ガイド日誌
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最近の出来事 北の暮らし歳時記など |
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2009年10月19日(日) ゆみちゃんの、おにぎり 山登りに出かけよう。お弁当は何にするか? ボクは断然、「おにぎり派」だ。
あえて、握り飯と呼ぶひともいるだろう。 握り飯。なんだか硬派なかんじがする。かっこい〜!
ケン・タカクラがお昼に頬張るのは、握り飯だ。おにぎりというよりも、握り飯と呼ぶほうがよく似合う。腹が満たされて力がみなぎる。男のメシだ。
いっぽうで、おにぎりという言葉には、温かみがある。米粒の間に愛情が握り込んでいるような気がする。食べたとき、ちょっぴり温かだったりするのだ。
ちょっと温いおにぎりは、うれしい。少し得したような気がする。
おにぎりは、おふくろの味だ。ボクの母も何かといえばおにぎりを握ってくれたものだ。お釜に残った冷や飯はおにぎりになって戸棚に仕舞われる。夕方になり部活から帰ってきた腹ペコティーンエイジャー(ボクのことだ)のおなかに収まった。
いま、ボクが食べるおにぎりは、妻のゆみちゃんが握る。 ゆみちゃんと呼べばまるで新婚さんのようだが、僕らは結婚して20年近い。知り合ってからは25年以上になる。だから、ゆみちゃんのおにぎりは、ボクにとって限りなくソウルフードだ。
ボクは毎年、ちょっと長めの旅にでる。自転車による海外遠征、チャリ旅だ。チャリ旅の間のボクは概ね自炊で、すべての食事は現地調達する。だいたいどこでも米を食うことが多いけれど、ハードな旅になると米を食う機会が減る。毎年どこかしら過酷な区間がある。そこを突破するために荷物の軽量化をすすめると、燃料や水を多く消耗する米の炊飯は避けたいから、パスタなどの小麦材料の乾麺が多くなる。
そういうとき米が恋しくなる。
ボクは山に行くときはいつでもゆみちゃんの握るおにぎりを持っていくから、自転車の旅のときも当然、おにぎりが無性に食べたくなる。
無性に食べたくなるとき。 そういうときは弱っているとき。
おにぎり1個に10万円出すぞ〜!とか叫ぶこともある。(バカみたいだけど本当だ)
そういうとき食べたいのは、ゆみちゃんのおにぎりだ。ローソンのおにぎりじゃあない。中身はなんでもいいけど、醤油でギトギトになったかつお節なんかがいい。昆布佃煮もいい。醤油の香りがおにぎり全体に広がって、所どころが醤油でにじんでいたりする。
ああ〜。たまらん。 おにぎり、夢。まぼろし。
冬の山で仕事をするときも、ボクはいつでもゆみちゃんのおにぎりをリュックサックのなかに入れてある。保温パックにいれているから、氷点下20度でも凍らない。
どんなに疲れていても、どんなに過酷な日でも、これがあるからボクは倒れない。おにぎりはボクのパワーフード。
毎日のことだから、当たり前になってしまっているけど、長い旅のときにはおにぎりの、ほんとうの有難さを知ることになる。心の奥深いところにシクシク刺さってくる。
さて、もうすぐ旅に出発する。ようやく荷物は完成した。国際線に乗せられるギリギリ重量、ちょっと超過というところ。
でも、思うのだ。
また、おにぎりが食べられなくなるなあ〜。
とことん弱ってしまったとき、ボクは最後の米を炊いておにぎりを作る。塩味だけのおにぎり。
小さなコッフェルでサッと炊く米はあまりうまくない。
でも、こういうとき食べるおにぎりは涙がでるほどうまい。 「うまい、うまい・・・。」と、呻きながら食べることになる。
でも、食べれば食べるほど、ゆみちゃんのおにぎりの幻をみる。
ああ〜、食べたいなあ〜。
おにぎりを食べるためには辛いラウンドを達成して、無事に帰国しなければならない。
おにぎりがボクの目標になる。確たる目標。
ゆみちゃんのおにぎりを食べるために、ボクは何が何でも家に帰るのだ。 おにぎりは、生きる力だ。
ガイド日誌、これから2ヶ月間お休みします。
2009年10月14日(水) 洗濯機でホルモンを。 タイトル「洗濯機でテントを。」10月13日付 のご縁で、
「小学生の時、肉屋をやっている同級生の店でホルモンを洗濯機で洗って?いるのを見たような気がします。」
友人から、そんな話をきいて早速調べてみた。
ホルモン 洗濯機 グーグルで検索
そしたら出るわ出るわ・・・。 フムフム、なるほろ。そーだったのかホルモン!
