生産調整!牛にモウしわけないぞ!

でもま、とりあえず牛乳20リットル貰ったことは素直に嬉しいんだけどネ。


2006年3月27日(月)

きょうの三段山 冬シーズン最後のツアーは激パウだった

天候:吹雪のち晴れ
風速:西の風やや強い
気温:-5℃前後
雪量:並
雪質:やや密度のあるパウダー&ウィンドクラスト&シュカブラ
新雪:10〜20センチ
備考:パウダーが期待できたので急遽参加募集したBCツアー

〈十勝岳の噴火活動〉

いつもと変わらず

 

好天を期待したのだが、予想に反して天候はイマイチだった。予定していた三峰山はあまりに視界が悪すぎて予定を変更する。きょうは三段山バリエーションルート、P斜面に照準を絞ってチャレンジすることにした。

P斜面というのは西の谷周辺部にあるロングバーンのひとつだ。ウィンドクラストのひどい日でも、ここは比較的よい状態であることが多い。

入山者少なく、アプローチに使う宮様スロープ(西ルート)はノートラックなのでラッセルになった。視界20mくらいの吹雪のなか、三段目のあたりで正面ルートから登ってきた人たちに出会った。僕たちはここからルートを逸れるため混乱されないように立ち止まってやりすごす。後続が絶えたことを確認してから移動を再開する。このあたりになると強風のために雪面は固く凍結しているからトレースが残らない。ガリガリとエッジが雪を削る。思った以上に天候が悪い。いっぽう正面ルートから登ってきた人たちは固い雪と吹雪のなかを勇敢にも三段山へと登っていった。僕らがルートから逸れていくのを気にして振り返る人がいるけど、僕らの姿はもうすぐ吹雪にかき消されるだろう。ほとんどの人は登ってきた道をそのまま滑るらしい。西へ下る人は少ない。

覚悟はしていたが上部はカリッカリの凍った雪だった。風にもまれて雪面が激しく波打っているので慎重に滑る。まるで整地のわるいゲレンデみたいだ。たまにズブッと吹き溜まりに刺さるのを恐怖に感じる。

こういうとき膝をグリッと捻ってしまいやすい。注意しないと。

お昼前、滑降のまえに風やみ待ちをしていたら俄かに視界が閃き始めた。思わぬタイミングで突如どど〜んと眼下に原生林が広がった。僕らはいまからこの原生林に飛び込んでいこうとしていたのだ。視界を得て僕らは狂喜した。まさに神様からのプレゼントじゃないか。

ひゃっほ〜!

歓声をあげて3人で次々に落下していく。雪は途中からいきなりパウダーに変わる。スプレーがあがり雪面に3本のきれいなシュプールが描かれていく。

さ、さ、最高だ・・・。

3人の男たちの脳味噌が溶けていく。

すっかり興奮してしまって再び登り返して滑りなおす。そのうち滑りつかれてボトム付近のダケカンバの下で自分たちのシュプールをみながら昼飯を食った。その間、誰もここを滑ってくることはなかった。ここは三段山屈指の名ルートなのに、ほとんど知られていない。

ああ空が晴れてきた。そろそろ帰ろう。

あとはJスロープをつないで白銀荘へ向かう。Jスロープでシュテムターンやら嘘っぽいジャンプターンなんかを試してみながらびゅんびゅん滑る。

雪質がいい。気持ちいい〜〜。

温泉尾根へと回りこんでノンストップで白銀荘の裏へとゴールイン。毎度のことながら登りは苦しいけれど、下りはほんと一瞬だった。

脳味噌とろけツアー。これで、この雪質で3月最終週なのだ。

あああああ・・・・・。やっぱり三段山ってすばらしい〜〜。

冬よカムバック!もっともっと滑っていたい。


2006年3月26日(日)

きょうの三段山 餅まきはいいねえ

天候:地吹雪のち吹雪
風速:南の強風
気温:0℃前後
雪量:並
雪質:湿った小麦粉
新雪:10〜20センチ
備考:う〜ん・・・。 

〈十勝岳の噴火活動〉

みえない

 

すごい風だ。正面からの吹き降ろし。地吹雪になって斜面を駆け下りてくる。

きょうは漢(オトコ)の日、挑戦者たちのツアーだ。地吹雪もなんのその、オトコたちは何事もなかったかのように白銀荘を出発する。変な雪質なんだけど、とりあえずシールの食いつきはいいみたいだ。よく滑るしよく登る。

納得のいくところまで行こうととりあえずは出発したのだが、正面からの地吹雪のため話をするのも煩わしい。口に風と雪が飛び込んできて痛いのだ。無言で登る。黙々と登るオトコたち。

全員がチャリダーという妙に濃いメンバーのためかペースが異常に早い。あっと言う間に西の谷ボトムに辿りついてしまう。20分くらいしか経っていない。

ウィンドパックと重たい湿り雪。それから所どころに妙に深いズブズブの腐れ雪が混じっている。面倒なのでお構いなしに滑っていくが、ときどき腐れ雪に板が捕まってしまう。それでもまあ何とかなる。僕のAKロケット、実によく走る。雪の表面を滑るというか、撫でるようにスッ飛んでいく。スピードが速すぎて僕が扱うにはいっぱいいっぱい。お〜怖ワ。もうちょっと柔らかいほうがいいな。

サヌーク(めちゃめちゃカッコいいテレマークスキー板)が欲しい・・・。なんでも販売は今年限りだったんだという。そんなこと知ったら余計に欲しくなっちゃったじゃないか。

白銀荘ではきょうも餅まきに参加した。冬シーズン最後の日を餅まきで締めくくるなんて、なんだかいい感じ。上々ではないか。

でも、なんだか滑り足りない。どんどん悪化する天気に押し戻されるように午前中で降りてきてしまったから、なおさら。このままでは気が収まらないのだ。

もうそろそろ帰省しなきゃいけないんだけど、もうちょっとこっちで滑っていたい。帰省すると家の行事である法事から始まって司法関係やら税金関係やら所有不動産の処遇などなど、ただでさえ面倒な仕事が僕のもとに殺到する。でも仕事よ!もう少し待っていて欲しい。オレは山で滑っていたいのだ。

やっぱりここは最高だと思う。

明日は天気が回復しそう。ほんとうは北海道をあとにして帰省の旅に出発する予定だったんだけど、どうしよう?やっぱり山に向かってしまうかもしれない。

家に帰ると「漏電」騒ぎが勃発していた。妻が何事かやらかしたらしい。この調子では当分、帰省なんかできそうもない。

あああああ・・・・・。山にでも行くか。


2006年3月25日(土)

きょうの三段山 最後のパウダー

天候:雪のち晴れ
風速:北西弱い
気温:0℃前後
雪量:並
雪質:サクッとしたやや大粒のパウダー
新雪:20センチくらい
備考:癖がなく素晴らしい雪質

〈十勝岳の噴火活動〉

白い蒸気がふわふわ

朝はおそろしく視界が悪かった。天気の回復を信じて出発する。

よく締まった雪に十数センチの新雪が積もった状態で、視界が悪いせいか僕ら以外の入山者はいない。さくさくと登る。

出発して20分ほどして後ろを振り向くと、いつの間にか参加者が増えている。あれれ?ついてきちゃった一般の人がいるのだ。毎度のことながらこういう場合とても困る。とりあえずツアーは強制休憩に入り、その人たちには先に行ってもらうことにする。冷たい対応とは知りつつも、やはり連れていくわけにはいかない。どうかご理解をいただきたい。

中高年と思われるスノーシューの二人連れ、一人は荷物なし、一人は小さなリュックひとつ。ビーコンもスコップも何もなし。無邪気といえばそれまでだけど頭を抱えてしまう。まあ、いいんだけど。そういう人に進言して逆ギレされて酷い目に遭ったことがあるから、それ以来僕は何も言わないことにしている。知らんぷりと無関心が一番。そういうのは良くないと思いつつも、そうせざるを得ない。世知辛い世の中になったものだ。

それにしても雪がいい。3月下旬だよ下旬。あと1週間で4月なのに。

シャキシャキのパウダーだ。素晴らしすぎる。曇っていて日差しが雪面を照らさない限り、きょう1日は雪質が保てそうだ。晴れるなよ、三段山。

火口付近を滑ったあと、あまりの雪質の良さに耐えられなくなったU田組は西の谷をぐいぐい登って頂上至近の稜線まで登ってしまったらしい。尾根に伸びるロングバーンを存分に楽しんだという。落差は数百メートル、これはこたえられない。脳味噌が溶けてしまう。

