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2009年7月31日(金)
気がついたら7月が終わり。 なんだかずっと雨だったなあ、なんて思うのだ。
6月にはインフルエンザが直撃し、不景気と、さらに異常気象が追いうちをかけた。 来客は少なく、売上が半減した。 お天道様を仰ぎながらそうつぶやく僕らは、それでもまだマシほうだ。
いま美瑛は小麦の収穫の時期にきている。 いや、正確には、本来の収穫期をとうに超えつつある。
例年、6月、7月の美瑛は雨が少なくてカラカラに乾燥する。 小麦は乾燥地帯の作物。オーストラリアの砂漠に近いような荒野で大規模に育てられている、そんな植物だ。 6月7月の美瑛は、小麦の実りには最適なのだ。
本当ならば、そうなのだ。
しかし、今年は違う。 7月のほとんどが、ぐずついたお天気だった。 雨が多かった。いやもう本当にそうだった。 ボクが美瑛に引っ越してきて13年になるが、こんな年ははじめてだ。 昔から住んでいるひとも、同じようなことを言う。
僕は四国で生まれ育ったが、南国四国の梅雨と比べてもそん色ない、 いや、それどころか雨量は明らかに多かった。
そんな7月だったのだ。
小麦畑に異変がみられる。 農業の素人であるボクにでもわかる変化だ。
この時期、小麦は薄茶色になって丘全体をゆらす。 小麦色、というやつだ。 豊かな実りは美しい。
ところが、
今年は美しくない。 なんというか、灰色なのだ。 穂が倒れたり折れたりしている畑も目立つ。 これまで灰色の小麦なんか、見たことがない。 遠目だけど、穂(実)が痛んでいるんじゃないかと思える。
長雨が原因なんじゃないだろうかと、心配だ。
本当ならばもう収穫が終わっている時期だ。 それなのに、雨が続くせいで収穫が終わらない。 雨の日には収穫ができないという。雨に濡れて質が悪くなるという。 そう、小麦は本当は乾燥地帯の植物なのだから。
こうして日をおうごとに、どんどん色が悪くなっていく。
そんな変化を見ていると、たまらない気持ちになる。
それでもまだ、大麦の畑はいつものように美しい。 大麦とは、ビールなどの原料になる、アレだ。 穂からは、長いヒゲのような毛のような穂先がのびて、風に揺れる。
美瑛の産業は、農業だ。観光じゃあない。 美しい風景は農業の風景。 僕ら観光関係で食っている者は、農業の裾にぶらさがって おこぼれを頂戴しているにすぎない。 乱暴な言い方をすれば、ヒモのようなものだ。
農業が打撃を受けたら、町全体が困る。 せめて天候が回復して、これ以上の被害にならないよう、 ただただ天を仰いで祈るばかりだ。
美瑛は昨日からようやく天候が回復してきた。 きょうもいい天気だ。空も青く澄んでいる。
これでこそ美瑛なのだ。
2009年7月28日(火)
プロガイドの世界にも国際化の波がやってきた。 そのうち英語がしゃべれないガイドは生き残りが難しくなるかもしれない。 国際化は観光でもビジネスでもいまや当たり前。もう誰も逃げられない。独立系の仕事をしているひとならば、今後避けては通れないだろう。
さて、ガイドの山小屋は僕と女房のふたりで切り盛りしている。かつては山岳ガイドやカヌーラフティングガイドなどを何人かのガイドたちと一緒にやっていたが、今では基本的にボクと女房だけでやっている。夏は主にレンタサイクル、冬は冬山だ。
ただでさえ食べていくのが難しい独立系のプロガイドのなかでそれでも生き残っているのは、「英語を話せるおかげだぁ」と、思っている。 英語様ありがとう。
女房とボクは同じ高校のクラスメートだった。 女房は特に英語の成績が抜きんでていて、悪くて80点、ふつう90点台で100点も珍しくないという変態的優等生だった。 いっぽうでボクはいつも大苦戦だった。そんな二人がラブラブで付きあっていたわけだから、ヘンテコなカップルだっただろう。
そんな受験英語の申し子のような女房だけど英会話には苦戦した。 ガイドの山小屋も5、6年前から急速に外国人のお客さんがふえた。当時、レンタサイクル屋さんのなかには外国人を追い出すところもあったようだが(今はそんなことはない)、ボクたちは積極的に受け入れたので重宝された。英語が得意だったわけではないけれど、まあなんとかなる程度ではあったのだが、最初のうち は、正直いってちょっと国際化が急速すぎてついていけなかった。
ボクは、いわゆる「トラベル英語」で立ち向かった。外国をひとり旅するときの英語だけど、けっこう使えた。文法が正しくないとか、訛りがあるとか、いろいろあるけれど、今もそれで通している。毎年ニュージーランドとかオーストラリアで2ヶ月弱、旅暮らしをしている ことが大いに仕事に役立っている。グダイとがノーウォーリーとかを連発するのは、トラベル英語のクセだ。
こうした環境的優位でかつての優等生に、しばらくは差をつけていたんだけど、さいきんはどうも立場があやしい。 僕たちの仕事は毎日英語を喋るので、女房もだんだん慣れてきた。苦手だった聞き取りも上達して、いまは大抵のことを自分で解決するようになった。
ボクはだんだん活躍の場が減ってきた。
さすがは元優等生。下地があるから、あとは慣れてしまえば、やっぱり世界に通用してしまうようだ。悔しいが、認めないわけにはいかない。 さいきん、わからない単語を女房に聞くとポンポンといとも簡単に答える。あっという間に 再逆転されて、ちょっと悔しい。「どや!」みたいな上から目線が悔しい。
たまに、中学2年の長女にも単語の意味を聞くことがある。 たまに、長女にも負ける。これはヒミツだけど。
14歳の長女はさいきんお年頃で、基本的にオヤジたるボクを敬遠しているようだが、英語を喋るという点だけは別のようで尊敬の眼差しになる。 やばい。正体がバレないように頑張らなければ。
中学、高校では英語が得意だったけど、外国人に話しかけられたら逃げ腰になるというアナタ!ペラペラになりたいですか?
あ、勉強なんて全然必要ないと思います。ぜ〜んぜん。 慣れれば自然に喋れるようになっちゃいますよ。 いやホンマに、マジで!
