|
|
|
|
2007年8月31日(金) とうきび 8月31日は野菜の日。 8、3、1。や、さ、い。 はいはい、講釈はこれくらいにしときましょう。 きょうの昼さがり、上富良野の友人がMTBで遊びにきてくれました。彼のバックパックから出てきたのは、今朝採れたばかりだという、とうきび(とうもろこし)がゴロゴロ。 というか、ドカドカと転げ出てくるわくるわの、とうきび。 と! う! き! びっ! キャー素敵! 大きな粒。はちきれんばかりの果肉!どーです! なんなんでしょう、この美しさ。 どうしちゃったんでしょう、この輝き。 はぁ〜・・・。 しかしながら、ウチに届けられた3時間後には、これらの美しきモノは家族の胃袋に収まってしまいました。なんという貪欲な家族なんでしょう、ウチは。 秋っていいなー。 2007年8月29日(水) 旅装 9ヶ月ぶりに旅の装備を準備しています。ガイドの山小屋にとって10月〜12月は休暇の季節。僕にとってはマウンテンバイク旅の季節。 プラスティックの大きな箱を開くと、長い間日の光を浴びずにいた装備が顔を出します。突っ込んだままなので、砂埃なんかで汚れたままです。 自転車の旅。これはボクにとってライフワークになりつつあります。 当初、外国の高い山に登りたいと考えましたが一人旅ではどうにもならず、経済的にもボク個人ではとても及ばないため、実現可能な旅としてマウンテンバイクの旅を選びました。 マウンテンバイクならば化石燃料は一切使わずに、例え一人きりでも自分の力だけで何千キロも旅を続けることができますから。 ただ、毎年そうなんですが、とてつもなくブルーになるのです。 不安がいっぱい。 ともかく、不安だらけ。パック旅行と違ってわからないことだらけ。 言語、お金、交通機関、宿はあるのか、食料は得られるのか、水はあるのか。 治安はどうだろう?首絞め強盗?銃器を使った強盗? こ、こわ〜〜・・・。 いろんなことを調べますが、それはすべて不安要素をひとつひとつ解決するためにやっているに過ぎません。おいしいレストランなんか調べないし、アクティビティも僕には一切関係ありません。 ともかく無事に帰ってくることだけを考えてプランをたてます。 ときどき、「オレは何をやってんだろう?」って思うことがあります。実際、女房などは理解できないらしく、 そんなに辛いんなら、やめればいいのに。といいます。 ごもっとも。 2007年8月28日(火) 秋の風 早朝は長袖が必要なほど冷え込みます。昼間の気温も30度に迫るようなことはなくなり、季節は秋を迎えました。 夏の間は賑やかだった観光地も落ち着きつつあります。特に大型バスは最盛期の3分の1か、それ以下に減りました。レンタカーはまだまだ多いのですが、それもあと数週間のことでしょう。 ガイドの山小屋も、大型バスの受け入れが間もなく終了。台湾などからの観光客のみなさんはこれから道東へと移り、美瑛・富良野の各地であれほど闊歩していた皆さんの姿も見られなくなるでしょう。 JRのノロッコ号の運転もまもなく週末だけになります。子供たちは夏休みが終わってそれぞれの学校へと帰っていきます。 美瑛はこれから少し寂しくなります。 咲き誇っていた花々も終盤を迎えて、次は紅葉の季節を待つばかり。丘の畑はいま観光客の視線などそっちのけで収穫に追われています。とうきび、ジャガイモ、カボチャなど。実りの季節は食卓が賑やかになるんですよ。 きょう大きなジャガイモをたくさんいただきました。美瑛町二股の今朝収穫したばかりのジャガイモ。色が白くて大型で、いい形をしています。僕がいただいた芋は大き過ぎて規格外なんだとか。小さくて規格外ならばいっぱい貰うことがあるんだけど、大き過ぎてってコトもあるんですね。初めて知りました。 早速、蒸かして食べました。ほくほくして美味かったなあ! 2007年8月25日(土) ミンミンゼミ 今朝 、どこからともなくミンミンゼミの鳴き声がしています。ミーンミンミンミーンという単調なあの鳴き声。ああー夏も終わりだなあ、なんて思いつつ、大して気にもせずに聴いていたのですが、ふと、ある疑問が浮かびます。 「あれ?北海道にミンミンゼミはいたっけ?」 調べてみました。国内全域に生息するミンミンゼミですが、どうやら北海道では道南の渡島半島や定山渓付近にわずかにみられる程度で、そのほかではポツンと離れ小島のように和琴半島のみに生息しているのみだというのです。 和琴半島のミンミンゼミは太古の温暖期に北上したものが、火山活動によって地熱を保ち局地的に温暖な特徴をもつ和琴半島にポツンと取り残された、いわゆる生き残りだということです。 なるほど。 では、今朝の美馬牛のミンミンゼミは何? う〜ん、北上してきたのだろうか? そういえば、本来は自生しないはずのカブトムシも今では普通に見られます。ガイドの山小屋の敷地内ですら、堆肥状になった古い切り株の下を掘っていたりしたら、幼虫が出てきたりするのです。 う〜ん・・・。なんだかなあ・・・。 2007年8月24日(金) 旅の言葉、旅の費用 きのう旅の話を書きました。きょうはその続きなど。 旅の質問ではよく、英語のこと、費用のことを訊かれます。 言語は、やっぱり英語です。 でもボクは英検準2級すら歯がたちません。 それでも何とかなってます。そんなものです。