白銀荘に下山するとお祭りをやっていた。僕らは餅まきに照準を絞って全員で参加した。いつの間にか空は晴れ渡り、快晴になっていた。真っ白な雪山が眩しい。美瑛岳の峻峰からは1本の白い筋が青空に延びていた。

紅白のお餅をたくさん拾って大満足な1日。お餅ってなんだかとっても嬉しい♪

これほど上質のパウダーは今シーズン最後になるだろうか。

三段山よ、今シーズンもパウダーをたくさんありがとう。お餅を食べながらシーズンを振り返ると、楽しかったことばかりが蘇るのだ。


2006年3月24日(金)

霊感とか

怖い話でもしようか。春なんだし。

なんちゃって。

実は僕には霊感がある。いきなり唐突だけど、あるんだから仕方ない。なんちゅうか、いろんなことがわかっちゃうという、時に迷惑な、ちょっと困った「勘」なんかもある。こういうのはけっこう邪魔なこともあるけどまあ、ずっと長い付き合いだから。

いわゆる幽霊なんかに遭うこともまれにある。というか、過去に何度か遭ったことがある。信じない人も多い「幽霊」だけど、これは遭ったことがある人にしかわからないものだと思う。

幽霊。いろいろあるが、意外とこれは怖くない。人のほうが怖い。

ま、そんなことはどうでもいいや。

ま、霊感と幽霊の話は似ているようで全然違うんだけど、きょう妻とそんな類の話になった。物事には偶然と必然があるということ。ま、ちょっとややこしい話なのでやめとこう。

妻にもまた霊感があるから、こういうとき2人は気が合う。霊感のない人ならば馬鹿にするんだろうけど、それはあくまで「知らない世界」だからだろう。僕らはけっこう普通にこの話題を口にする。言っとくけどオバケ夫婦じゃないぞ。

続いて法事の話になった。長男夫婦である僕らには本家の祭祀という先祖代々から脈々と引き継がれている古ぅ〜いお勤めがある。僕のうちは神道で、奉る神も決まっている。これから先の本家の 祭事(仏教でいう法事のこと)を、どこの神社にお願いするかを相談していてそういう話になった。 神道の場合は寺ではなく神社に祝詞をお願いするんだけど、仏教の場合はお寺によって浄土宗などの宗派があるように神社であればどこでもいいというわけではない。おまけに北海道には宮司がいる神社がとても少ない。

「○○神社に神様はおらんで。何も感じん。たぶんカラとちゃうか?」と、僕。

「ええ!そんなことないよう。わたしときどきフラッと行くもん」と、妻。

「ほんまかいな。で、どこからの分祀なんやろか。」

「△△らしいよ」

「ああ、そんならオレにはわからんはずやわ。うちは八幡宮やからな。おまえんちは陰陽師の系統やもんな」 妻の実家もまた古い神道の家系なのだ。

「ようわからんけど、本家のマサオおじさんならわかると思う」

??? 普通な皆様にはわからない話題だろう。

そのとき僕らは神社に神様の存在を感じるかどうかを議論していたのだ。

小さなお宮様や道祖神があるとする。全然興味のわかないモノも多いけれど、どうしても素通りできないものもある。なんとなく気になるのだ。

引きつける「何か」を感じる。例えるならば誰かの視線を感じるときのような、あの感覚だ。

そんなときは10円玉をおき、神々にそっと手を合わせることにしている。


2006年3月23日(木)

はしゃぐな! 「爆弾低気圧突入作戦」の反省

3月21日付のガイド日誌について、僕は反省しきりだ。

よりによって「爆弾低気圧突入作戦」なるサブタイトルまでつけてしまって、ガキのように自分の行動にはしゃいでしまった。

こういうことはプロのすることではない。

プライベートのときはいいのだ。自分に責任をもてばそれでいい。仲間の安全に心配がなければ、いつもよりも限界点の高い行動もできる。悪天候下での突入も自己責任だからまあいいだろう。

あとあと話題としても面白いから。

しかしガイド業務のときはちょっとワケが違う。僕はけっこう簡単にツアーの中止を決めてしまう。これを不満に思う人はきっと多いことと思うが、かといって どうにもならない。

100%安全だと確信できなければ営業ツアーをやってはいけない。僕は今年、冬山ガイド総日数が500日を超えた。この間には実にいろんなことがあって例をあげるとキリがないけれど、 過去のトラブルは決まって何かしら「無理」をした日に発生した。「無理をした」とはいっても安全を確信したうえで行動しているわけだから、それでも小さなトラブルは起こっているというわけだ。当然、小さなトラブルは大きなトラブル発生の起爆剤になる。油断はできない。

たった500日の冬山経験だけれど、わずかながら見えてくる「統計」的なこと。それは漠然としているけれど、概ね悪天候のときは無理をしてはいけないということに尽きる。「突入作戦」など、もってのほかだ。話題として面白いかもしれないけれどプロの仕事ではない。プロガイドならば少々の悪天候でも実施できるだろうという人がいるが、残念ながら実際にはその逆 でふつう我々は慎重に仕事をする。山仲間たちと滑るバックカントリーツアーとガイドツアーを混同することはできない。

行動には常に「余裕」が必要なんだけどプライベートと違ってガイド業務の際は何が原因でこの「余裕」(体力や精神力)を消耗することになるか予測がつかない。深い雪や 悪天候ならばまだいい。特に予測がつかないのは「人」に関わるケースの対応。両方ということもある。ツアーが終わったらぐったりしてしまった・・・、など決して珍しいことではない。こういうときにビバークという事態を招いたならば、生きて帰れないかもしれない。

雪崩など自然の脅威も怖いけれど、世の中、やはり人がいちばん怖い。

少し話が逸れてしまった。

いっぽう、プロガイドにはいろいろと事情もある。日本のほとんどのプロガイド、おそらく9割以上は山岳ガイド収入だけでは生活に窮しているという事情。生活のため兼業している人がほとんどだ。目の前のお金がほしいから迂闊に中止できないという事情。現地まで行って引き返すというのは胃袋がひっくり返るくらい辛いことに違いない。だから何かしら理由をつけてツアーを実施に導いてしまう。そしてお客さんもそのほうが喜ぶから、やはりそうする。そこにあるジレンマが僕には痛いほどよくわかる。

悪天候でも実施してしまうガイドがいるが、そこからは「正直、お金がほしい」という切実な台所事情が垣間見える。背に腹は替えられない。 それに、貴重な休日を賭けてやってきたお客さんも中止の一言だけでは収まらないだろう。だからつい、両者一致のもとに実施に動いてしまうのだ。

若いガイドや経験の少ないガイドほどその傾向が顕著だ。まだ痛い目に遭っていない彼らががむしゃらにやっているのを見かけることがあるが、彼らだって何も悪天候が好きなわけではないはずだ。

しかしながら、無茶を承知で我々がもう一度胸に刻まなければいけないこと。それはプロガイドは生活のために仕事をしてはいけないということ。もしプロガイドを続けていきたいならば、別に確実な収入の道をもつことだ。そうしなければ正しい判断ができなくなる。無理をして、悪天候を突っ込んでしまう。

綺麗ごとだけではこの仕事はできない。

山岳ガイドは自身のイカしたライフワークであって商売ではないと割り切ろう。山岳ガイドだけで食っていくということは命の切り売りみたいなものだ。

ほとんどのガイドツアー事故の原因の根底はここにあると思う。無理をして強行してしまったために事故を起こす。ごく最近の八方尾根の事故も上記の動機からであろう小さな無理が垣間見える。あの亡くなったガイドは下山時にごく小さなミスを起こしたが、それは通常であれば難なくリカバリーできる程度のものだ。ただ、根本的に、あの日の気象状況で中高年の初級参加者を連れて山頂を踏もうとしたのはやはり無理があったと思わざるを得ない。プライベートであれば難のないリカバリーも 営業ツアーではどうにもならない。決死の突入作戦を実行してしまったのだ。

ただ、あの人のその後の行動は賞賛に値すると思う。最善を尽くし参加者を守りながら亡くなっていった。日本中のプロガイドが明日の自分自身を重ねた事故だったのではないだろうか。

以上は、自分自身に向けて書いた。なかに多少、ドンM氏の引用があることをご勘弁いただきたい。

 

「ただまあ、言える事はガイドは金を稼ぎ出す手段ではなく、そういう生き方だということだ。命がけで経験を積み、その力を持って社会参加するんだけど人からはいつも遊んでいるみたいに思われる。割に合わない仕事だという事だ。そして「好きだから」で納得するしかない。」 ドンM氏引用

 

山岳ガイドという生き方。かっこいいではないか。


2006年3月22日(水)