きっと、たぶん、ボクなんかよりははるかに上手になると思います。
ボクがおすすめする英語おもしろ番組 @トラッド・ジャパン(NHK教育) ABEGIN Japanology(NHK総合)
さいきんボクは、元々の辞書の貧弱さ(もともと覚えている単語や熟語が少ない)と、完了形や受動態、分詞、動名詞、仮定法などの文法をマジメに勉強してなかったせいで 大きな壁にぶつかっている。 せめて高校ではちゃんと勉強しとけばよかったなあ、なんて思うのだ。 あ、もちろんいい大学にいくためではなく、もっとクールに遊ぶために。
ちゃんと遊ばなくては、いい仕事はできないのだ!
2009年7月26日(日)
登山好きの業界にいるものとして、どうしても気になるのは、ヒマラヤだ。 誰もが一度は・・・と、憧れるだろう。 僕にも夢がある。エベレストの頂きに、とはいわないが、具体的な計画だ。
新疆ウィグル自治区側から入り、パキスタンへと抜ける。伝統的古典的シルクロードをつなぐヒマラヤトレッキングに、実現の可能性を見出している。トレッキング向きの情報も多く、ロンリープラネットの「カラコルムハイウェイ」などに細かい情報が提供されている。僕にとっては翻訳が難儀だけど、それだけの価値は十分にある。
僕はいつも一人旅なので手段が限られるが、古典的シルクロードを行くプランはひとり旅の僕にでも実現が可能なのだ。しかもお金もかからない。資金はざっと三十万円もあれば十分だろう。ただし、ボクが使える外国語は簡単な英語だけなので、どれくらい困難なのかはまだよくわかっていない。北京語やアラビア語のほうが、はるかにリスクを減らせるだろうとは思う。
新疆のカシュガルからクンジュラフ峠をこえてイスラマバードへ。夢のようなプランだけど夢ではない。絶対に行けるはずだって思ってる。
ただ、困ったことがある。この地域の治安と政情の不安定化だ。中国インドパキスタンアフガニスタンなどの国々が国境を接するこの地域は今や世界の火薬庫となった。重ねて、中国内の民族問題の活発化。新疆の暴動はいまもくすぶり続けている。K2には罪はないのだけど。
参ったな。
僕は40歳になるまでにこのルートを制覇するつもりだったが、米国の対テロ戦争がはじまりパキスタン国境があやしくなってしまってから計画を延期しつづけている。その間には、オーストラリア大陸を自転車で横断したりしながら時を待ったが、状況は悪くなるばかりだ。
今年、来年の実現も絶望的だろう。もうひとつの目標、南米行きのほうが実現の可能性が高い。お金さえ工面がつけばいつでも行けそうだ。
政情不安は、僕らの自由な夢さえも妨げる。 自由な夢などと甘いことを言っているけれど、こんな甘っちょろい夢をもつおかげで毎日が楽しく過ごせるのだから、青臭い夢も決して悪いものではないと思う。
それなのに、テロや核兵器のニュースはそんな僕たちを、暗い気分にさせるのだ。
2009年7月25日(土)
またまた雨だ。嫌になるな。 こうも雨が多いと経営に影響がおおきい。参ったな。 まあ、ジタバタしても仕方がない。雨の日はおとなしくしよう。 間違っても登山などしてはイカンよ。
午前中しばらく様子をみたけれど店を閉めた。 もちろん売上はゼロ。冷やかし半分面白半分のお客さんすら来てくれなかった。 大型バスの予約が1件入っていたが、さすがにキャンセルになった。 台湾のひとは元気がいい。小雨くらいなら平気でやってくるんだけど、きょうはさすがに来なかった。 もっとも、一度に30台も40台もズブ濡れになったら、僕らも大変だ。ママチャリは放置するとたちまち錆びがはじまるので直ちに乾いた雑巾で拭きあげなければならない。それは大がかりな作業になる。 たまになら自転車がきれいになるからいいんだけど、ここのところしょっちゅうだし。
用事があったので旭川空港に行ったら、土産物屋さんには「花畑牧場」の生キャラメルが山積みされていた。圧倒的人気に支えられてどんどん新工場を作って増産を繰り返しているようだけど、さすがに若干人気の陰りだろうか。7月の土曜日の午後だというのに、売れ残っている。 もちろんジャガポックルも山のように積まれていた。かつての人気はもうない。
みそラーメンを食べに「吉し乃」に行ったら、満席。たくさんのお客さんが空席待ちで並んでいた。こちらは正統派で人気は底堅い。おいしいものはおいしい。観光客だけでなく地元のひとにも支えられている。
仕方ないので回転寿司の「トリトン」にいった。ここにも行列ができていた。1時間待ちとか2時間待ちとか言ってる。退散退散。
おなかを空かせて郊外の大型ショッピングセンターに向けて車を走らせた。途中で「秀岳荘旭川店」のまえを通る。駐車場には見覚えのある車が何台も停まっていた。
雨の土曜日。みんな途方に暮れて秀岳荘に集まってくる。 ここに来れば知った顔に逢えるし、暇つぶしにはちょうどいいなあ。
そんなことを考えながら店の前を通過した。 寄り道したかったんだけど、あまりにもお腹が空きすぎていたのだった。
夕方、美瑛に帰ってきたら美瑛川の水かさが増していた。赤茶けた泥水が轟々と流れていた。どうやらかなりの大雨になったらしい。
2009年7月24日(金)
うちの牧羊犬(メス)は今年、18歳になる。 18年間まったく病気も怪我もせずに元気に働いてきた。 毎日、美瑛の丘を走りまわり、サイクリングのお客さんの安全を陰から支えてきた。お客さんのなかにもウチの働き者の牧羊犬を見たことがある人は多いだろうけれど、内気な性格なので言葉を交わしたひとはほとんどいないと思う。存在そのものに気付かないひともいたのではないだろうか。
その、うちの牧羊犬がついに病気になった。 ある朝、 「さあ仕事だ、いこうぜ」と声をかけたら、まったくピクリとも動かず、ガレージの隅にうずくまったままウンともスンとも言わない。
焦った。 仕事も控えていたからなおさらだけど、なにしろ18年間いつも一緒だった相棒。いるのが当然だと思っていたら、突然こうなった。
いつも強気でかわいくないオレだけど、思いのほかうろたえた。