費用。これはイロイロですね。 パック旅行ならば出費の予測もできますが、個人旅行だと、なかなかそうもいかないわけで。 ボクのMTB旅、キャンプが基本ですが、現地の気候や治安によってはままならないこともあります。 やはりキャンプができるのは「穏やかな国」ということになります。 昨年は真夏のオーストラリア大陸を縦断しました。内陸は砂漠で、気温は毎日アタリマエのように40度を軽く超えていきました。夕方になっても気温は下がらず、夕方6時で40度、深夜0時の気温が35度なんて具合です。 太陽に焼かれた大地はいったん熱を帯びたら容易に冷えないのです。 焼けた砂、フライパンのうえにテントは張れません。いや絶対、無理。 また怖いのは虫たちの襲撃。砂漠だというのに、なんだか得体の知れないものが・・・。殺人蟻にダニ。それから全身を覆い尽くすほど襲来するハエ。出会わなかったけど、サソリもいるらしい。 ひぇ〜〜〜! それから治安の問題も深刻です。夜間の治安が安心なところなんて、そうそうあるもんじゃない。何しろテントは布切れ1枚ですからね。 おかげで昨年の旅のほとんどはホテルやバックパッカーでした。翌日の猛暑に備えるためにも十分な睡眠と休養が必要でしたから、躊躇なくホテルやバックパッカーを探しました。 300km区間無人で無補給なんていうとんでもない荒野を進むときはやむを得ず野宿しましたが、その前後には必ず休養のためにホテルに泊まりました。 これで正解だったと思います。その証拠に今こうして生きています。 しかし、結果として予想以上の出費になりました。1日平均JPY6千円を超えたと思います。総額は前年の3倍にも達しました。外国為替市場の円安もまた強烈な打撃になりました。 おかげでタイヘンな冬でした。12月に帰国して、クレジットカードの支払いは1月にドッときましたから。 灼熱の砂漠縦断は十分に地獄だったけど、そのあとの支払いもまたナカナカの難敵だったわけです。 では、旅でいちばん大切なものは何か? 水です。最新のMTBでも最新のGPSでもない。パスポートでもお金でもない。ともかく水。水があればなんとかなる。水があれば平常心が保てるし、自転車も動く。しばらく生存できる。 そのときボクの荷物の70%は水と食料でした。 17リットルを積みましたが、それでも足りなかったです。 おなかいっぱいの安全な水さえあれば、世界中どこでも旅できると思います。 2007年8月23日(木) もう限界なんです・・・。 そろそろ旅立たなくてはいけないなあ、なんて思います。 さては夜逃げ?いやいや、そうじゃなくって。 ボクの体重は年に15キロの範囲で上下します。12月ごろに最も痩せた状態になり、その後じわじわ増え続けます。6月には10キロ増。9月になるころにはトータル15キロ増。 ボクにとっては、このへんが限界のようなんです。 もともと太っていなかった僕にとって、慣れない状態になるんでしょうか。 なんだなんだ、体が動きづらいぞ。 ハァハァハァハァ、息も苦しいじゃないか。 や、やばいよコレは・・・。 鏡をみては、 「あ。ダルマ。」 こうしてボクは秋ごろから激しめのトレーニングを始めます。 晩秋になり、ぐっと仕事が減るころ僕は旅に出ます。チャリに乗って。激しめのトレーニングは、そのための準備運動のようなものです。 旅に出て、昨年の秋には7週間/15キロ、体重が減りました。 その前の年も同じくらいの成果でした。 体重が減り、ウルトラ体力を取り戻し、英語もちょっとだけ上達します。 話のネタもたくさん仕入れてきます。 とっても健康になって僕は帰ってきます。
ああ限界だ。苦しい・・・。 ダルマは今年も旅をします。 2007年8月22日(水) 夏の終わりとトウキビ 今朝、いつものように美瑛に向かって車を走らせておりましたら、すぐに前を行く車に追いついてしまい、一緒にノロノロ運転をしてきました。 ま、夏にはよくあることなんです。観光客の車が多いですから。とんでもないところで止まったり(交差点の真ん中とか)突然曲がったりとか。とりあえず、前を行く車のナンバーが「わ」のときは気をつけています。 でも今朝は違います。「わ」じゃない。 青いトラック。農家のトラックですね〜。 荷台にいっぱい、山盛りに何かを積んでいますよ。 トウモロコシなんですよ〜、これが。 それがね、トラックが振動するたびにワッサワッサと揺れるんですよ。 どしん!