いつもの携帯電話が海外でも使えるけれど・・・。

現実はかなり厳しい。

僕が使うボーダフォンは通信がいったん日本を経由する。だからアンカラで明日のイスタンブールの宿を予約しようと電話をしたら、その通信は日本へ飛び、それからイスタンブールに返ってくる。ものすごい長旅をしているわけだ。これは市内通話でも同じことで、カルカッタ市内から同じ市内に住む友人に電話をしてもいったん日本を経由するから国際通話になる。

メールも同じだ。

すべてが国際通話になるわけだから、当然日本に帰ってきてからの請求書がものすごいことになってしまう。

僕はやられた。昨秋のニュージーランド一周MTB旅のとき、ほぼ毎日のようにインターネットをつかって天気をチェックした。電話が高いことは知っていたから利用しなかったが、メールとインターネットには無警戒だったのだ。

まず、ヤフー世界の天気にアクセス、これでまず100円。それから都市を選択してクリック、また100円。戻るをクリック、またまた100円。さらに詳しくニュージーランド国内の気象サイトもチェック。周辺3都市をクリックするから3×100円。天気図をクリック、またまた100円。週間天気をクリック、またまた・・・・。(中略)・・・。1日1000円近いことも珍しくはなかったと思う。

国内サイトだからと安心してはいけない。僕のボーダフォンはいったん日本を経由するからすべて国際通信になっているのだ。ちなみにNTTでもKDDIでも同じ仕組みになっている。

ついでだからメールの話。日本から飛んでくるメールはまだいいのだが、こちらから出すメールはおそろしく高くつく。1通100円〜200円。さらに着信にも料金が加算される。メールをもらうだけで1通100円というから驚きだ。

日本に帰ってからしばらくして届いた請求書をみて僕は目を疑った。

・・・!とりあえず、気絶した。

旅の途中、僕はギリギリの節約で頑張ったつもりだ。その努力がすべて水の泡になったから、これは辛い。1日20〜30N$(2000円前後)という予算で2ヶ月近くを過ごすのはけっこう大変だったのに、通信に1日20N$以上も使っていたなんて・・・。それも天気予報のチェックに・・・。

年末に届いた11月分の請求書、75360円。半分が気象情報のインターネット通信料で半分が家族とのメール。これを知ってふたたび気絶。

みなさん、国に帰ってから気絶しないためにも国際ローミングサービスは利用しないほうがいいです。すでに対応機種をお持ちの方、それはあくまで緊急用とすること、決して電話をかけたりメールを打ってはいけません。ましてインターネットなんて!1クリック100円、ゆめゆめお忘れなきよう。

レンタルが安いです。現地の空港で契約できるし日本でも買えます。


2006年3月21日(火)

きょうの三段山 爆弾低気圧突入作戦

天候:吹雪
風速:北西の強風
気温:−5℃前後
雪量:並
雪質:湿気た小麦粉のよう
新雪:50センチくらい
備考:う〜んと唸るような微妙な雪

〈十勝岳の噴火活動〉

見えない

3月21日午前6時の天気図

車は山を目指す。上富良野の町をすぎ雪はますます激しい。空はどんどん暗くなっていくのに同行のテレマーカーT史とSちゃんは嬉しそう。パウダージャンキーは低気圧が好きなのだ。

標高をあげるにしたがい雪は猛烈な風を伴うようになる。視界が悪い。道は雪に半分埋もれ狭くなっている。

白銀荘分岐を左に曲がってびっくり!富良野岳への登山口、バーデン前駐車場がなんと満車状態!君たち!なぜ?こんな日に?(おまえもだろー!)

パウダージャンキーたちは大雪を降らせる爆弾低気圧を待っていたのだ。

白銀荘の駐車場は閑散としている。こんな天気なのに先行入山が3組、彼らが行くであろうルートを外して別の斜面に向かう。ラッセルしながら黙々と登る。標高が増すと風が強くなり木々が軋む不気味な音が森に響き渡る。視界も極端に悪化する。それにしても体に当たる風が痛い。たまらなくなって樹林に隠れるようにフリコ沢へと滑降した。

しかし、滑らない・・・。AKロケットがズブズブ・・・湿った小麦粉のような雪にスキー板が沈没する。パウダーではない、妙な雪質だ。風のいたずらだろう。

午前中はやられっぱなしだった。大きなエゾマツの枝の下に潜りこんで飯を食い、リベンジを賭けてJスロープを目指す。いまだ雪も風も止む気配はない。

ラッセルに苦労しながらふたたび白銀荘前に戻り、ふたたび登る。T史の先行ラッセルで宮様西ルートを登り切って吹上露天沢の源頭に入り、樹林帯への滑降を開始する。ああ、いやいや下りもラッセルだ。これは辛い・・・。

Jルートに入る。そこそこ斜度もあるから滑るけれど、雪質が邪魔をする。AKロケットが小麦粉雪の表面に躍り出る。後ろ足のエッジが切れてカーブを描き出す。しかし、思ったようなターンにはならない。イマイチだ・・・。

K2アセントのSちゃんは板が埋もれてしまうらしい。苦労しながらトップをたてているのがわかる。ワークスティンクスのT史は板が浮いている。きょうの雪、どうやら勝敗のカギは板の太さにあったらしい。きょうの雪を攻略するためにはトップ120以上が必要なのだろう。

午後2時半に下山。吹雪はいまだ衰えず。いやあ修行だった・・・。


2006年3月20日(月)

爆弾低気圧の来襲

天候:雪
風速:北西の強風
気温:0℃前後
雪量:並
雪質:湿り雪
新雪:どんどん増加中
備考:

〈十勝岳の噴火活動〉

もちろんみえない

 

きょうは北海道上空と東北沖にある二つの低気圧が合体して巨大低気圧になるらしい。中心気圧は960hpaというから台風並みの爆弾低気圧だ。

ツアーはもちろん中止。外出もしない。

午前早々に北海道西部日本海側のほぼ全域と南部、それから網走地方に暴風雪警報が発せられる。まもなく上川地方(このあたり)にも警報が・・・と、思っていた。なにしろ上空には台風並みの低気圧があるから。

ところが・・・。

警報どころか風はおだやかだ。雪がしんしんと降り続いている。どんどん積もる。おおお、これはいいんじゃない?明日からの山は期待できそう。

十勝連峰は激パウになるだろうか。とりあえず、明日は山に行ってみよう。今シーズン最後のオーバーヘッドパウダーになるかもしれない。

さいきん雪質は一晩で劇的に変化するから積もった直後でなければパウダーを期待するのは難しいと思う。相変わらず天気予報はよくないけれど、あれこれ心配するよりは行ってみるに限る。

ダメでもともと。とりあえず明日はいちばん太い板をもって山へGO!


2006年3月19日(日)

きょうの・・・・山。  雨のち激パウ

天候:雨のち雪
風速:北西の強風
気温:0℃前後
雪量:並
雪質:氷&ザラメのち激パウ
新雪:すべすべの新雪
備考:

〈十勝岳の噴火活動〉

みえない

 

発達中の低気圧が近づいていた。こんな日に山に行くのはやばい。

早々に中止をきめる。あ、いやいや、「十勝岳連峰へ行く営業ツアーは中止」ということで、ガイドの山小屋の車は別の山に向かう。ガイド契約内容とは違う行動なので、みんなには「あくまで僕の休日についてくる 、ということ」と説明する。だからお金はもらわない。もらうと「契約関係」が成立するので面倒だ。これならば、きょうは気を遣う必要はない。いたって気楽、素のままの休日の僕。

結局、全員がやってきた。では行こうか。

やばい空模様はかわらない。それどころか雨が降り出す。雨はしとしと降り続いている。車内には早くも沈黙が訪れる。雨のなか1時間以上の沈痛なドライブの末に、ようやく目的地の山麓に着いた。ところが・・・

「ドドドドザザザザー」

途端にバケツを引っくり返したような大粒のドシャ降りの雨になった。おいおい、ドシャ降りかよ〜。さすがにドシャ降りでは手の施しようがない。 タダだしお得だし他にすることないし〜と思って僕についてきちゃった皆もあきらかに後悔の色をにじませている。 広がる「なんとかしろよ」の雰囲気。しかし僕は静かに反抗するのだ。きょうはガイドじゃないもん。知らねーよ。

きょうはあくまでプライベートなので素知らぬ顔で車をおりて支度をはじめる。みんなも嫌々車から出てくる。 パウダージャンキーのT史とSちゃんはヤル気満々だけど他のメンバーはあきらかに狼狽している。僕は場の空気に気付かないフリをする。すると間もなく雨が雪にかわった。どうやら前線は通過したらしい。場の空気は安堵にかわった。正直、僕もホッとした。このままでは袋叩きに遭いかねない雰囲気だったから。

山頂付近は強い風と横殴りの雪。視界は10mくらいで真っ白。気温は徐々に下がり始める。最初は氷のようだったガリガリ斜面もやがて表面にカタクリ粉をまぶしたような状態にかわりつつある。んんん、いいかもしれない。

雪は激しい。どんどん積もっていく。午後になって稜線から西へと降りていく林間にはすでにパウダーがたっぷり積もっていた。シャキシャキした雪にみんな興奮する。パウダーに板が浮き、エッジがパウダースプレーを巻き上げる。やった〜!宝の山だ〜!