腹が減っているのかと思って食事を与えたが、全然食べない。というか、食べられないらしい。 考えてみたら、もう18歳なのだ。まだまだ若いと思っていたら、もうそんな歳になっていた。18歳といえば牧羊犬のなかではそこそこの年寄りということになるだろう。そろそろ隠居させなくてはいけなかったのかもしれない。
こき使いすぎた。
でも、でもお前を見殺しにはしないぞ。 必ず助けてやる。 また一緒に働こうじゃないか。
お腹のまわりや、心臓のまわりをさすったり叩いたりしてみた。 反応はない。 このままでは死んでしまうと思って、思いきって切り開いたりしてみた。
何もしないよりは、したほうがいい。
どうやら心臓に血液をおくる大動脈が詰まっているようだった。
あれこれ手を尽くした。 だいたいのことがわかった。 思い切って、手術することにした。もちろんオレが執刀する。
問題の部分を切り離した。小さな弁当箱くらいの大きさの電子部品と、大型の電池のような筒のような部品。そしてエンジンにつながる太いコード。 ここから送られる高電圧の電気によってエンジンに火花が送られて、エンジン内部のガソリンが燃えてエンジンが動くのだ。火花なくしてはエンジンは動かない。
弁当箱のような部品がダメになっていたようだ。新品を注文する。 そのほかは異常はない。健康だと思う。
この部品を交換したら、牧羊犬はふたたび元気を取り戻した。 やれやれ。
この牧羊犬は当時まだ独身だった頃の女房が連れてきた。250ccの小型オートバイで、野山を走るのに適している。エンジン付きのマウンテンバイクといっていい。
いまはこのオートバイでオレが美瑛の丘を走りまわる。パノラマロードのパトロールが常だが、ときに工具箱をつんでレスキューバイクとなって疾走する。ときに山のツアーの下見に出動する。十勝連峰の林道のことならコイツが知り尽くしている。 また、特に団体バスのお客さんがやってきたとき、お客さんをサポートするのには欠かせない存在だ。一度に40人、50人、ときに100人。たくさんのひとが一度に自転車にのって出発するから、これがなくては仕事にならない。
まるで牧羊犬のような仕事っぷりなのだ。
なんでもない小さなオートバイだけど、オレにとってはかけがえのないパートナーなのだ。
我が家にはもう2頭、750ccと1000ccの老馬がいるけれど、こちらは美瑛と神戸にある厩舎に預けてあり、いつも居眠りをしている。そのうちの一頭は30歳を超えていて、生きているのかどうかさえもさだかではない。
いつか迎えに行ってやろうとは思っているが、馬でパトロールするほどオレは気高くはないので牧羊犬のごとく、これからもしばらくはコイツと一緒に仕事をしようと思っている。 2009年7月23日(木)
昨日、僕の友人夫婦の奥さんが倒れた。 夕方、救急車で運ばれていった。
僕は仕事が終わってすぐに、その友人の店を手伝うことにした。 ピンチヒッターだ。 僕と交代して、旦那は病院にかけつけた。 救急車から遅れること2時間だった。 僕は、もうひとりの友人と2人でなんとか店を切り盛りした。 仕事が終わって帰宅したころには0時を過ぎて日付がかわっていた。
帰宅したら、女房が困った顔で待っていた。
きょうもテレビ局の取材の電話で困ってしまって・・・。
取材とは、トムラウシ遭難のことだ。 ワイドショーじゃあない。 熱愛発覚とかじゃあ、ないぞ。 おそらく、北海道じゅうの主なプロガイドが同じ目に遭っているのだろう。
札幌のとあるローカルテレビ局から、何度も電話がかかってくるのだという。 今度は地元のテレビ局だ。参ったな。 正直に、帰宅は夜遅いといっていたら、夜になっても何度も何度も電話があったのだという。
「夜なんですけどっ、まだですか、まだですか!」 「本当に帰ってきてないんですかっ!」
たぶん、居留守でも使っていると思っていたのだろう。 最後には露骨に不機嫌になったという。
テレビ局なんだけど、どうなのよ?みたいな高飛車さだったという。 だからって、何なんだ?
はぁ・・・。困ったものだ。 こっちはそれどころじゃなかったのに。
そもそも俺は、おめおめと取材にこたえる気はないが、 取材の姿勢がこんな具合ならなおさらだ。
全部とはいわないけれど、 こういうときマスコミは自分勝手すぎる。 どうしても好きになれない。
友人の奥さんは、その後回復した。 テレビ屋さんもあきらめたらしい。 やれやれ。とりあえずはひと安心。
2009年7月20日(月) 7月21日更新
今年の7月はとても雨が多い。 まるで梅雨のようだと人々は口ぐちに言う。 本州の梅雨を知っている人たちは、これがただ単に「天候不順の年」ではなく、まさに入梅なのだと本能で感じていることだろう。
古来、北海道にはなかった梅雨が、ついにやってきた。 正式に梅雨入りや梅雨明けを発表する日も近いのではないだろうか。 温暖化のせいだと語るのは簡単だけど、ある意味おそろしいことだ。
ここ2〜3週間は1〜2日ごとに雨が降る。 19日が土砂降りで、20日が晴れで、21日は曇りのち雨。 22日はまたしても雨だという。
雨の止み間を待ちかねたように牧草地の牧草が大急ぎで花粉を飛ばす。 雨が降りだしたら花粉は洗い流されるので、わずかな晴れ間に一度に飛ばす。 子孫を残そうとする生き物の本能だろうか。
やってくる旅行者のなかには花粉症をお持ちの方も少なくないと思う。 杉やヒノキがない北海道に油断してはいないだろうか? 期間は短いし範囲も限定的だけど、牧草は多くの花粉症患者にもアレルギーをおこすやっかいな花粉だ。
「あれ?おかしいなあ。風邪か?」 朝晩が肌寒いから、風邪だと思うかもしれない。 でも、目もシバシバしたら、それは花粉症。 あなたに取りついた悪霊のごとし、花粉症。 スピリチュアルでも、この悩みは解消できない。ああ江原さん・・・。
雨が止み、晴れ間がのぞくとうれしいが、まもなく鼻水とクシャミがやってくる。 花粉症のみなさん、お気をつけあれ。 旅には花粉症のお薬持参がいいですよ。