わっさわっさ。 どしん!わっさわっさ。 それが面白くてですね、わっさわっさと揺れるとうきびをずっと眺めながら美瑛の町の手前までのんびり運転をしたわけです。 あ〜、そろそろ夏の終わりなんだな〜と思いました。 毎年トウキビ(トウモロコシ)の収穫が始まる頃になると、そろそろ秋の気配が漂い始めます。 山ぶどうの房も大きくなってきました。 2007年8月21日(火) 蘇った回転寿司「ちょいす」 僕らの外食の楽しみのひとつに回転寿司があります。 この10年間で回転寿司事情はずいぶん変わりました。いまでは旭川市内にもたくさんの回転寿司屋さんが乱立しています。 ここ2、3年、僕らは旭川医科大学近くの「トリトン」に通っていました。北見に本店を置く有名なお店です。さすが評判だけあっておいしいのです。 それより以前は旭川市神楽にある「ちょいす」に通っていました。 もう4、5年前になるでしょうか。「ちょいす」はいつも混んでいて相変わらずの繁盛ぶりだったのですが、トリトンの開店に前後するように店員さんたちの態度が悪化したように思います。お寿司にもそれが如実に現われていて決して心地いいものではありませんでした。 そのころの「ちょいす」の店員さんときたら出来の悪い学校の生徒がたむろしているような雰囲気、そんな印象でした。カウンターもフロアも酷かった。 さて、前評判も高かったトリトンが開店して、お客さんは一気にトリトンへと流れました。それは僕らにしても同じことです。トリトンはおいしいだけじゃなく、店員さんもみなさん明るくて楽しかったですから。 あれから数年がたちました。みんなに忘れられた「ちょいす」は閉店することもなく国道沿いの同じ場所でひっそり営業を続けていました。なんとなく改装したようです。 今年の6月、一人で「ちょいす」に行ってみました。何年ぶりでしょうか。ちょっとお昼でも、という軽い気持ちで。 いやあ!驚きました!店内がすっきり清潔に改装されていただけではなく、店員さんはさわやかだし、それから、仕入れも変えたのでしょうか。下ごしらえも向上してネタの見かけまで格段に良くなっていました。メニューも変わったようです。何もかもが良い方向に改善されて、まるでちょっと高級なお寿司屋さんのような印象すらうけます。 そして何よりも、おいしい!もちろんお値段は以前と変わりません。 ボクはいっぺんに「ちょいす」神楽店のファンになりました。 さて、きょう家族を生まれ変わった「ちょいす」に連れてきました。以前のことを知っている女房はちょっと抵抗しましたが、説得しました。 こうして家族みんな、たちまち「ちょいす」神楽店のファンになりました。 「きょうのスペシャルぅ〜!」と叫びながら、ちょっと恥ずかしそうに鐘を振る店員さん(カウンターの板前さん)がかわいかったです。好感をもちました。 その、スペシャルの鮪も旨かった。本物のナカ落ちは蕩ける旨さでしたし、中トロも大トロも落涙モノでした。 おかげで、最近はずんずん溜まる一方だった仕事のストレスも、本鮪の旨い脂と一緒にとろけてなくなってしまいました。 生まれ変わった「ちょいす」神楽店。生まれ変わってくれてありがとう。 2007年8月20日(月) 古いMTB 1991年製のマウンテンバイクが1台あります。もう15年以上も前のものですが、今でもちゃんと走ることができます。 さすがに痛みが激しいので何もせずに保管していました。 いまボクのMTBはメンテナンスに出しています。でも、いざ手元にMTBがないと、なんとなく落ち着かないんですよね。 別に毎日乗っているわけでもないのに。おかしいですね。 で、急に思い立ったわけです。 ああそうか。アレがあるじゃないか。 そこで、古いMTBを整備しようということになったのです。 2004年の晩秋に北海道から鹿児島県佐多岬半島までこのMTBで走りました。終着地で分解梱包されて宅急便で自宅に送り返されて以来、このMTBが再び大地を走ることはなく2年間ずっと屋内保管されていました。 九州に到達するころにはペダルがギシギシ鳴りはじめ、踏み込むたびにガタガタと揺れていたことを思い出しました。もう古いからと諦めたのです。 まずは薄暗い地下室にポツンと置かれていたMTBを地上に出してやりました。もしMTBが生き物ならば、ああ〜、光だ〜!と、叫んだでしょうか。 早速、ガタガタと揺れていたペダルを根元から分解して中のベアリングなどを取り出す作業をしました。ほんとガタガタだ〜。 古いだけあって、かなり錆びてます。 今にもバラバラになりそうです。これでよく最南端に到達できたと思いました。 でも、面白いものですね。古いモノって、細かな造りが上等なんですよ。現在のMTBとは違います。部品のクオリティが高いし、丁寧に作られていることに感心しました。当時7万5千円くらいで購入したと記憶しています。