きょうはお客さんゼロだけど、なんだかハッピー♪ 好きだなー、味噌ホルモン。
みなさんも検索してみて。
[ひとくちメモメモ] 旭川には、「馬場ホルモン」という有名な店がある。ご存知だろうか。 旭川在住のアラブdeスキー普及協会のHBさんも絶賛。「超うますぎてやばいっす」。なまらうまいと地元でも評判の馬場ホルモン、ボクはまだ行ったことがないけど、今年中に行くことが2009最後の目標なのだ。 ※洗濯機とは関係ありません。
2009年10月14日(水) 時の運 旅行に出かけて雨ばかりだったという経験をしたことがあるひとは少なくないだろう。逆に、自分は晴れ女、晴れ男だというひともいる。
晴れ男、晴れ女。にわかには信じがたいが、百発百中のひともいる。もちろん逆のひともいる。このひとが来れば高い確率で嵐が来る!というひとだっている。
本当にいる。S辻さん。
この仕事をしていると、お天気には一喜一憂するが、こればかりは時の運だ。 ボクにだって予想できないことが多いから。
この週末はお天気がよさそうだからと予約をいれても、お天気が変わってしまうこともある。アウトドア遊びは時の運なのだ。
もうすぐ冬のツアーが始まるけれど、誰もがパウダースノーに当たるとは限らない。嵐の直後なら風に叩かれて硬く荒々しい氷のような雪に悪戦苦闘することになる。 パウダースノーなんだけど、腰まで埋まる深い雪でそれどころじゃないことだってある。僕らの業界ではそういう日のことを“鬼ラッセル”という。できれば避けたいものだけど、これも時の運。
逆に、全然何も考えていなかったひとが、三日間連続パウダースノーで連続快晴だったりする。そういうひとはかなり高い確率で「ハマってしまう」のだ。一生忘れられない日になってしまうのだ。 来年以降のヘビィローテーション間違いなし。 移住しちゃうかもしれない。 結婚相手をみつけちゃうひとだっている。
このへんふくめて、すべて時の運だろう。 いい日には、いいことがあるものだ。
お天気やパウダースノーに限っては、北海道は、良いことの確率の高いところだと思う。そのかわり海水浴に適した天気の日は数日しかない。
北海道で快適な海水浴をしたことがあるひとは、かなり強運。その運が逃げないうちに宝くじを買いにいったほうがいい。合コンもいいかもしれない。
時の運だ。
さて、美瑛の秋もますます深まった。 この時期に旅行にくるひとは、いよいよ運が左右する。
お天気がよければ、新雪の十勝連峰はじめ大雪山を背景に、さまざまな紅葉のパターンにそめられた森や、夏と秋が混在した丘の眺望をどどーんと楽しめるだろう。そして言うまでもなく食べ物もうまい。大した人混みもないから、北の人々も本来の優しさで接してくれる。(真夏は忙しくてそれどころじゃない)
しかし、ひとたび雨が降ればどうだろう。寒いやら暗いやらでつまらない思いをするかもしれない。お店も閉まっていたりする。こういうときには食べ物に走るしかない。
時の運だ。
時、といえば、北海道ではいろいろな行事が本州などとは違うことがある。
たとえば、運動会は6月。 たとえば、七夕は8月。 たとえば、七五三は10月。
ほかにもいろいろあるだろう。
3歳の末娘が七五三をむかえた。 北海道の場合、11月は寒くって、おまけに昼間が極端に短い。お天気も雪まじりの日が多くてはっきりしない。薄暗い11月。
七五三は10月の陽気がいいと思う。 おっと、きょうはちょっと親バカだった。^^; 2009年10月13日(火) 洗濯機でテントを。
階段の手すりを外す。
いつでも来い!雪!