午後4時、名残りを惜しみながら下山する。激しい雪は突如終息して、あれよあれよという間に晴れ間が広がり始める。みるみる眼下の平野の眺望が開けてきた。西の空は夕焼けで染まりはじめる。振り返ると山頂付近の背景には青空が広がっている。

昨日は妖怪の山。きょうは・・・。神は僕らを見捨ててはいなかった。すばらしい・・・。空と大地の神(カムイ)に感謝。

たまには十勝岳連峰を出てみるのも悪くない。


2006年3月18日(土)

きょうの三段山 山は妖怪だらけ

天候:薄曇り
風速:南西の風、稜線ではやや強く
気温:+5℃前後
雪量:並
雪質:パック、シュカブラ、モナカ、氷、重い湿雪、悪雪のフルコース
新雪:そんなものはない
備考:入山者多し 

〈十勝岳の噴火活動〉

白い噴煙がふわふわ

 

まいった。

まずはアイスバーンになり損なったようなハードなモナカ雪から登りが始まる。厚さ10センチのクランキーな氷の層が表面を覆っているのだ。強く踏むとスキーのまわりだけ雪面が割れる。出発時からすでにヤバさ満載の1日を予感させる。

そしてきょうも暑い。湿った空気がねっとりまとわりつく。

稜線に出ると風がでてきた。明日は荒れそうだというが、すでに兆候が現われつつある。太陽の日差しを傘が覆い、山並みは気味の悪い白いシルエットをくっきり浮かび上がらせる。

なんか嫌な感じ。

思ったとおり下りはスキー修行になる。ハードなモナカをバランスに神経をすり減らしながら滑る。氷を割りながらバリバリ音をたてながら滑る。なんか砕氷船みたい。おまけにときどき、板が勝手に暴走する。

まあ、欲を出さなければなんとかなるものだが、ターンをしようと板にストレスをかけた途端に吹っ飛んでしまうから怖ろしい。こんな日は三段山には妖怪が現われるという。雪面に突然「妖怪の手」がにゅっと出現してスキーをする人の足を掴むのだ。

「妖怪板つかみ」 春の三段山の怪現象としてあまりにも有名なのだ。

まっすぐ滑っていても、ときどき妖怪の手が僕のスキー板を掴もうとする。なんとか逃げまわってみたけれど、後ろに続くみんなは

「ギャー!」とか、「ぐわ!」とか、声にもならない呻きを発している。

どうやら妖怪の餌食になっているらしい。

湿った重雪にアイスバーン、シュカブラと、きょうは一瞬たりとも油断がならない。林間ですら妖怪が潜んでいる始末。山麓の穏やかな春の森ではエゾリスやクマゲラ、ホシガラスなど、きょう1日で野生動物にたくさん出会えたのだが、ついでにあらゆる妖怪にも出会ってしまうのだ。

きょうの三段山は妖怪だらけのホラーな山だった。


2006年3月17日(金)

きょうの美瑛の丘

天候:快晴
風速:南の微風
気温:+5℃〜+10℃
雪量:60センチくらい
雪質:腐れ雪
新雪:そんなものはない
備考:雪解けでドロドロ 

〈十勝岳の噴火活動〉

白い噴煙がふわふわ

 

それにしても暑い。暑すぎる。

昨日もきょうもお天気で気温がぐんぐん上がる。美瑛の丘陵地帯はどこもかしこも真っ黒になった。どこの畑もさかんに融雪剤を散布しているためだ。どれくらい豪快に散布できるのかを農家ごとに競っているように見える。

月末ごろには気の早いトラクターが畑を耕しはじめるだろう。

鳥がさえずりながら木々の間を飛びながら遊んでいる。春を喜んでいる。

道路はアスファルトが現われて雪道ではない。町では自転車の姿を見かけることも多くなった。たまに真冬でもお年寄りが自転車に乗っているのを見ることがあって驚くんだけど、いまはもう不自然ではなくなった。

僕はきょう外出していたんだけど、ずっとTシャツだった。ときどきヤッケを羽織っただけだ。エアコンを買いに旭川に行っていた。春はエアコンが安い。昨年の機種が5万円を切る今が買いってとこ。

エアコン?そう、エアコン。最近あついから。

 

冬は終わったのだ。


2006年3月16日(木)

きょうの三段山 三段山剣道部

天候:薄曇り
風速:南の風弱い
気温:0℃〜+5℃
雪量:平年並み
雪質:湿った重たい雪
新雪:10〜50センチ
備考:重たくて、場所によっては深い。難しい春の雪

〈十勝岳の噴火活動〉

白い蒸気が活発

 

昨日までしばらく、ぐずついた天気が続いていた。雪もけっこう積もったし気温も低かった。これは、ヤマはいいかもしれない。

今朝はお天気もいい。もちろん雪質も期待して出かけた。

それにしても気温が異常に高い。肌がじんわりするような湿った暖かさを感じる。北海道ではないみたいな空気の感触。空はいちおう晴れているのだが、白くモヤがかかったような不気味な晴れだ。遠い暑寒別の山々がくっきり見えている。よく大荒れの天気の前日はこういう日があるのだが、天気予報は明日も快晴を告げている。にわかには信じられない。

湿った暖かい空気と高曇り。白い空にくっきり浮き出た十勝連峰の山並み。荒れる天気の前触れのような条件がすべて揃っている。

明日、快晴?ほんとかな?

山には前夜からすでに暖気が入り込んでいたようで雪質は思った以上に悪い。重たい春の雪がずっしり積もっていてラッセルが辛い。固く締まりかかった重雪を漕いで進むと数百m進むだけで汗が噴き出した。雪はあまり深いわけではないのだ。せいぜい膝くらいなのだけど、固くて重い。湿り気があって、スキーの抜けも悪い。けっこう地味に苦戦する。

それでも林間はいくぶん雪質もマシで滑りも楽しかった。

富良野岳にも2〜3人のBCスキーヤーがいて滑っている様子がよく見える。三段山を西から東に横断すると十勝岳方面に出てくるが、十勝岳の斜面にも2人のBCスキーヤーの姿が見える。あとで判ったことだけど、どちらも知り合いだった。晴れの天気予報に惹かれてやってきたのだろう。

スキーは小学1年生以来なのだというスーパー初心者を含む4人のツアーは思いのほか順調で、けっこうなペースで三段山を横断して滑りきった。スキーってある程度の上手や下手はあるけれど、過去に一度でも滑ったことがあると何年、何十年経過して久しぶりにスキーを履いたとしても滑れるものらしい。そういう点は自転車に似ていると思う。小学1年生以来はじめてスキーを履いたという大学生の女の子は、ちょっと心配だったんだけれど全然問題なかった。

余談だけど、僕を含めて5人のうち3人が剣道部出身だった。僕が初段でランク最低。千葉の男性が2段、スーパー初心者の大阪の大学生の女の子がなんと3段。これが判明した時点で立場が逆転。僕は彼女を「先輩」と呼んだ。先輩は現在アラビア語を専攻し、将来は鍼灸師になるのが夢なんだという。

それにしても雪山で剣道の話をするとは珍しい。


2006年3月15日(水)

美瑛川のイワナたち

トムラウシ山の西に生まれた細流は白金温泉をとおり、美瑛の町を貫き、里山の谷や牧場の合間を縫って旭川市内で石狩川へと合流する。さほど水量の多い川ではなくマイナーな川だけど、なかなか自然ゆたかな川だ。

白金温泉付近で温泉などの火山性副産物質が多く流入するので中流以降に魚は少ないが、白金温泉より上流は純粋な自然河川なのでイワナなどが多く生息する。林道の終点から1時間も歩くと釣り糸を垂らして待つ暇も与えられないほどにイワナたちが釣り針めざして挑みかかる。そんな川だ。

登山道はなく林道も白金温泉から先でほどなく途切れている。また、この流域にはヒグマが多く生息するため入山は困難を極める。もし難を受けたとしても助けを期待することはできない。そのおかげで自然の姿をいまに留めているのかもしれない。

この川が近年、激変しつつある。

十勝岳は30年周期で爆発を起こす活発な活火山で、その流域の主要河川には「噴火土石流災害防止」の名目で国の予算でもって多額のお金が降り注がれる。大正年間のような災害を防ぐために流域に巨大な砂防ダムなどが建設されているのだが、近い将来に必ずやってくるであろう大噴火のとき、これらは流域に住む人たちの財産や生命をきっと守ってくれることと思う。

しかし、だ。

白金温泉からさらに上流、そこに噴火土石流はやってこない。十勝岳とは離れている。

もちろんトムラウシやオプタテシケが噴火することが絶対ないとは言い切れないが、それはいったいいつのことだろう?何千年先?