現在のMTBでは中クラスやや下くらいなんですが、当時は7万円の自転車といえば破格だったと思います。まだ若かったボクがそう感じただけかもしれませんが。 中にあるベアリング(無数の金属の玉)は、なんと長年の酷使の末に磨耗して少し小さくなっていました。ベアリングが小さくなっているなんて初めて見ました。本当ならば全部交換するところですが、でも傷付いているわけでもなく、ただ磨耗しただけです。なんとかなりそうな気もします。 ベアリングはきれいに清掃して、新しいグリースをたっぷり塗りました。小さくなったことで生じたと思われるベアリング間の隙間はたっぷりのグリースで埋めて蓋を閉じました。そのまま元通りに組み立てました。ついでに錆びていたチェーンも丁寧にクリーニングして新しい機械油を馴染ませました。タイヤにも空気を入れました。 完成。でも見た目はやっぱり、ポンコツ。 ちょっとだけ、敷地内で乗ってみました。おおー。 傷だらけだし古いし、見た目は悪いのですが、なかなかどうして、仕上げは悪くありません。 うん、ナカナカですよ。古いものはいいですね。 ちょっと誇らしかったです。 2007年8月19日(日) 友人の西瓜 僕の西瓜 先日、富良野に住む友人夫婦から西瓜をいただきました。このUさん夫婦は富良野に新規就農するメロン農家です。 来年からは、本格的に生産されるそうです。 で、いただいたスイカがこれ。あくまで試作で、決して売り物ではないそうですが。 そして、小さいほうが、われらが「ガイドの山小屋・裏庭農園」で採れたスイカ。 決して野球のボールじゃあ、アリマセン。 もう笑うしかありませんねー。 2007年8月18日(土) 外国為替とニセコのオージー※ 外国為替市場の乱高下から目が離せません。アメリカの不動産関連から始まった株安が世界的な資金調達の流れに大きな影響を及ぼし、円が買い戻される結果をうけて急激な円安へと動いています。 昨日の夕方からは日米政府が協調しての市場への資金投入が見られますから、幾分、円が戻った気もしますが、株価が回復したわけではないので一時的なものかもしれません。 とにもかくにも、1ドルが5円も10円も乱高下する結果に結びついています。 ユーロもUSドルも一気に10%近くも安くなりましたが、オーストラリアドルはことのほか値下がりが急激です。20%の急落といいますから、もうメチャクチャです。ニュージーランドドルもそれに引っ張られる形であっと言う間に2年前の水準にまで下がりました。台湾ドル(元)も15%急落しました。 さて、なぜ経済のお話をしたかというと、僕が心配しているのは冬のことです。単純に、「ニセコのオージーたちはどうなっちゃうんだろ?」ということです。 1豪ドルが100円を超えている今はオージーにとって日本はお得な国です。ちょうど、日本人にとってタイやベトナムの物価が超安いと感じられるのと同じことで、そういう経済的な背景が後押しする形でたくさんのオージーたちがニセコや富良野にやってくることになったわけですから。 でも、このまま10年ぶりの円高経済に突入すればいったいどうなっちゃうでしょうか。ニセコからオージーは減るかもしれませんし(ただし1豪ドル80円前後が損得のボーダーのようです)、いまはものすごいパワーを感じる台湾人観光客や、近ごろ増えてきた欧州からの旅行者も頭打ちになるかもしれません。 ああ!それは困る! ※オージー=オーストラリア人 2007年8月17日(金) 秋の気配 お盆休みは北海道さえも猛暑となりました。いやあ暑かったです。すっかりエアコンのお世話になりました。 ついに北海道もエアコン必需品の時代になるのでしょうか。ガイドの山小屋には冬の暖房のためにエアコンを取り付けています。あまりに灯油が高くなったため、コスト削減のためにエアコンに切り替えたのです。氷点下10度くらいの寒さであればエアコン暖房のほうがはるかに経済的です。さらにそのエアコンは、ちゃっかり夏にも活躍しています。 最高気温が32度、34度、33度。まるで10年前くらいまでの本州みたいです。これじゃ避暑にならないです。 ところが、雨のお天気となった昨日を境に気温がぐっと下がりました。気温が一気に10度も下がって、なんだか体がおかしくなりそう。でも、これが正常なんですよね? お盆が過ぎて、美瑛にはどことなく秋の気配も漂ってきたように感じます。 食欲が増してきて、さあ大変だ! 秋の北海道、うまいものだらけですから。 2007年8月16日(木) 金歯が外れて飲み込んで、さあ大変だ! 昨日の昼、イモ団子を食った拍子にポロリ外れてしまった金歯をゴックン飲み込んでしまったボク。ま、そのうち出てくるだろうと思って気にせず、その夜は下剤を飲んでぐっすり眠りました。 さて、翌朝。下剤の効果は絶大ですが、一向に金歯が出てくる気配なし。 どうしたんだろ? そのうち、十二指腸のあたりに鈍痛が。 さあ大変! 