さて、このところ報道がうるさい。トムラウシ遭難事故の報道だ。 現在わたしたちが知ることができる情報だけでも、コスト優先利益主義のツアー会社の体質と、お客さんたちの意識(観光にきてるんですと言ってのける人たちに大雪山を登山するのだという気概は感じられない)、プロではないアシスタントガイドの力量不足 などに問題の根源を見ることができるが、ターニングポイントとなるのは、なぜリーダーが判断を誤ったかという点だろう。会社とお客さんに挟まれて 、さらには1日でも下山が遅れることによって引き起こされる遭難騒ぎなどを懸念して、何があっても下山しなければという強迫感、いろんな要素に苦悩しながら判断をあやまり、最後はお客さんを守りながら亡くなってしまったリーダーガイド。 今回の事故にはいろんなところに問題が見られると思う。
これらのことが複合的に重なって事故をまねいたのではないか。 最終的にはパーティが分断してしまったことが致命的だった。 最初の脱落者があらわれて動きが鈍くなったパーティをみかねるように、自分勝手に動き出した参加者たちをもう一度再編するのが、アシスタントガイドの役目だ。
ただ、このアシスタントガイドはアルバイトだったのだろうか。その力量がなかった。 資格をもたない、自称ガイドだった点もいただけない。
ただ、この会社のコスト主義ならば、アシスタントにプロガイドを雇うようなことはしなかっただろう。学生のバイトでいいと考えていたのではないだろうか。 アルバイトにそこまで求めるのは酷かもしれない。
勝手に動き出したひとたちによってツアーは一気に崩壊する。それぞれ勝手に歩きだした人たちに促されてたくさんの人が釣られて歩きだしてしまった。若いガイドたちはそれを止めることができなくなってしまったのではないか。 その結果、いろんな意味で不幸なことが待っていた。亡くなる必要のない人までがたくさん亡くなった。 推測にすぎないかもしれないけれど、それを裏付けるような証言があり胸騒ぎがする。
本当に本当に残念だ。
しかしマスコミ!
あなたたちの罪も重い。 あなたたちもこの事故の一端を担っているかもしれないことをわかっているだろうか。 綺麗ごとばかり並べて、悪者と弱者に区別して、悪者役を徹底的にいたぶる。相変わらずの善人面したクソ野郎たちだ。自分たちは何なのかと言いたい。
オレの小さなオフィスにまで、連日取材攻勢がある。いま忙しいのに!
では、逆に報道屋さんに問いたい。 あの日18人が下山しなければ、「トムラウシ山で18人下山せず。大量遭難か?」と大袈裟に報道しなかったと言い切れるのか?翌日に下山してきたパーティを追い回して、ついには謝罪会見をさせるのではないか? そう、いつものように。 プロガイドたちはみんな知っている。みんなそのことで悩んでいる。いつか事故になるぞと言われていたが、そのとおりになった。
ここにも今回の事故の原因のひとつがあるのではないか?ご存知の方は今年冬の黒岳遭難騒ぎを思い出してほしい。ホワイトアウトで下山を見合わせて、翌朝安全になってから下山した2つの外国人パーティと日本人ガイドに対して、どういう報道をしただろうか? あのガイドはどう考えても正しい判断をしたと思うのだ。間違っていない。 全員が無事だったではないか。
そういう例があとをたたない。
今回のリーダーガイドもまた、下山しなければ報道で叩かれることを危惧したと考えるのが普通だろう。判断をあやまらせる原因のひとつと考えるのが自然だ。
その報道屋たちが正義の味方よろしく連日あれこれわめいている。
やれやれ、事故から数日がたってやっと静かになってきたと思ったら、今夜は東京の大手テレビ局さんだ。 22日にトムラウシに行きたいんですけどガイドして・・・。だと? いい加減にしろよな。
22日は雨だという。あの日と同じように冷たい雨になるだろうか。 なんなら雨のなか連れ回してやろうか?死の彷徨だぜ。いい画がとれる。
ガイド判断ミスの事故だと、こいつらほんとうにそう信じているのか? オレはそうは思ってない。それもアリだがそれに至った理由があるはずだ。 オレの場合、ツアー会社を非難してガイドを断罪したほうが正義の味方っぽくて株があがるだろう。 でも、プロガイドとしての本能がそうさせない。
最初に倒れた客を守りながら亡くなったガイドに全責任を押し付けようというのか?いい加減にしろよ。
おれはいいひとを演じる気はない。 正義の味方でもない。 とんでもないことを言い、切れまくってわめいてやるぞ。
まあいいや。なんでもいいや。
なあみんな、生きて帰ろうな。 みんな、みんなは客じゃないぞ。おれの友達なんだ。 だからね、生きて帰ってもらわないと困るんだよ。
おれも生きて帰るからさ。
言っとくが綺麗ごとじゃないぞ。本音だ。 友よ。冬にまた会おう。 またいつものように露天風呂でバカ話でもしようじゃないか。 2009年7月18日(土)
大きな事故になってしまいました。 我がオフィスにもマスコミなど各方面から取材の電話が!プロガイドの名簿でも出回っているんだろうか?まいったな。 思うことはいろいろあるけれど、事故について何か意見を述べるのはもっと落ち着いてからにします。ガイドの責任を追及する向きがほとんどだけど、いろいろ事情がありそうです。最期まで、倒れたお客さんを守りながら亡くなったリーダーガイドを責めるのは、ちょっと気が引けます。 実家からも電話がありました。 「遭難、大丈夫?」 あの〜、うち、貸自転車屋なんですけどね? 「美瑛岳でも遭難」に反応したらしいです。美瑛が大変だ〜!ということかな? まあいいや。 数年前まで僕も夏山登山を引率してました。いまは冬山だけのプロガイド業です。夏は主に貸自転車屋です。 今も旅行会社からのツアー依頼に限って受け入れることはありますが、それもなるべく他社を紹介するようにしてます。理由?まあそのへんはいいじゃないですか。 僕はよく雨のときや天候の悪化が懸念されるときは中止にしてました。でもでも、お客さんたちの間からは不満が噴出したものです。不満を噴出させるのは決まって本州からのお客さんです。ツアー会社さんからも嫌われました。 いっぽう、北海道のひとは諦めが早いです。