美瑛川源流域で進む河川改良工事や巨大砂防ダムはいったい何のために作られているのだろう?このあたりは大雪山の原生林に囲まれ、舗装道路からも離れているので人々の目には留まりにくい。よって、それに異論を唱える人は極めて少ないだろう。工事はやりやすいはずだ。

数年前まで僕が釣り糸を垂らして晩御飯のおかずを得ていた細流はいま悲惨な姿になっている。グラウンドのように広げられ白い無機質なコンクリートの堰堤が自由な流れを遮る。見る者に与える印象は川の「死」そのものだ。

イワナはいなくなってしまった。

そういう工事はこれから先もどんどん上流に伸びていく傾向がある。美瑛川だけではない、近接する細い沢に至るまで、砂防堰堤工事が進められている。何のためなのかはよくわからない。ただ、工事が完了したあとの現場には決まって疲弊した森や瀕死の川の姿がある。

こんなことを繰り返していたら近いうちに日本は滅びてしまうに違いない。

激減していくイワナたちをみていてそう思う。


2006年3月14日(火)

長沼ジンギスカン

先日、札幌の友人が長沼ジンギスカン1キロをお土産に持ってきてくれた。肉が1キロ!彼は実にツボを心得ている。肉が1キロ!気持ちいいではないか。肉1キロ!う〜ん、たまんないねえ。この、「キロ」というところが男らしくていいではないか。

長沼ジンギスカンといえば何といっても肉の柔らかさに定評があると思う。甘辛いタレは滲みすぎず、安易に肉に絡みすぎない。絡みすぎるタレは焼いたときに鍋を焦がすから、意外と厄介なのだ。

分厚い南部鉄のジンギスカン鍋をカセットコンロにかけて中火で焼き始める。たちまちウマそうな脂が鍋の溝を伝って流れ出る。

あああ、この脂を飲みたい・・・。

表面に軽く焦げ目がついたら、すばやく返す。裏面も軽く炙るくらいでいい。焼きすぎると固くなって、せっかくの柔らかお肉が勿体無いことになってしまう。

焼き始めて3分、みんなの箸が一斉に鍋の頂上を目指して突き刺さる。ここで遅れをとってはいけない。

部屋はたちまち甘辛い煙で充満する。2階にある我が家のリビングはすっかりジンギスカンの煙でいっぱい。片隅に洗濯物などを干しているのだけど、すっかりスモーク・タオル、スモーク・Tシャツ、スモーク・フリース・・・。みんなスモークされていいかんじ。

しかし、これくらいのことで構ってなんかいられない。誰もがいま1キロの肉の争奪戦に忙しい。砂肝もササミも用意してあるのだけど、みんなの目当てはやっぱり長沼ジンギスカンなのだ。柔らかくて甘い、とろけるようなお肉・・・。肉ってやっぱり、ス・テ・キ♪

風呂上り、ジンギスカン臭いタオルで髪を拭きながら妻がこう言った。

「ね、これからは外でジンギスカンやろうよ」

我が家の2階はこれから当分の間、甘辛い幸せの匂いで満ちている。これならば匂いをオカズにしてメシが食える。

外でジンギスカンもいいけど、家のなかも悪くない。


2006年3月13日(月)

融雪剤と黄砂と税金と 美瑛の丘には春の兆し

ここ数日、お天気はグズつき気味。春に3日の晴れなしというけれど3日どころか晴れ間は2日と持たない。そして雪だけではなく雨も降るようになった。

先日の雨は黄砂混じりだった。だからいま雪原は真っ白ではなく、どこか黄色い。また、あちこちの畑では融雪剤を散布しはじめた。真っ黒な粉で雪原一面に模様が描き出される。しかし模様が美しいのは散布直後だけで、あとはただの灰色になる。美瑛の灰色の丘。雪原の一部はもはや銀世界ではなくなった。

灰色と黄色、それから白。

融雪剤の散布が始まったということは、いよいよ今年も畑作業が始まったということで、あと2ヶ月もすればアスパラガスの収穫が始まるし、そこらへんの道端にもいろんな野の花が咲き乱れるようになるだろう。

やっぱりもう春なのだ。

このあたりでは道端やそこらへんの野原でも山菜が多く採れる。ウドやタラの芽はもちろん、フキやツクシに至っては採られるよりも生える量のほうが断然莫大なので食べ放題なのだ。ヒャッホ〜!!

きょうのツアーは久しぶりに外国人ばかりだった。1ヵ月半ぶりのことだ。当たり前のように英語でガイドしようとしたところ、久しぶりだったせいか英語が口をついて出てこない。焦ると余計ダメで、すっかり中学1年生レベルにまで落ちてしまった。ほとんどディス・イズ・ア・ペンくらいのレベル。・・・半泣きになった。

3ヶ月前の俺はどこへ行っちゃったんだろう?

妻にこのことを話したら露骨に嫌な顔をされた。使えない男はキライなのだ。

やはり英語は日常的に使っていないと、どんどんダメになる。急に思い立ち、この春は帰省などそこそこにして、ちょっくら外国に行ってこようかと思い立つ。教材で勉強するよりもNOVAに通うよりも個人旅行で単身外国に飛び出すほうが強烈な刺激になり即効性がある。ただし、即効性はあっても長続きしないんだけれど。僕をみてくれ。もとの英語ダメダメ人間に戻ってしまったじゃないか。

それでもHISの格安チケット情報などを眺めてみる。台北往復が29800円。南米でもカナダ経由ならば7万円くらい。10万円あればカラファテにだって行けるかもしれない。

う〜ん、帰省よりも安いではないか。もちろん英会話学校の入学金よりも。

ただ、「行きたいと思う」だけできっと実際には行かないだろう。だって春は税金の季節だから。冬の収入は税金でほとんど持っていかれるから。

春はつらい。気分もまた灰色といったところ。


2006年3月12日(日)

きょうの三段山  美瑛岳山麓

天候:くもり
風速:南西風やや強く
気温:0℃前後
雪量:平年並み
雪質:湿った雪
新雪:20センチ
備考:すでに腐り雪直前だが滑りはいい

〈十勝岳の噴火活動〉

みえない

 

前夜まで雨が降っていた。この日も決して良い天気とはいえないようだ。

美瑛岳山麓は原生林に囲まれていて、樹林よって風雪から守ってもらえる。この日は美瑛岳山麓へ向かうことにする。

すでにスノーシューのパーティが先行しているようでアバレ沢に沿って足跡が続いていた。途中まで足跡を辿るが、飽きたので森のなかに入り、自分でルートを刻む。他人の足跡を辿るのは楽でいいけれど、どうしても物足りない。

森のなかには人の気配は全くない。自分の行きたいように自在に自分のルートを刻むことができる。オヤウシナイ沢を渡って森を横断して涸沢に出る。地図には載っていないが涸沢沿いには砂防堰堤工事のための作業道があり、これを登る。途中で作業道がなくなるので終点付近から左岸(下流に向かって左)にエントリーして、ここから僕たちは林間コースを下っていくのだ。

春の雪はやや癖があるが、滑りやすい。メンバーの技量をみながら慎重に緩斜面を選び下っていく。午後からは天気は回復傾向に向かい、晴れ間がのぞきはじめる。あたりでも小鳥が鳴き始めた。

森を滑っているうちに先行の登山者のトレースに再び出会う。尾根をずっと上に向かってトレースは伸びていた。天気は回復傾向にあり視界も広がってきたので、今ごろきっと開放的な眺望のなかに立っていらっしゃるだろう。ちょっと羨ましい。