「・・・・・・す、すまんが、病院に行かせてくれ。今すぐに・・・・・・・」 蚊の泣くような情けない声を出すボク。美瑛町立病院まで運転する元気もなくなり、女房に車で送ってもらいました。 ******** いっぽう、異物を飲み込んだ患者がやってきたことで緊迫した空気に包まれた美瑛町立病院内科外来。ボクが診察室から退出してしばらくすると、奥のほうからドッと笑い声がするじゃないですか。 そのうちに、笑いすぎて目が真っ赤になった看護婦さんがやってきて、 「はい、カルテ。良かったですね。」だってさ。 いやね、レントゲン写真には胃袋から下の端まで何も写らなかったんです。 ボクの金歯、どこ行ったんでしょうね。5万円もしたのに。 ついにウン命的な再会を果たすこともなく、いつの間にかトイレから下水道へと旅立ったものと思われます。 家に帰ったら女房にコテンパンに叱られて笑いものにされてしまいました。 5万円を下水道に捨てて、とんでもないとか、なんとか。その他いろいろ。 でも、よかった。よかったナー。 それにこのネタ、結構おいしいかも。 2007年8月15日(水) エコルセ お客さんからお菓子をいただきました。忘れ物をお届けしたお礼、ということでした。さいきんはよくお菓子やら子供のオモチャをいただきます。 この1週間だけでも旭川のHさんから花火、札幌のKさんからブルーベリーのチョコレート(絶品!)、台湾のMさんからパイナップルのケーキ、東川のSちゃんから焼きたてパン、というふうに。 ありがたいやら、恐れ多いやら。ありがとうございます。 さて、先日いただいたのは神戸のエコルセでした。いやあ久しぶりだなー。 大学生のころ、僕は生まれ育った四国から出てきて神戸の東灘区に住んでいました。エコルセの工場は僕が住んでいたアパートの近所でしたから、風向きによってはお菓子を焼く甘い香りがボクの部屋にまで漂ってきたものです。 そういえば、神戸の町はいいニオイがする町でした。四国からやってきた僕にとっては、なんだかそんなことも素敵に思えたものです。 パン屋の多い町です。朝早くに町を歩けば、どこからともなくパンの焼けるニオイがしたものです。お好み焼のにおい、アジアンな香辛料のにおい、それから、お菓子のにおい。いろんな香りがどこからともなく漂ってくるまち。 そんなことを思い出しました。 大学生のころ5年間住んでいたアパートは、僕が引っ越した3年後に半壊しました。すぐ近くの高速道路は橋脚ごと崩れ落ち、同じ区画のマンションも倒壊しました。僕がよく遊んだ子供たちの家もまた跡形もなく崩れていました。 阪神大震災では僕の家族や友人たちの多くが被災しました。震災の3日後に神戸に戻ったとき、町の姿はすっかり変わっていました。 運命というのは皮肉なものです。自分だけが難を逃れたことが申し訳なくて、しばらくは自責の念にとらわれ悩んだこともあります。 いまでも消防車のサイレンやヘリコプターの騒音を聞くと、戦場のようだった瓦礫の町を思い出します。 現在、僕の実家は神戸市北部の新興住宅街にありますが、今でもときどき学生時代の5年間を過ごした東灘区の町を訪れることがあります。阪神電車の芦屋川駅で下車して西へ5分ほど歩いたところに僕のお気に入りのパン屋さんがあって、ここのアップルパイが日本一おいしいから。 アップルパイをぶらさげて駅への帰りの道を急ぎながら、少し変わってしまった町の風景を眺めていると、ふと「あの日」のことを思い出します。 さて、きょうは終戦の日です。戦争が終わって62年がたった今でも、「あの日」のことをつい昨日のように思い出す方は多いのではないでしょうか。 なんだかその気持ち、わかるような気がするのです。 2007年8月14日(火) バイクでGo! 美瑛−富良野 昨日の話ですが、富良野観光協会に用事があって、午後からオートバイで出かけました。太陽めらめら、暑い午後でした。 小型のオートバイは駐車場所に気を遣わず、燃料も車の半分以下で済みます。エコだし混雑している場所に行くには特に最適です。 気温は33度。真夏の太陽が照りつける富良野盆地を走りました。上富良野の東の町はずれにある後藤純男美術館から富良野までは、20kmにもなるまっすぐな道。アクセルを時速70kmに絞ってひたすらまっすぐ走ります。 前富良野岳の爆裂火口がこっちを向いています。旭岳の地獄谷火口に似ているなあ、なんて思います。火口から押し出された溶岩や泥流によって形成された丘陵地帯が盆地のすぐ手前まで城壁のようにせり出しているのがよくわかります。 田園地帯ではお盆だというのに農作業が行われています。タマネギがごろごろ転がって人々が忙しそうに立ち働いています。メロンやスイカの畑はもう収穫が済んだのか閑散としていました。 稲穂もいいカンジに垂れています。 ひたすらまっすぐ走って30分ほどで僕とオートバイは富良野の市街地に吸い込まれていきます。