仕方ないですねと。わかってるんです。寒いところだから。でも本州のひとは雨でも諦めないんですよね。 本州では雨の日でも登山やるんですかね?そういうことを言うお父さんお母さんが多かったです。これくらいの雨なら行きましょうよと。行けるじゃないですかと。せっかく北海道まで来たんですからと。 気持ちはわかります。すご〜く。 でも北海道の山はそういうわけにはいきませんよ。屋久島じゃあるまいし。 雨の日の登山なんて大雪山系では死の行進みたいなものです。 ゴアテックス?だから何? そういえばゴアテックスは防寒性が高いって信じているお客さんもいました。 あの〜、すぐれた防水性があるっていうことなんですよ。あわせて透湿性が優れてる。ナイロンなのに蒸れない。そこがすごい。 でも決して防寒じゃありませんからね。 防寒性はゼロに等しいです。厚さ0.1ミリのナイロンの布っきれですよ。 ここ10年の間にも、たくさんのひとが雨の日の登山で死にました。ほとんどが本州の人で、50歳以上の方たちでした。 死に急いではいけません。まだまだ、あと50年も人生が残っているじゃないですか。次の機会を待ちましょうよ。山は逃げませんからね。 2009年7月15日(水)
きょうは朝から雨だった。ガイドの山小屋は雨の日は休業させてもらっている。 雨の日に貸自転車もないだろう。だいいちあぶない。美馬牛の坂は美瑛のパッチワークの路とくらべてけっこう急峻。雨の日には道もすべるしブレーキも甘くなるので危なくってしようがない。 もちろん店をあけていたら、それでもポツポツとお客さんが来る。 でもそれがロクな結果に繋がらないことは過去10年の経験で身にしみている。だから営業はしないのだ。だって、お金さえ儲かればそれでいいというわけにはいかないじゃないか。 それはさておき、きょうの団体さん。 きょうも団体さんのバスがやってきた。てっきりキャンセルだと思ったのに、わずかな雨の止み間にやってきた。仕方なく僕らは雨傘をさしてバスを迎えた。 マジですか? 33人、真っ暗な雲の下、飛び出して行った。すげ〜。 でも、5分もしないうちに再び激しい雨が降りだした。えらいこっちゃ! 33人がてんやわんやで押し合いへし合いしながら戻ってきた。 ガレージのなかは阿鼻叫喚。 台湾のお客さんのパワーには日々圧倒されっぱなしだけど、さすがに雨にはかなわなかったらしい。 でも小雨くらいなら行くつもりだったのだという。すげ〜。 バスが去り、ふたたび店に静けさが戻った。 お店は、「雨天休業」の札を出して閉店。あたりは静まりかえっている。予約していたお客さんとはキャンセルの連絡を取り合って、きょうの仕事は終了した。 午後をいくらか過ぎたころ、自宅にいた女房が恐怖で飛びあがった。 施錠されていない裏口あたりから物音と人の気配。侵入者! 目深に雨合羽を着た4人の日本人女性。年齢は60歳前後だろうか。 鉢合わせるなり、こう言われたという。 「自転車を貸して・・・。」 あああ、「金出せ」じゃなくってよかった〜・・・。 お店が休みだったので建物の裏に回って施錠されていない裏口を探したのかな。 参ったな。 「関係者以外立入禁止」はあっさり無視され突破された。 脱力・・・ 正面玄関に時間外用インターホンがあるが、そういう正攻法は最初っからスルー 。 そりゃあないよ〜・・・。 在宅時にも戸締りはしっかりと、しっかりとね。 観光地に住んでいると、一般家庭にもこういうことがあるという。 家のなかを知らないオジサンが歩いていたりするのだとか。 こうなってるのかぁ〜、なんて言いながら写真撮ってたり。 これって、かなり怖くね? おちおち昼寝もしてられないじゃないか。 2009年7月13日(月)
困っている人には手を差し伸べることがある。良かれと思ってやることだ。 もちろん、お金のやりとりはない。 そういうことは誰にだってあると思う。 ある旅人の話。 オートバイで旅をしていたA君は、とあるメロンの売店で気さくな売店の人たちとすっかり仲良くなった。A君はお金をあまり持っていなかったけれど売店の人たちは 丸々と太ったメロンを1玉、真っ二つに切ったものを差し出した。 「まあ食べてみな。 お金? そんなもの気にするなって!」 A君は感激した。夢中でメロンにむしゃぶりついた。すばらしい思い出になった。 A君は旅で出会った人達にもその話をした。たちまち有名な話になって旅人の間を駆け巡った。 A君から話を聞いたB君がその店を訪れた。B君もまた感激の体験をした。 さらに、どこかでその話を聞いたC君が売店を訪れた。 「あのう、ひとり旅してるんですけど、メロンください」 タダではないと聞いてC君は態度を豹変させた。C君は店で暴れ、悪態をついて立ち去った。 売店のひとは言う。 「参ったよ。もうやらない。」疲れきった表情で語った。 これは実話だ。
北海道の人たちと旅の人たち。いろんな形での出会いやふれあいがあると思う。北海道のひとは親切で、多くの旅人が感動するから美談も多い。 でも旅行者のなかには、素朴な善意を土足で踏みにじり食い散らかして平然としている輩もいる。もっと残念なのは、親切や善意を当然のサービスだと勘違いする人もいるという点だ。前述のC君にも、果たして罪があるかどうか微妙だと思う。話の受け取り方の違い、履き違いにすぎない ともいえるのだ。 ガイドの山小屋でも似たようなことがあり、いま対応に苦慮している。 実は、似たようなことは時々ある。 僕自身、オフシーズンになると自転車で世界中を旅する現役の旅人だ。見知らぬ土地を自転車でひとりぼっちで旅をしていると、人の親切が身にしみる。 だからボクは、受けた善意や親切を還元する。当たり前のことだ。 でもそれがアダになることがある。思いがけず深刻な問題に発展することもあるから、どうしたらいいのかわからない。いっそ、親身なんてやめてしまえ! そのたびに反省するんだけど、これからもたぶん何もかわらないだろう。 まあ、いいや。 きょうはもう寝る。 2009年7月10日(金)