途中、大雪青年の家の自然観察スタッフの方に会う。雑談がてら最近の森の変化についての話になった。僕がみてきたこの10年間の森の生態系の変化について話した。

ここ数年、このあたりではクマゲラ(天然記念物のキツツキ)を見る機会が極端に少なくなった。自然界のどんな変化が影響しているのだろうか。いっぽうで富良野岳方面には少数だがクマゲラが生息していて特に目立った変化はない。ヒグマもいるし、鳥たちも多い。ただ、ナキウサギは激減した。

自然界でいったい何が起こっているのだろうか。

**********************

先日の三段山事故では地元富良野の山岳ガイドM先生が遭難者を発見、回収されたという。M先生は山の大先輩で、仕事をご一緒させていただいたこともある。いつも十勝連峰のどこかを滑っているのでお会いする機会も多い。白銀荘をよく利用される方にとってM先生は頼りになる兄貴的な存在であろう。ほんとうに山のことを隅々までよくご存知の方で、ここ10年15年くらいで山に通うようになり知り尽くした気になって得意げになっている僕らとはキャリアが全く違うのだ。先生のまえでは僕などまだまだガキのようなものだ。何しろM先生は幼少のころからずっとここの山々を見てきた方なのだから。

三段山事故について、僕はまだ報告を聞きかじった程度で詳細を知らないが、実際に捜索にあたられたM先生の無念はいかほどだろうと思うと胸が痛い。近いうちに先生にお会いして捜索回収時のお話を詳しくお聞きしたいと思っている。そこから僕らも教訓を得ていきたいと思う。

先生の許可が得られれば、HP内に事故の詳細を報告したいと思う。


2006年3月11日(土)

冬山の危険情報発信はどの程度まで可能か 

三段山で死亡事故があった。冒険好きな若い男性の、ひとりぼっちの死。原因は転落・崩落雪崩と考えられる。3月6日(月)、この日の前後は天気が複雑だった。春の天気はめまぐるしく変わる。

遺体はきょう発見されたという。

当事者には責任はないと僕は思う。これから先、この事故について無責任にいろいろなことを言う人がいるだろうが、僕は彼の味方になりたい。僕は思いたいのだ。運が悪かっただけだと。一人で冬山に出かけて何が悪い?悪天候だから山に入ってはいけない?オレの勝手だろうと言いたい。僕はひとりで旅をするのが好きだから、もしかしたら同じような事故にあうかもしれないと思ってる。でも、自分が間違っているとは思っていない。いつもグループで行動すればいいんだろうけど僕は昔から集団でつるむのが苦手なのだ。仕事以外ではいつもひとりでフィールドに向かう。ひとりのほうが自然に向き合ったときの体感が豊かなのだ。だから寂しいと思ったことはない。

どうすれば事故は防げただろうか。細かい危険情報が常時発信されていて、しかもそれが周知徹底されていれば当事者は事前にその日の異常性に気付くこともあったかもしれない。しかし、その日に雪屁が崩れるかもしれないという細かい情報は発信するのは困難だ。

この手の情報はまず第一に発信者によって見解が違いすぎるし、第二にすべてのフィールドには当てはまらない。たとえば同じ富良野岳でも斜面が開いている方向によって条件は変わってしまう。

個人の見解の違いだけはどうしようもない。僕はよく入山届の感想欄にコメントを書くが、僕が「良かった!」と書いていても違う入山者が「最悪だった」と書いているのをよく見かける。感じ方は人によって違うのだ。そして、違う見解を持つもの同士が出会ってしまったら、きっとギクシャクしてしまうだろう。

危険情報の発信時にも同じようなことが起こるとも考えられる。まったく違う主張がされて対立が生じるだろう。結局、自己主張の強い目立ちたがり屋さん側が議論に勝って「オレが基準」みたいな顔をして得意げに見解を述べることになるだろう。結局は主観性に欠ける発信がされるようになるから、これではどうしようもないのだ。そういうのは醜い。

それでは、我々日本人が大好きな「臭いものには蓋」式に、懸念材料が生じたときにはなんでも規制してしまうか。確かに安全かもしれないが、これでは意味がない。そういうことはガキを相手にすることだ。愚かしい。

正直いって、どうすればよりよい解決策に結びつくのか、僕にはわからない。でも、何もしないよりはいいから何か解決策を構築しなければと思う。

今ごろになって思う。その日(3月6日)、僕はふだん見かけない異様なものを見かけていたのだ。沢筋に転がる無数の雪ロール。バームクーヘンやタイヤ状の形状をしていて、気温が高い日に急斜面を粘った雪が転がるときに形成されるのをよく見かける。その、おびただしい数の雪ロールが沢底の平坦な地に転がっていた。

なぜ?こんな平坦なところに??

おそらく前夜に川(沢)をおそろしいくらいの強風が吹き抜けつつ雪を巻き上げ、雪を転がし、この雪ロールを作ったと想像した。前夜は3月にしては珍しい暴風雨(雨!)が吹き荒れていたのだ。そもそも雪質が異常で、風の強さも異常だった。おなじころ極端に脆弱な雪屁が各所に形成されていたとしても不思議はないだろう。

今にして思えば危険信号だったのだ。でも僕はそのシグナルに気付くことはなかった。

しかしながら、この事実だけをとって危険情報を発信することができただろうか。今だから「そういえばあの日、ヘンなもの見たなあ・・・」と思えるけれど、正直いってそのときは単に「へえ〜珍しい」くらいの感想しかなかった。お粗末ながら危機感はなかった。それに、当日に危機感をもったとしても発信するときには手遅れだし。

では、悪天候の翌日はいつも危険なのか。一概にそうともいえない。

・・・・・・・。

何か良い知恵はないだろうか。

(右写真)3月6日に平坦地で見られた無数の雪ロール 風で転がされた痕らしき走路も見られる アバレ沢にて

僕は死にたくないし、もう誰にも死んでほしくはない。僕の大好きな十勝連峰なのだから。

**********************

 

以前、この日誌に「入山届を出すひとが少ない」ということを書いたことがある。実際にほんとうに少ない。白銀荘の玄関ホールやバス停内など、気軽に書ける場所に置かれているにもかかわらず。あまり知られていないのだろうか。

入山届を出したからといって万一の場合に助かるわけではないが、少なくとも発見が早くなる。もしかしたら助かる場合もあるかもしれない。家族のため友人達のためにも入山届だけはせめて書いておいて損はないはず。

これらは地元の有志によって完全にボランティアで設置された。ありがたく使わせてもらおう。

 

湯元 凌雲閣のページ内「上富良野山岳ルール」

入山届ポストの場所など

http://www.ryounkaku.com/index.htm


2006年3月10日(金)

お知らせなど 

来期のテレマークスキーガイドの募集を締め切りました。

たくさんのご応募それから問い合わせ、ありがとうございました。

せっかくご応募いただいた皆さん、残念ながらご期待には添えませんでしたがガイドの山小屋にはもったいない方ばかりでした。まことに恐れ多いことです。これからも山の仲間として、どうぞよろしくお願いします。

そして、いつもガイドの山小屋に遊びに来ていただいているみなさんへ。来期も、と〜っても楽しいツアーができそうです。みなさん期待してください。ところで3シーズンにわたって大好評、U田ガイドの「パウダー男塾」は今月でとうとう終了となってしまうんですよ・・・。ええええええええ!!!

みんなでU田さんを引き留めるツアー、ご予約はお早めに。


2006年3月10日(金)

HPの更新と焼肉ツアー

きょうは快晴すぎて怖い。あたり一面に春の日差しがビシビシと降り注いでいる。どうあがいてみてもそろそろ春なのだ。そこで思い切ってHPの更新を行う。冬のまま、ず〜っと続いてほしいものだけど、そうもいかない。

いつまでもパウダースノーにこだわってばかりはいられないから思い切ってゴールデンウィーク・バージョンに切り替えてみた。とはいってもGWもバックカントリースキーのツアーだし、 基本的にはあまり変わってはいないんだけど、写真を張り替えるだけで随分とリフレッシュした気になった。(僕だけ?)