用事を済ませたら、また同じ道を走ります。飽きないなあ。 シーズンが一段落したら、今度はぜひ自転車で走りたいと思いました。30度〜35度くらいの真夏の太陽の下を自転車で走るのが僕は好きです。 夏はいいですね。 2007年8月13日(月) 本当に幽霊はいるのか? もちろんいますよ、僕は何度も会ったことがありますから。 ヒグマに遭った回数よりも幽霊のほうが断然多いです。 幽霊と聞くとムキになって真っ赤な顔して全面否定するひとがいるけど、はっきり言って余計なお世話なんです。人の記憶や経験まで否定するなっちゅうねん。ほんま失礼なやつらやわ。 それやったらヒグマの存在を否定してみろっちゅうねん。と思います。 ことさら面白おかしくお話することではないけれど、ひとつ確かなことは、幽霊は怖くはないです。僕はそう思う。 あ、ヒグマも怖くはないですよ。あ、ちょっと待って。やっぱ怖いです。 霊は怖い。それは話のネタとしてだと思います。格好のネタですから。 ヒグマは怖い。どうかな?あ、やっぱ怖いかな。(優柔不断なオレ) もうひとつ。幽霊って名前は、ちょっと不似合いだと思う。もっと現実的な名前はないものか。ヒグマみたいに。 昆虫、とか、動物、とかいうふうに。 幽体?霊魂?それもちょっと違うなあ。 鯛、とか、ウニ、とか、ホッケとか。 チキンラーメン、とか、スイカ、とか、カボチャ団子、とか。 う〜ん・・・。なんだか違う方向に行っちゃうなあ・・・。 ところで、いちばん身近な幽霊といえばアレでしょう。たぶん誰にだって経験があると思います。 誰かにジ〜っと見られているようなカンジがすることってありませんか? あるでしょ?ありますよね。あるはず。 ボクの場合、ファーストコンタクトはそんなカンジです。 自然界には自然界の霊があるし、人の霊はやっぱり人のいるところにいます。 いろんな人(霊?)がいます。 ヒグマにもいろんな性格のやつがいるようですが、概して怖がりなのかな?と思います。 なぜって、ヒグマはすぐ飛びあがって逃げるんですよ。 その早さといったら! 2007年8月12日(日) お盆と先祖霊のお話 10日ぶり、やっと晴れました!北海道もようやく梅雨明けです。 いやもう、ほんとにそう思います。毎年のことなんだから北海道には梅雨がないとか何とかゴチャゴチャ言ってないで潔く梅雨明け宣言しろ!っちゅうカンジです。 さて、お盆に入りました。 ボクが子供のころ、お盆には家族全員でのお墓参りが恒例行事でした。 お盆といえば昔から、ご先祖様の霊が帰ってくる、と言われています。でも皆さん、それっていわゆる「迷信」みたいなものって思っていませんか? 8年前だったと思います。僕はお盆に、父方のご先祖様に呼ばれて動揺したことがあります。そのころすでに僕は北海道の地でガイドの山小屋を開業していました。夏休みで賑わう店を、先祖からの危急の知らせを受けて飛び出したのです。 うまく言えませんが、ただならぬものがあったのです。 いやね、別に天国から電話がかかったとか、そういうんじゃないですよ。 もちろん江原さんに言われたわけでもないです。 ただ、ただならぬものを感じて、「帰らなければ!」と思ったのです。 しかしながら言うまでもなくガイドの山小屋は、アウトドアレジャーの店です。お盆休みにリーダー不在なんて、本来あってはならないのです。 あのころはカヌーやトレッキングといったツアーアクティビティが盛んで登山ガイドなどのスタッフがたくさんいたことが幸いしました。そのなかで個人的な友人でもあるベテランのTさんがリーダーを務めていたおかげで、突発的な僕の不在分を補っていただくことができました。Tさんには感謝しています。 さて、店を飛び出したボクは車で、一路小樽を目指します。しかしお盆。小樽港は物凄い混雑で、予約もなしで乗用車を伴うボクが1日1本のフェリーに乗れるはずもなく、そのまま順番待ちのためにだらだら過ごすことになりました。 このときほど故郷が遠いと感じたことはありません。 そのまま2日間がすぎ、僕も落ち着きを取り戻しました。そろそろフェリーに乗れるというころになって、にわかに仕事のことが心配になりました。 結局フェリーには乗らず、故郷には帰りませんでした。 ************** さて、そのころ僕の故郷では何が起こっていたか。 僕が二二歳のころに亡くなった僕の父には、再婚した女性がいました。その女性は、相続した財産の処分の一環として先祖代々の墓地を掘り起こして他に移したというのです。墓地は先祖代々から受け継いでいる山林の一角にありました。旧家ですから、お墓にも土にも先祖の血と肉が染み付いています。 田舎では戦前まで土葬が一般的でした。 何百年の眠りから強制的に叩き起こされたご先祖は、幼いころから成長を見守ってきた、ほんの10年前まで長男だった(すでに過去形でしたが)僕に助けを求めたのではないでしょうか。 