不況の影響やインフルエンザの流行が発端になって、今年はお客さんが少ない。 静かだなー。 今さら慌てても仕方がないから、のんびりいこうか。 節約節約!質素倹約! 僕らはそういう気分で今年の不況を乗り切ろうとしていた。 しか〜し! 今頃になって電話は鳴るわファックスは来るわメールは来るわで一度に色んなことがど〜んと押し寄せてきた。特に電話は1日じゅう鳴り続くのでお客さんの多い時間帯などはどうにもならず、 ただ鳴るに任せて放置している。 そうせざるを得ない状況なのだ。 おととい、約1か月ぶりに雨が降り久しぶりの休日になった。買い出しのためも半日お店を留守にしたんだけど、帰ってきたら事務所の電話には着信履歴の山が築かれていた。 きょうも1日じゅう雨だけど、きょうは休まなかった。電話だけで何十本受けただろうか。レンタサイクルの営業をしていたら内部崩壊したかもしれない。 さあて、問題は明日。土曜日。 団体さんと電動自転車の予約だけですでに予約いっぱい。 予約の大型バスだけで6台。しかしきっと、予約せずに突入する奇襲バスもあると思われる。奇襲をうければ小さなガイドの山小屋はひとたまりもなく押し潰されそうだ。 奇襲こわい。 けれど、わざわざ来てくれるのだから、ちょっとうれしい。 お天気はいい。気温も22度というから涼しくて快適な北海道らしい夏の1日になりそうだけれど、僕らにとっては熱い1日になりそうだ。 ところで団体さんの予約だけど、どう考えても自転車が足りない。 受注のときに時間と台数を調整したのに、前日になってから、みなさんこぞって変更変更という。 おいおい、最初の予約は何だったのよ? 結局、ほとんど同じ時間帯に押し寄せてきそうな勢い。 どうにもラチがあかない。台湾添乗員さんはガチ強い。 大阪のオバチャンでも遠く及ばないだろう。 しかも全然悪気がなく毒も吐かない。さわやかに無茶をいう。 さわやかに言うからもう、仕方ないなあ〜という気分になる。 「シャチョ〜さ〜ん、なんとかしてくださいよぉ〜」と懇願してくるのだ。 仕方ないですね、まあ来てくださいよ何とかしますからと言うしかない。 あ〜あ。オレはもう知らない。 とりあえずはもう、どうにでもなれという気分だ。 きっとなんとかなるだろう。 きょうはもう寝る。 2009年7月9日(木)
セイヨウオオマルハナバチという。
ミツバチの一種で、人を襲うなどの凶暴なハチではないが、駆除対象の外来種だ。
長い名前で、ちょっと覚えにくい。 美瑛を彩る野の花の代表にルピナスやコンフリーなどがあり人気が高い。さらには西洋タンポポなどは標高1500m付近の高山植物帯を侵食しつつある。ルピナスも物凄い勢いで山岳域を目指して分布を広げており深刻な状況だ。これらはすべて外来種で駆除の対象になっている。批判の声もあるだろうけど、このまま放置していては本来の北海道の美しく豊かな生態系が破壊されてしまうだろう。 2009年7月6日(月)
ガイドの山小屋はもともと小さな山岳ガイドオフィスで、貸自転車は副業にすぎなかった。登山やカヌーなどのアクティビティの合間に自転車を借りてくれる人がいて、そういう方のためにマウンテンバイクなど数台ずつ保有していたにすぎない。 宣伝をしたわけでもないのに、数年前から突然大型バスがやってくるようになった。それは主に外国人団体のもので、予約もなく突然やってくるので大いに面喰い、大慌てで部品を取り外した古い自転車まで引っ張り出して対応した。料金も1時間しか乗らないのでひとり200円だけ貰った。そしたら安いということで評判になったようで定期的にやってくるようになったのでさらに慌てた。 今でも、ちゃんと契約を結んでいる旅行会社とは別に、相変わらず予約もせずに突然やってくるバスがある。さすがに最近では2〜3日に1回程度だけど、それでもなぜか集中する日もあるので油断ならない。10時前後と2時前後になると僕たちは外の物音に体じゅうの感覚を集中するようになる。特に午前の10時〜11時と、午後の2時〜3時はしょっちゅう大型バス突撃隊の奇襲があるので気が抜けない。 大型バスが近づいてくるとズンズンズンズンという独特の地響きが伝わってくる。その2〜3秒あとにバスが見えてくる。最初の地響きを感知できるかできないかでスタートダッシュが変わってくるので毎日この時間になるとレース直前のような緊張感を持続させなければならない。 ズンズンズンの地響きで立ち上がり、 バスの影が見えた時点で靴を履いていて、 店の前にきたころには駐車場に飛び出していって誘導する。 そのあとは文字通りの戦場になる。 でも油断していると大変なことになる。 あれあれ?きょうはやけに外が騒がしいじゃないかと思って外に出てみたら敷地内に団体さんが満ち満ちていて大混乱。勝手にガレージのなかに入っては電動自転車もマウンテンバイクもママチャリも関係なく持ち出してはそこらへんじゅうブイブイ走り回っている。ぶつかったり怒鳴り合ったりで大騒ぎだ。 こうなってしまうと収拾は難しいけど、そういうこともたまにある。(汗) お一人様200円。そのうち、純粋に僕らの手取り収入になるのは30円くらい。バス1台に30人として3台の大型バスがやってきたら90人。僕らの収入に結びつくのはようやく3000円くらいだろう。 でも、なになに?添乗員さんに聞けば北海道内の他の貸自転車店では500円〜1000円くらいなのだという。 えええ〜!! なんだって〜!! お一人様200円。もしかして僕らは失敗した?でも、もともとレンタサイクルのママチャリの料金は1時間200円なので仕方がないと思うのだ。団体さんだからといってボッタクリするわけにはいかないし。 失敗したかな〜とは思うけど、まあいっか。 賑やかなのはいいことだと思うので、これからも受け入れを続けようと思うんだけど、それにしても今年はやけに団体バスが少ない。7月に入って少し回復してきたけれど、それでも昨年の3分の1か、せいぜい半分くらいだろうか。 これでは僕の五感も鈍くなりそうだ。 2009年6月29日(月)