毎年、GWはあまり滑りに真剣にならないツアーを行うのが僕のやり方。滑りおさめなんだから、打ち上げのような気分がいいんではないかと思うのだ。だから僕は今年も「焼肉ツアー」をやることに決めた。ツアーの大半は自由時間で、周辺の雪渓を勝手にあちこち滑って遊んでは昼になったら集まって焼肉食ってビール飲んで、気が向けばまた滑りに出かけて、集合のホイッスルが鳴り響いたら帰途につくという、わかりやすいツアーなのだ。一応テレマークスキーのツアーなんだけど、ソリ持参で長靴で参加することだってできるかもしれない。これならば初心者もベテランもみんな楽しい。

ま、遠足だと思っていいと思う。僕は遠足の気分でやっているから。またGWは晴天率がズバ抜けて良いというのがこれまたいい。


2006年3月8日(水)

車考 

車は持ち主のライフスタイルを映し出す鏡だという。軽4WDに乗っている人はフットワークが軽いし、ミニバンに乗っている人は家族思いのお父さん。ベンツに乗っている人は見栄っ張りだし、RV や大型バンに乗る人はスポーツ系遊び人という具合にだいたい想像できるし、おおよそ間違ってはいないと思う。

おととし、10年ぶりの車の買い替えに際しておおいに悩んだ。ずっと乗っていたパジェロが気に入っていたのでトヨタの大型4駆が欲しかったけど、僕には四国の高知に住む90歳の祖母の介護と、神戸に住む 難病との闘病中の実母の介助という2つの課題があり、車高の高いRVは諦めざるを得なかった。

流行のミニバンには心動かされた。ツアーにも補助的に使えるし、家族全員が広々と快適に乗れるファミリーカーは憧れだ。でも、一人で乗る こともあるだろう。そんなとき、たまには「父親」ではなく一人の「男」に戻りたい。そこまで考えると悩みは尽きない。

介護というテーマを踏まえつつ探した。ホンダアコードワゴン、トヨタハリアー、果てはベンツやクラウンの中古車、どれもこれも家族の同意が得られない。特にクラウンやベンツの中古車はオッサンっぽいという理由で却下。介護にはいいと思ったのに。まあ、オッサンっぽいと言われれば確かにその通りだ。

試行錯誤の末に今の車に落ち着いたけれど、まあ、なんとか合格かなと思う。家族全員が広く乗れることや介護に便利なこと、高齢の祖母が乗れて車椅子も 積めること、丈夫で安全であること、北国に向いていること、20年乗れること。それからかっこいいこと。かっこよくないと、乗っていてつまらないから。

毎年3月末、ガイドの山小屋の冬の営業が終わる。僕はただちに高知の施設にいる祖母のもとに飛んでいくことを恒例にしていた。祖母は半年の間ずっと、僕が訪ねてくるのを一人で待っていた。きっとほかの誰よりも春が待ち遠しかったことだろう。

おととしの秋、僕はお婆ちゃんに約束していたのだ。春になったらみんなでお花見に行こうよ。みんなで北海道から遊びにくるよ。

祖母は涙で顔じゅうをくしゃくしゃにして、この提案を喜んだのだ。

しかし祖母は昨年2月、春を待たずに一人ぼっちで逝ってしまった。

 

きょう、ツアーが休みになったので妻とちょっとしたドライブをした。ドライブとはいっても妻が通院する大学病院の往復と日用品の買い物なんだけど、そんなドライブでもデートみたいで結構楽しい。以前のパジェロやハイエースのときとは楽しさも違う。付き合い始めて20年以上になるが、夫婦の仲は最近いっそう良くなったと思う。車のおかげとは言わないけれど一助はある。

北国の冬道での安全と、それから介護のことを一番に考えて購入したこの車は結局は祖母の役には立たなかったけれど、結果的には幸せを運んできたように思う。祖母のおかげかもしれない。

ただ、妻がしょっちゅう、あっちこっち車をぶつけて帰ってくるのが悩みだけど。


2006年3月7日(火)

きょうの三段山  淑女(レディ)のための三段山ツアー

天候:快晴
風速:無風
気温:0℃前後
雪量:平年並み
雪質:午前中パウダー、午後からは湿雪
新雪:20〜30センチ
備考:午前中は見事な樹氷が見られた

〈十勝岳の噴火活動〉

活発

三段火口付近は樹氷の森になった

きょうは北海道在住の女性が中心のツアーになった。と思ったら、それを聞きつけて彼女緊急募集中のH君が参加を申し込んできたので結局きょうのツアーは淑女+下僕という構成に相成る。いつもながらH君はわかりやすい。

それにしても素晴らしい天気。3月には珍しく今朝は冷え込んだので雪は羽毛のようなパウダー、そして樹木は樹氷の華で覆われていて、これが例えようもなく美しい。あえて例えるならば満開の桜だろうか。そして何よりも、こんな天気はまさに奇跡的だ。

雪質は2月のようで、景色の美しさは1月の快晴日のよう。そしてお天気や気温はGW頃のよう。冬シーズンの時節ごとのいいところだけをミックスしたような完璧な条件がきょう見事に重なった。こんなことは滅多にあることではない。たぶん今年最高の条件だったのではないかと思う。まさに奇跡。

きょうは最初から長めの距離、長めの所要時間というツアー構成で行こうと決めていた。天気はいいし雪もいい。気温もあたたかでメンバーにも恵まれている。多少時間はかかるだろうがあまり一般には知られていない三段山のいいところをあますところなくルートに組み入れようと考えた。どこを歩いても、どこを滑っても、きょうはいいトコばかりのスペシャルツアーだ。

結局、かなり欲張ったので下山は15時にずれ込んだのだが、3月の快晴のきょうのことだから厳冬期のように猛烈に冷え込むこともなく日が西に傾いて薄暗くなってしまうこともない。長い距離をよく歩き、よく遊び、よく滑った。みんな山と別れるのが残念そう。白銀荘前で最後の集合写真を撮る。

このまま解散してしまうのは名残惜しいということで、下山後は全員で焼肉を食べに行くことになった。淑女には焼肉がよく似合う。それも七輪で焼く素朴な焼肉が。生ビールがうまい。

ところで、彼女緊急募集中のH君、きょう は淑女ツアーの下僕として実によく働いた。というか、彼のわかりやすい猛烈アピールを誰にも受け入れてもらえなかったということなのだが。淑女たるもの、凛として決して安くはないのだ。

しかしながら彼を乗せたタクシーが旭川空港に向かって去ったあと淑女ツアーの面々は口々にこう言うのだ。

「H君、きょうはいい働きをした!」なかなかどうして、最終的には下僕に徹した彼の働きは結構高い評価を得たようだ。今後に繋がるのではないだろうか。

これでいいんだよH君。H君の春は意外と間近なのかもしれない。


2006年3月6日(月)

春に3日の晴れなし そしてH君の春は遠い

ここんとこ天気の変化が著しい。日本列島上空には低気圧と高気圧が交互に毎日毎日忙しく通り過ぎていく。僕は地図を広げて旅を空想することと同じくらい天気図を眺めてあれこれ予想するのが結構好きなんだけど、最近は天気図の変化がめまぐるしいので特に楽しい。春になったなあと感じるのだ。

昨日は朝のうち晴れていたが、夕方には雨が振り出した。

今朝は午前6時まで暴風をともなった雨だったが7時頃には雪に変わった。前線が通過したらしい。夜にはきっと晴れ間がのぞくだろうと思う。

明日はおそらく晴れるだろう。天気図によると移動性高気圧がやってくるようだ。北海道北部のこのあたりは高気圧の中心からは遠いけれど、なんとか緩やかに覆われるのではないかと僕は考えている。

そしてあさってはまた天気が崩れそう。このところ、お天気は3日どころか2日持つかどうかすらもあやしい。

でも、こうして雨や雪が降るたびに確実に春めいてくるのだ。

昨日のH君(彼女緊急募集中)はきょう新たな恋に目覚めたが、努力の甲斐なくまたしても1ラウンドKO負け。きょう彼の猛攻をうけたTさん曰く、

「好意は嬉しいけど高くつきそうで・・・」 H君の本心は、はた目で見ていても実にわかりやすい。

彼の春に限っては、どうやらまだまだ先のことらしい。


2006年3月5日(日)

きょうの三段山  誕生、三段山コマンドー

天候:くもり時々晴れ
風速:南西風
気温:0℃前後
雪量:平年並み
雪質:やや湿った雪、高山帯はウィンドパック
新雪:20〜30センチ
備考:樹林帯や沢地形内はとても良い

〈十勝岳の噴火活動〉

活発

 

僕をいれて総勢18名、崖尾根の稜線をがしがし登った。固く凍っているのでキックステップで足場を刻みながら登るが、先行のチャレンジコースメンバーの誰かが上から落ちてきそうでハラハラしながら見守る。落ちたらまた登り直しだから巻き添えはゴメンといったところ。それでもみんな何の問題もなく無事にクリアした。あ〜やれやれ。

僕らが登り切ったのを待っていたかのように突然、突風が稜線で暴れ狂いはじめる。なんなんだよ〜、もっと余韻を楽しませてくれよ〜と思ったが、相手が風ではどうにもならない。あきらめて風下に向かった。風下に入ると静かになった。やれやれ。