ニュージーランドには1年おきに行きます。 自主トレだけじゃありません。ビジネスのヒント、ガイドとして仕事と自然環境との付き合い方のヒント、そして、いろんなアイデアの宝庫です。こういうことはお金では買えないのです。自分の目でみて、感じて、自分の頭で考えなければなりません。 観光はほとんどしません。同業者たちの仕事を見物するのがとても面白い!興味深い!観光どころじゃありません。うまい食べ物にはまっしぐらですけど。 アウトドア関係の仕事をしているひとには足しげくニュージーランドに通うひとが多いものですが、そういう理由があります。
アウトドア関係のひとたちにとって仕事とは、生き方そのものだと思います。 ニュージーランドにはそのお手本がいっぱい詰まっています。
どうやらお米もダメみたい。新米を手土産にって、ダメなんかなあ。残念だ。 2009年10月11日(日) 北海道の暮らし 昨夜の雨は山では雪になったという。 きょうは昼ごろからにわかに空が晴れてきて、十勝連峰の山々も時折雲の合間から顔を出してくれた。
きょうも美馬牛小学校の裏から山を眺めた。(下写真)
鮮やかな白銀の衣をまとった山々は、まるで花嫁姿のよう。 美瑛の10月の風景。
雪の季節はすぐそこまできている。
きょうは妻(ユミちゃん)がお菓子づくりに精をだす。 近所のペンション「風の道」さんからカボチャをたくさんいただいた。 形が不ぞろいの、いわゆる出荷できないハネ品だというけれど、もちろん味は同じ。十勝連峰を眺めながら育ったカボチャたちは縁あってわが家にやってきた。
ユミちゃんの魔法でカボチャは生まれ変わる。 作ったのは、カボチャ・プディング。 なめらか〜
これがハネ品だったなんて、信じられるだろうか?
さて、わが家のきょうの夕食はお好み焼だった。 材料は、音更町の長いも。上富良野の豚肉。 つなぎは使わない。長いも100%のお好み焼。
音更の長いもは粘りがあって香りがいい。 ボクは生のまま醤油をつけてバリバリ食べるのが好きだけど、お好み焼はもっと好き。サクサクお好み焼はいくらでも食べられるし、ヘルシーだ。 スーパーマーケットで長いもを買うとき、音更産と書いていたら迷わず買おう。期待を裏切らないから。
北海道はウニ・カニ・ホタテなどの海産物だけじゃない。大地がうまい。
美瑛からも上富良野からもも音更からも、十勝連峰がみえる。 人々を幸せな気分にさせてくれる山々だ。
ユミちゃんがいて十勝連峰があればボクは幸せだ。 いいんでないかい?北海道。
2009年10月10日(土) 速報!きょうの十勝連峰 午前11時頃の十勝連峰。 台風去って山には雪が積もった。
2009年10月9日(金) ダムと公共工事とルピナスの花 北海道内でもサンルダムと平取ダムの工事が凍結されることになったという。 もう少し早ければ忠別ダム、さらに早ければ二風谷ダムもと思うと少し残念。
ダムといえば巨大な公共工事。いくつかの集落が丸ごと移転したり水没したり、あるいは工事関係者のための町がにわかに形成されたりする。町や村を出現させたり消滅させたりするんだから仰天だ。
日本のダム建設では大抵、“飯場”と呼ばれる宿舎がまず建設される。労働者の宿舎、会社の事務所、売店までそなえて衣食住のすべてを支える拠点になる。でもこの集落にいるのはほとんどが男性。「お父さんの町」だ。労働者はほとんど女房子供を郷里において単身でやってきた男性だから、どうしてもそうなってしまう。
ニュージーランドを自転車で旅しているとき、いくつか変わったところに泊ったことがある。ダム建設工事労働者あるいは林業労働者の“飯場”だった。そういえばオーストラリアでは、鉱山労働者の宿舎に泊まったこともあった。自転車で外国を旅していると、そういういろんな「かわったところ」に泊ることがあるから、そういう話ばかり集めて本を1冊くらい書けそうな気がする。
ニュージーランドと日本の飯場の大きな違い。ニュージーランドでそれは「町」として建設される。中心部には酒屋と定食屋をかねた酒場PUB(パブ)が建ちそこがコミュニティの中心になる。独身労働者のためには洗面所のついた個室(ときには小キッチン付も)が、世帯持ち労働者には住居が用意される。単身の出稼ぎではなく家族をつれてくる労働者が多いそうだ。そのへんはいかにも欧米らしい。 日本の飯場は大部屋に雑魚寝だったりすることが多いからずいぶん違う。
なによりも大きな違いは、日本の飯場が工事完成後は速やかに撤去されるのに対してニュージーランドではダムが完成したのちも恒久的に存続してあたらしい町になる。そういう町は少なくないのだ。