電動自転車が足りない。 昼前には出払ってしまう今日この頃だけど、足りないならば買えばいいでしょうとはいかない。1台12万円もするから。 坂道の連続する美瑛の丘のサイクリングには、家庭用の8万円クラスの電動自転車では耐えられない。大容量バッテリー搭載の高額な車種でなければいけない。 12万円は高い。 12万円は、なかなか元がとれない。 ママチャリならば1か月もしないうちに車両代金の元がとれるけれど、電動自転車の場合はざっと2シーズンが終わらなければ元がとれない。僕らレンタサイクル屋としては電動自転車は利益のでるアイテムとはとてもいえない。 とはいえ、エコの追い風にのって電動自転車は脚光を浴びまくっている。レンタカーで観光している人までがわざわざ駐車場に車をとめて電動自転車を借りにくる。車ではゆっくり観光できないから自転車を使いたいけれど、ママチャリはしんどいからNGだった。ところが最近は電動自転車の登場で重要なアイテムとして注目されているらしい。 電動自転車ならば景色のいいところで突然停止しても他の交通の障害にはならないし駐車場待ちをすることもない。そしてママチャリのように辛くない。エコな理由だけでなく案外と理にかなっているという。 電動自転車の要望は増える一方だ。だから僕の店でもなるべくママチャリ→電動自転車への切り替えを進めているけれど、なかなか需要に追い付かない。 12万円は高すぎる。 今年は外国人のお客さんが激減した。不況にくわえてインフルエンザ。日本は世界的にみてやばい国ということになっている。SARSのときの逆になったわけだから仕方がない。この6月などは僕の店では外国人の団体バス利用は昨年比で10分の1になってしまった。 売上が激減したのでとてもじゃないけれど電動自転車が買えなくなってしまった。景気がよくならなければ電動自転車は買えない。 エコもなかなか楽じゃないのだ。
きょうも電話が鳴り響く。ママチャリを借りたお客さんからだ。 もう限界です。どうすればいいですか、という。※ (※疲れたから迎えに来て、という意味だろうけど、お客様、いくらなんでもそれは無理…です…) ママチャリはレンタルが安い。でも倹約の代償もそれなりのものがある。 ママチャリは電動自転車以上にエコだけど、ちょっと体力的には辛い。 みんな知っての通り、美瑛の丘めぐりはけっこう過酷。 でも初めて美瑛を訪れたひとはそれを知らずにやってくる。美瑛の丘のさわやかな風景写真を見る限りでは、まさか、こんなに辛いとは思わないだろう。無理もない。 う〜む・・・。 ママチャリを借りようとしている人に、ママチャリはやめといたほうがいいですよとは、なかなか言えるものではない。そもそも電動自転車が足りないから。 あるお店では、電動自転車はすぐにバッテリーが切れて重たくなって大変!といってママチャリに誘導するという。重たくなるのは10年くらい前の電動自転車で、今はそうはならない。おまけに最近の電動自転車はバッテリーはなかなか切れることはない。10年前と今ではバッテリーもISDNとフレッツ光くらいの差がある。 そりゃそうだ。今や自動車が電動モーターで動くという時代なのだから。 でも、ママチャリのほうが儲かるし、そうでもしなければ電動自転車が足りないのだから、そのお店の対応も仕方がないかもしれない。 僕は、さすがにそこまでは言わないけれど、ママチャリはやめておいたほうが・・・、とは、なかなか言えないでいる。 ちょっぴり良心が痛む。 やっぱり電動自転車を増やさなければいけないなあと思う。 なんとか今の価格の半分くらいにならないものだろうか・・・。 2009年6月10日(水)
草刈民代とは違います。 6月の北海道はさわやかな季節なので各種イベントが目白押し。運動会もお祭りも6月に多く、そしてきょうからは札幌でヨサコイソーランも始まった。 しかし、梅雨のような天気がずっと続いている。 例年この時期はあまり雨が降らないのだけど今年は違う。不安定はもう2〜3週間続いていて週末は決まって雲行きがあやしい。 梅雨のない北海道、いったいどうしちゃったんだろうか? それでもきょう久しぶりにカラリと晴れた。北海道の6月らしい、涼しげでさわやかな陽気に誘われて草刈りをすることに。雨に育まれた雑草は伸び放題で刈りごたえアリ。エンジン草刈機がうなりをあげ、びゅ〜んびゅ〜ん面白いように刈れる刈れる。 調子に乗ってチェンソーも持ち出して不要な枝をびゅんびゅん落とす。 機械系の作業って楽しい! しかし、気がつけばブヨ(サンドフライ)の大軍に囲まれてしまった。 こいつに噛まれたらタダでは済まない。蚊のように短期間で終わらない。直後は大したことがないけれど、2、3日ほどで噛まれた場所の周囲が真赤に腫れあがって熱をもつ。猛烈に痒くなり、地味に痒い状態は2週間くらい続 き痕が残ることも多い。 陰気な野郎だ。 雨とブヨは深い関係があり、雨が降って溝や窪みなどに新鮮な水が湛えられるとブヨの卵が孵化してたちまち成虫になって大発生するという。おまけに湿気の多い所が大好きで 、鬱蒼とした森、渓流、草むらや木陰なんかが大好きだ。 水路、雨、湿気。草むらや木陰。 うちはパーフェクト(泣) いったん刺されたら爪で×印でも作って、あとは祈るしかない。 北海道の山歩きや渓流釣りではこのブヨに大いに悩まされることも多いわけだが、どうやら確実な撃退方法はなさそうだ。 晴れはきょう1日だけで明日から雨模様の天気が続くという。 雑草もブヨも、さぞかし大喜びのことだろう。 2009年6月9日(火)
北海道はでっかいどう! 体まで「でっかいどー」になってしまった人、それは僕のことだ。 北海道では豪快に食うことが正しい。北海道に引っ越してきて10年少し、一年じゅう北海道のうまいものを豪快に食い続けた結果、それなりの成果があらわれた。 昔、ボクが細面なスポーツ好き少年だったことを知っている人は少ない。逆に、高校のころなんかの同級生に久しぶりに会うと、文字通り絶句される。 「えっ!?」・・・・・・ その「間」は、何? とにもかくにも、毎日毎日食べることが楽しい北海道。