何とかしてくれ。 頼れる者は、お前しかおらんのじゃ。 それは、悲痛な叫びだったと思います。 僕はその10年前に父方の戸籍から除籍して、いったん途絶えていた母方の家を継いでいたのですが、もしこの事件を知ることが出来たなら、この愚行を止められたと思います。だからご先祖様は僕に助けを求めたのだと思います。 ご先祖様には本当に悪いことをしました。 本当に本当に済まなかったと思うのです。 いまお墓は公営墓地に移されて、かつては松林のなかにずらりと並び、長い歳月、静かに苔むしていた先祖代々の墓石も、いまではたった1基のつるりとした碑のようなものになってしまいました。 僕は今でも年に1度、必ずお墓参りをしています。毎年お墓に向かってこの事態を招いた父を叱ったり、ご先祖様に非力を詫びています。 かつてお墓があった山林の近くを通るとき、僕のなかには言葉では表せないような感情が湧き出してきます。それは平和だったころの家族の思い出とかそういうものかもしれませんが、そのとき僕は父とのはっきりとした親子の絆を感じるし、先祖 からは今でも見守られているような気がするのです。 8年前のあの日以来、ご先祖様の声が聞こえることはもうありませんが。 さて、今年もお盆がやってきました。 さすがにこの時期にお墓参りに行くことはできませんが、僕は北の大地から、はるか南西の方向に向かって静かに手を合わせます。 「待ってろよな。12月になったら今年もお墓参りに行くけんね。」 2007年8月9日(木) 夕立、雷、突風 おはようございます。今朝も小雨が降っています。今月はまるで梅雨のようなお天気で一向にカラリと晴れません。いつ空を仰いでも、重たい灰色の雲。 それどころか、ここのところ毎日、午後になると 「神の怒りか?」と思うような激しい夕立があります。 湿度の高いモワーッとした朝を迎えると、必ず夕立があるような気がします。定期的に気象庁のレーダーを閲覧しているのですが、日中、気温が上がり始めるころ、 レーダー上では北海道各地の沿岸や山麓で点のように雷雲が発生するのが確認できます。雷雲を示すその赤い点は徐々に内陸に向けて広がりながら移動して、午後 の遅い時間にはついに美瑛富良野地方を襲うのです。 ここのところ毎日、このパターンが続いています。 それにしても、激し過ぎます。特に落雷の無差別攻撃は、もしや地球が狂っちゃったのか!? ついに恐怖の大王の君臨か!? これが毎日なのですから。 近年、短時間に激しく降る雨が増えたような気がするのですが、気にし過ぎでしょうか。美瑛でもあちこちで頻繁に畑の土が流出する事態になっています。 高山においても、“午後になるとにわかに雲が沸いてきて雨になりやすい”、という本州の温暖湿潤性山岳気象は、これまでは亜寒帯である北海道の山々には該当しないというのが一般的な見方だったのですが、ここ数年は北海道の山岳気象も確実に本州に近づきつつあるように思います。 この変化が、なんだか気持ち悪いなあ、と思うのです。 地球のどこかが狂い始めているんでしょうか? 気のせいだといいんですが。 2007年8月8日(水) トランシーバー じめじめお天気。これでは気分も晴れません。 昨日もまた霧雨で1日が始まりました。どんよりした日中を経て夕方には雷を伴った猛烈な夕立になりました。なんとも空気が重たいこと。およそ北海道らしくありません。我が家の地下室では天井まで積み上げていたダンボール箱が 湿気を吸って崩れたりしました。 今朝は霧雨は降っていませんが、モワーッとしてます。蒸し暑くなりそう。 さて、お店での仕事でも野山の仕事でも、僕らはいつもトランシーバーを身につけています。コミュニケーションツールとしてトランシーバーは欠かせません。 そのトランシーバーですが、なかなか「これ!」ってものが見つからないんですよね。 いちばん長く使ってきたのはケンウッドの特定省電力トランシーバーと呼ばれるものです。飛距離は短いのですが、音質がよく、会話をスムーズにする機能がさりげなく付いていて、とても使いやすいものでしたが、12年を経てとうとうヘッドセットが壊れてしまいました。ヘッドセットというのは、ヘッドホン型マイクのことです。お店での仕事には欠かせません。これがあるだけでアルバイト1名分の効率アップになるのです。 そのほか、アマチュア無線機も含めると5メーカー10台ものトランシーバーが転がっています。しかし、どれもこれも、 「帯に短し 襷に長し」 困ったものです。 さて、飛距離もあって音質も良くてコンパクトで値段も安くって、しかもカッコイイイ。そんなトランシーバーを探しているのですが、う〜ん、なかなか見つからないものなんですよね。 先日も通販でなかなかいいカンジのトランシーバーを見つけて本体+ヘッドホンマイク+その他オプション品をまとめて購入したのですが、音質がひどくて使い物になりません。