きょうのメンバーはみんな勢いがあるしアドレナリン満載でギラギラ闘志を燃やしている。チャレンジコースは言うまでもなく僕が受け持つ一般コース10名も、関西人、関東人の男女がごったに入り混じった外人部隊だというのにすばらしく統制が取れている。隙なく集合して寸分の狂いもなく林間を縫うように滑ってスルスルと移動する。メンバーの半分以上が女性だ。最近は女性の参加者がとても多い。

僕はまるで雪上コマンド部隊を率いているような気になる。すばらしく訓練された優秀な隊員たちは、ゴーの指令とともに全員が等間隔に森のなかに散開して滑りはじめる。そして僕の号令一発でたちまち1列に集合するのだ。

とはいってもみんな上手だというわけではない。僕のもくろみ通りに雪屁から転げ落ちてみんなを笑わせる人もいるし、顔から転倒する、頭を雪に突き刺すことに情熱を傾ける勇猛な女性もいる。列の後ろのほうでは結構ゴロゴロと転がっている。関西人はず〜っと喋り続けているし、いちゃついている夫婦もいる。一人で参加している女性に熱烈アプローチを仕掛けている彼女緊急募集中のH君も積極的にがんばっているし、絶叫しながらそこらへんを猛進暴走しまくっている人もいる。しかしながら、僕が振り返って集合を促す仕草をするだけで全員がたちまち集合するのだ。

エクセレント!すばらしい隊員たちではないか。

ガイドの山小屋特殊部隊、三段山コマンドーの結成を宣言する!

え?夕方にはもう解散?

ところで、彼女緊急募集中のH君のきょうの戦績は2戦2敗。H君の春はどうやらまだまだ遠いようだ。


2006年3月4日(土)

きょうの三段山  前十勝でイナバウアー

天候:くもり時々晴れ
風速:南西風
気温:−5℃前後
雪量:平年並み
雪質:やや密度のあるパウダー、上のほうは一部ウィンドパック
新雪:20〜30センチ
備考:癖がなく、滑りやすい。地雷原に注意

〈十勝岳の噴火活動〉

活発

 

キックターンがうまくいかず、途中から滑り始めてしまう人がいる。テレマークでイナバウアー。流行るかもしれない。

・・・ アホらしいので中略 ・・・

何事であっても、ともかく周囲とは違うことをして目立ちたいH君は緊急に彼女を募集している30代半ばの独身男性なのだが、イナバウアーが彼のハートを貫いた。イナバウアーでバックカントリーを滑ったならきっと注目を浴びるはず。これが彼の闘志に火をつけたらしい。がんばれH君!イナバウアーで彼女をゲットするんだ!

黙々と練習する様子をアピールするH君。周囲は若干冷ややかだ。乾燥した笑いが山々にこだまする。彼の努力は報われるだろうか。

ま、それはともかく、ここんとこ雪がいい感じ。お天気も良いほうに外れてくれるし入山者も少ない。それに、あまり寒くないというのもいい。

パウダーシーズンもあとわずか。さすがにちょっと焦ってきた。

やっぱり冬が好きだなあ・・・。


2006年3月3日(金)

憧れのお見合い

きょうは雛祭り、2週間ほど居間を飾っていた雛人形もきょうで今年のお役目が終わる。うちは女ばかり3人の娘たちがいるのだけど、さっさと嫁にいってもらいたいのでさっさと片付ける。産まれたばかりの末の娘はともかく、もうすぐ2歳になる真ん中の娘は雛人形がお気に入りの様子。椅子に登ってお内裏様おひな様の目線の高さで人形を眺めては「きれい!きれい!」を連発している。

雛人形を片付けたら、ちょっとがっかりするだろうなあ。

さっさと嫁に・・・で思った。そういえば僕はお見合いというものをしたことがない。高校生のときから妻とは交際していたし、大学を出たらさっさと結婚してしまったので機会がなかった。だからお見合いに憧れる。

お相手の写真をみて、ドキドキしてみたい。

お相手に会う直前の緊張とか、不安とか、憂鬱とか。

う〜ん憧れる!

また見合いかよ、面倒くせえなあ・・・。とか言ってふてくされるのもいい。

お断りされたりもしてみたい。がっかりしたり、ホッとしたり、そういう緊張を感じてみたい。だって人生の重要な部分がかかっているんだから。

特にオーソドックスなお見合いをしてみたかった。場所は料亭なんかがいい。庭には獅子脅しなんかがあって、ときどき、コーンと高い音をたてるのだ。その脇には水仙が咲いていたりするのがいい。きっとお相手は着物でやってくる。着物の女性に、僕はめっぽう弱い。

ご趣味は?ええ、読書とか、山登りなど少々。あ、料理が得意なんです、和食が。とか何とか。う〜〜ん、いいッ!

それじゃあとはお若いお二人で、とか言われてみたい。席を立ち、ふたりになったところで、「あ〜オレ、こういうの苦手なんですよ〜」とか言ってみたり。

わくわくするではないか。


2006年3月2日(木)

きょうの三段山  東洋の神秘、ヨガ

天候:くもり時々雪
風速:北風
気温:−5℃前後
雪量:平年並み
雪質:アイスバーン&モナカ雪
新雪:30〜40センチ
備考:湿っていて重い

〈十勝岳の噴火活動〉

おとなしい

 

天気予報は雪だったが、気圧配置をみているとなんとなく晴れそうな気がしたので山に向かった。朝、美馬牛では20センチの新雪が積もり、ちょっと期待する。もしかしたら山盛りのパウダーかも。

きょうの参加者は道内に住む女性がひとりだけ。そのYさんとはきょう初めて会ったにもかかわらず、なんとなく気心が知れた旧知の友人のような気がして不思議と気分も楽。なんだかプライベートのような気軽さだ。

きょうの雪は中層にモナカ雪があって全体も重い湿った雪でどっしりしている。あの、おとといの絶品パウダーはどうしちゃったんだろう?きょうの雪は癖があってなかなか手強そうだ。バランスを重視した滑り方で無難に滑る。

それにしてもきょうの参加者Yさんは凄い。何が凄いかというと、よくまあコロコロと転ぶんだけど、起き上がりがとても早いのだ。それも、

「え?その体勢から??」という無理な姿勢からでもくねくねくね〜と立ち上がってくるのだ。つい、その一部始終に注目してしまい、手助けを忘れてしまう。というか、手助けなど不要。彼女は自力でぐいぐい起きあがってくる。

あるときなどは体は雪のなかに沈みヒザだけが見えているという深雪沈没の状態だったのに、彼女はひょいと体を捻ったかと思うと、らりらりら〜と体が持ち上がってくるではないか!凄い!東洋の奇跡だ!これだけでちょっとした特技として十分通じると思う。

聞くと彼女はヨガをしているのだという。なるほど、あの不思議な動きはヨガだったのか。ちょっと感動してしまった。文句なしで彼女は今シーズンの起き上がり技MVPだ。間違いない。

ヨガってホント、すごいです。

天気の回復は少し遅れた。温泉から出てくるころになってようやく夕陽が山を染め始めた。明日は晴れるだろうか。


2006年3月1日(水)

花粉こわい

今月末は帰省することになった。車で実家のある神戸までひた走る。北海道に引っ越してきて初めてのことなのだけど、途中どこで泊まろう、どこに寄ろう、そういう他愛のないプランがとても楽しみだ。

しかし、大切なことを忘れていた。いま本州は花粉症の季節ではないか。スギ、ヒノキ、あれこれ、あれこれ・・・。だいたい概ね体が丈夫な僕だけど、唯一の弱点がある。ひどい花粉症なのだ。ひととおりの花粉アレルギーに加えて2、3年前からはとうとうシラカバ花粉まで加わってしまった。北海道民としてこれはかなりキツイ。さらに昨年の夏からは大好きだった生のリンゴが食べられなくなった。それも、ある日を境に突然に。ショックな出来事だった。

今では雪のない季節には毎日必ず朝晩に薬を飲む。まるで自分が虚弱体質になってしまったようで、気分が病人のよう。毎日薬を飲んでいると、

「ああ、おれ病気なんだ・・・。」という自覚というか、なんともいえない気分になる。薬といえば正露丸くらいしか飲まない僕だったから、これは自分的にはタイヘンなことなのだ。

3月末、まだ雪が残る美瑛から車で日本列島を南下することは自ら進んで花粉の世界に飛び込んでいくことにほかならない。青森県の碇ケ関温泉、新潟港沿線のとあるパキスタン料理店、金沢の和菓子、京都の桜、いろいろ楽しみもあるんだけど、花粉のことを考えると気分がすぐれない。

憂鬱だ・・・。


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