きょうは嬉しい人がきた。Kさんは初夏の新緑のころになると必ず来てくれる。大抵お一人でふらりとやってくる。服装も持ち物もシンプルで軽やか。大型カメラも持たない。 Kさんが来たら、今年も北海道に明るい夏がきたなーって思う。 Kさんが来ると、それからの日々はいいことがたくさんある。たくさんの花が咲き、お客さんもたくさんやってくる。僕らにとってKさんは福の神みたいなものだ。 いいときに、絶妙のタイミングで来る。 Kさんが来られると決まって客足が伸びる。そのうち落ち目になってくるが、またKさんが現われて福に転じる。そういうことが年に何度かあるから、ほんとうに福の神みたいな印象がある。 最後に紅葉のころにやってきて、「今年もありがとうございました」と気の早い年末のあいさつを交わしてしばしのお別れとなる。その頃になるとまもなく初雪が降り、少し寂しい季節となる。 でも実は、Kさんがどういう人なのか、仕事は何をしていて、どこの出身で、趣味は何で、とか、そういうことを僕らは何ひとつ知らない。 実在するのかどうかもあやしい。本当に何も知らないのだ。 本当に福の神なのかもしれないゾなどと冗談言いつつ、実は案外ほんとうにそうなのかもと思っている。 みなさんの回りにも、福の神はきっといるはずだ。 2009年6月4日(木)
僕がまだ北海道大好き放浪青年だったころの話。雨に降られてズブ濡れの僕をみかねて親切にしてくれたおばさんがいた。おばさんはしきりに僕に、「あづましくないかい?」と聞いてきた。 残念ながらそのときの僕には「あづましくない」の意味がさっぱりわからなくって、うやむやな返事をしていたと思う。 北海道に暮らすようになって10年以上になる。ようやくだいたいの北海道弁を理解し、自然と口にするようになった。僕の子供たちは北海道生まれの道産子で、怒涛の保育園生活で身につけた流暢な北海道弁を話す。家のなかでの口喧嘩でも勿論、激しい北海道弁が銃弾のごとく飛び交っている。 娘たちの将来が楽しみだ。 そんな僕だけど、いまだにうまく使えない言葉がいくつかある。そのうちのひとつが 「あづましくない」だ。 あづましい=関西弁でいうところの「めちゃええやん!」英語ではGood。 おづましくない=「イマイチやな〜」英語ではBad。 しかし、そうともいえない。なんというか、感覚的に、しっくりこない。 あづましいは、Goodという言葉だけでは表現がしきれない。なんというか、もっともっと幅広い解釈がある。良いという意味もあるけれど、心が癒されるという意味が50%くらい含まれていると思う。 たとえば、 ログハウス=快適! 古民家=あづましい こんなかんじだろうか。(違っていたらスミマセン) おまけにあづましいは、どちらかというと、否定形の「あづましくない」がよく使われる。これが若干ややこしい。例えば、なんだかさいきん鼻水さ垂れてあづましくないんだわ。とか、この店どうもあづましくないね。とかいうカンジで使われる。前者は鼻水がでて体調がよくない、という意味で、後者はこの店は落ち着かないね、という意味になる。 それでは、昔のボクが遭遇した「あづましくないかい?」はというと、否定形の疑問文ということになるので、文法だけで考えるとなんだかややこしい。でもこの場合の意味は、調子はどうだい?あるいは気分悪くない?という意味になる。(と思う) 「あづましくないかい?」 いずれにせよ、慈愛に満ちた親切の心が伝わってくる出来事だった。 北海道各地をさまよいながら若きボクは北海道の人々の優しさにすっかりとりこになってしまった。北海道は大自然はもちろんすばらしいが、そこに暮らす人間がこれまた魅力的だった。 表現豊かな北海道弁はひとつの象徴だと思う。 カニの食べ放題はもちろん素敵だけど、お母さんが作ってくれるホタテの稚貝のお味噌汁やホッケの焼いたのが僕には「あづましい」。 2009年6月2日(火)
スーパーマーケットでも季節が春から夏へと変わりつつあることを感じる。 少し前までキトビロ(ギョウジャニンニク)や山ウドが並んでいたのだけど、さいきんは地物のキュウリやトマト、そしてアスパラガスが山のように売られている。そして、入口ちかくの目立つ場所には大きなスイカが並ぶようになった。 まだ並んでいるのは九州や本州のスイカだけど、いよいよ夏の予感。 ドカンとでっかいB級品が1個1500円くらい。いびつな形だけど味は同じだ。 でっかいから、うれしい。バスケットボールよりも大きい。 ここのところ我が家ではほとんど毎日、4分の1個分のスイカが食卓に並ぶ。ざくざく切られたスイカを家族5人でわいわい言いながら食べる。ほとんど毎日だから、サラダくらいのつもりで食べている。 昨日の夕食は唐揚げだった。末の娘は少しだけ残していた。 きょうのお昼に冷蔵庫に残りものを見つけて電子レンジでチンして食べた。 唐揚げの横にはキャベツの千切りが少しと一口大のトマトがあった。 何も考えずに食べた。 「!!!」 トマトだと思ったその赤いものは、一口大に切ったスイカだった。 電子レンジでチンしたスイカはおそろしくマズイ。 生あたたかいスイカとは、こんなにもマズイものかと唸るほどまぢぃ。 別に腹をこわすものではないけれど、気分が滅入ってしまった。 とにもかくにも北海道にも夏到来。 あと1か月もすれば北海道産のスイカが並ぶようになるだろう。 あ、そうそう。北海道産のスイカといえば、uydaさんのスイカだ。uydaさんは富良野の山部でスイカとメロンを作っているテレマークスキーヤーで、スキージャーナルやソウルスライドの熱心な読者ならばよくご存知かもしれない。 uydaさんの畑でもうまいスイカやメロンがすくすくと太りつつあるだろう。楽しみだ。 初夏の日差しを浴びて我が家の庭のナナカマドの木も、白い花を盛大に咲かせている。 外で草刈りなどしようものならブヨ(サンドフライ)が、 「え?なになに?うまそうなニオイじゃ〜ん」というかんじで、 実に嬉しそうに尻を振りながら顔のまわりにわらわらと群がってくる。 こいつに食われたら地味にかゆい。いつまでもかゆい。オデコとか手首とか足首とか、そういう地味なところに食いついてくるやつだ。 とにもかくにも賑やかな季節なのだ。 |