3万円の投資が無駄になりそうです。 やっぱり通販は苦手だなぁ・・・。 午前10時を過ぎて、きょうも蒸し暑くなってきました。せめてきょうは雨が降らなければいいのですが。 2007年8月5日(日) 8月の長雨。 雨の季節です。 南北に長い日本列島が3ヶ月に及ぶ梅雨の季節を経て最後に東北地方が梅雨明けするこの時期は、短いながらも北海道が入梅する季節でもあります。 北海道に梅雨はないというものの、上空にはしっかり梅雨前線が鎮座します。 テレビではニコニコ顔でワンピース姿のお天気予報お姉さん、 「太平洋高気圧に覆われて全国的に暑くなります」とニッコリ。でもね、ちゃんと冒頭に「北海道をのぞいて」って言うんですよ。 北海道をのぞいて。 「おいおい、おれたちはのけ者かよ?」なんて思っちゃう。 お茶の間でプチ僻んでいるボクなのでした。 さて、毎年のことなのですが、この季節はまるで梅雨のようです。本州の梅雨を知っているだけに、リラ冷えの氷雨よりも、この季節のほうがはるかに蝦夷梅雨と呼ぶにふさわしいと思います。 なお、蝦夷梅雨には諸説があります。主なものでは5月下旬から6月上旬にかけて降り続く冷たい雨(リラ冷え)を指すというものと、7月下旬から8月上旬にかけて梅雨前線によってもたらされる雨の季節を指すというもの。今の季節は「梅雨前線によってもたらされる雨の季節」に該当します。 異常気象、温暖化なんのその、本州に梅雨がある限り、北海道にも梅雨は毎年ちゃんとやってきます。畑をうるおし、森をはぐくみ、動植物たちをホッとさせてくれる8月の雨。 雑草も、ものすごい勢いで伸びます。あああ、草刈りしなきゃ。 今朝も霧雨で1日がはじまりました。 2007年8月4日(土) 僕たちの夏休み ガイドの山小屋は8月1日にお休みをいただきました。 アウトドアレジャー業の宿命というべきか、ボクの子供たちは夏休みの間にどこにも連れて行ってもらえません。理由はもちろん、「忙しいから」 夏に、雨の日以外で店を休むことは問題があり、ガイドの山小屋営業会議は紛糾しました(ほんとに)。ついに、1日だけ、ということで妥協決着。そして先日、おチビちゃんたちを連れて、旭山動物園に行ってきました。 おチビちゃんたちはすでに車のなかから大ブレイク。アドレナリン大量放出。 車のなかは猛烈な温暖化です。おいおい君たち、うちはチーム・マイナス6%なんだよ。 い、いやぁ、それにしても旭山動物園。ウワサどおりの物凄い人出でした。どこもかしこも行列のオンパレード。 数時間でいろんな人間と行列を見られました。いっぽう、動物はじっくり見られませんでしたが。やはり空いてるときに行きたいものです。そう思いました。 夜遅く、疲れきって帰ってきましたら、ガイドの山小屋にはたくさんのお客さんが訪れた形跡がありました。事前にWebで告知はしていたんですが、やっぱり・・・。よい天気でしたからね。 みなさんごめんなさい〜。 さて、それ以降は2、3、4とパッとしない天気が続いています。まるで梅雨のような空模様です。お客さんも少ない。 どうせなら、いま休業すればいいっしょ?と思うことしきり。 なんだか恨めしい。 8月4日、きょうも雨です。 2007年8月2日(木) ひまわり畑と山本モナ 美瑛の丘ではキガラシ(菜の花のような)に続いて、あちこちの畑で緑肥にするひまわりが大輪の花をつけています。 でっかい花ですね〜。 満開のひまわり畑は迫力があります。 ひまわりは太陽の方向を向く性質があるので、南の方角からみると、みんながこっちを向いていて、なんだか大勢の人前にいるみたいで緊張したりします。 でっかい顔の集団ですね〜。 さて、話かわって。 ボクはクイズ番組が大好きです。ナントカ大会等に出場した経験はありませんが、長距離フェリーのなかで行われたクイズ大会では優勝したこともあります。今から18年前の夏の旅、北海道小樽へ向かうフェリーでのことでした。 小さい話です。お恥ずかしながら。ひまわりに申し訳ない。 そんなボクのライバルは目下のところ、山本モナです。彼女は手強い。 今のところ3勝11敗です。昨夜も負けて11敗目を喫しました。 クイズ番組と時代劇が好きなボクなのです。 ああ、やっぱり小さい話ですね〜。 顔はでかいのに。 さあ夏です。スイカは富良野の北の峰、メロンは山部のキングルビーですよ。 でっかいことはいいことです。 2007年8月1日(水) 心ないひと 畑のなかに車を乗り入れて写真をとっている観光客を見かけました。 刈取が終わったばかりの麦畑とはいえ、畑のど真ん中です。これはひどい。 咄嗟に110番通報をしようと思って携帯電話を取り出しましたが、とばっちりを恐れて発信するのをやめました。 心無いひとにも腹が立ちますが、通報することができなかった自分にも腹がたちます。 最悪の気分です。 |