サザンアルプスの中央を貫く国道8号線をボクは南に向かって走る。いくつかの大きな峠をこえてクイーンズタウンを目指していた。クイーンズタウンはワカティプ湖という氷河湖のほとりの美しいまちで、ボクはそこで友人hedgeと会う約束をしていた。
マウントクックの村からクイーンズタウンへ向かう国道8号線のサザンアルプスの峠のひとつ、リンディス・パスという大きな峠をこえて半日ほど走り続けると湖があらわれた。巨大なダム湖で、その中ほどの湖畔にクロムウェルという町があった。クロムウェルは19世紀初頭のゴールドラッシュで誕生した古い町で、クロムウェル渓谷の果樹園とともにのんびりした田舎町だったというが、1980年代にダム建設のため今の場所に移転したという。ダムはすでに完成している。
クロムウェルからクイーンズタウンまではまだ60キロほどあって、そのまま自転車を漕ぎ続けたら日が暮れてしまうからボクはクロムウェルで1泊することにした。冷たい雨が降っていたから一刻も早く濡れた衣服を着替えたかった。
町についてその日の宿を探した。安宿さがし、テント張る場所探しには慣れている。
町の中心から近いところに団地と公園のようなものがあってそこの全部が宿泊施設になっていた。いくつもの宿泊棟からなり、ひとつの宿泊棟につき自由に使える共同の大キッチンがあって、日本なら大浴場にあたる“大シャワー場”があった。日本風にいえば、個室バストイレ別、というやつだ。部屋は広くて18畳くらい、ベッドがふたつ、部屋には不釣り合いな大きなクローゼットがあって宿にしては収納能力が凄かった。洗面所がありセントラルヒーティングの暖房があった。部屋が広いので自転車を中にいれた。
それは、ダム労働者の単身者用の宿舎だった。ちょうど会社の寮とマンションの中間のようなかんじだった。宿としては、なんともすばらしい。冗談ではなくそのまま暮らせる。
“団地”の中央に、たぶん元々は建設会社のオフィスだったとおもわれるところがセンターハウスになっていて宿泊受付とロビーを兼ねていた。 確か1泊30ドル(2000円弱)くらいだったと記憶している。
北海道とニュージーランドは風景が驚くほど似ているけれど、ダム建設の飯場ひとつとってみても、ずいぶんと違うと思った。ただ、ダム湖のほとりにルピナスの花が咲き乱れているところはまったく同じだった。
2009年10月8日(木) 早くも冬の峠道 国道274号線「日勝峠」※道路凍結により通行止め。
いよいよ冬が近づいてきた。 やけにうれしい。
今夜の美馬牛は気温5度くらい。(午後8時頃) 台風前夜とは思えない寒さだ。 昨夜に続いて暖炉に火をいれた。 灯油のにおいがやさしい冬の到来を告げる。
※日勝峠は、国道274号線札幌・帯広区間の峠の名称。標高は1020m。
2009年10月7日(水) 自転車に乗って、悲しすぎる話 自転車のことをチャリ(チャリンコ)と呼ぶのは、もともと関西弁に端を発する。
特に大阪では、自転車と呼ぶよりもチャリと呼ぶほうがポピュラーだ。 関西から広がりをみせて今ではごく自然ななりゆきで全国的に定着している。名古屋などではケッタと呼ばれたり、地方によってはほかにもいろんなユニークな呼び名もあるだろう。楽しいじゃないか。
ベーシックな作りの安価な自転車のことをママチャリと呼ぶのも定着した。軽快車と呼んだり婦人自転車(ママチャリ=婦人自転車、そのまんまやないか!)だったり、シティサイクルと呼んだり。つまるところ、ママチャリと呼んだほうがしっくりくるから、いわゆる庶民的な言葉としては「ママチャリ」と呼ぶことが多いだろう。軽快車よりもシティサイクルよりもママチャリのほうがわかりやすい。
ママチャリ耐久24時間レースなどというユニークな催しも各地で開かれている。 誰もシティサイクル耐久とはいわない。たぶん。
「チャリ」はユーモラスな言葉だけど、しかし、その「チャリ」を否定する、糾弾するひとたちがいると聞く。どうやら「チャリ」という言葉のもつ響きが軽率と感じるというが、蔑称だと言うから穏やかではない。
ごくごく少数だが、かなり過激なひとたち。 中高年の熱心な自転車愛好家のなかに多いという。しかし30歳代以下のひとにはほとんど見られないというのが興味深い。何か理由があるはずだ。更年期ヒステリーのというわけではないと信じたい。 関東と関西の地方による言葉の解釈の違いというのが有力だが、必ずしもそうともいえないので、新しいモノや言葉に対する反感とも考えられる。 まあ、それならば、わからないでもない。
新しいモノ、新しい言葉というのは最初のころはアレルギー的に拒否されることも珍しいことではない。携帯電話だって最初のころはいろいろな拒否的な動きが多数みられた。「私は携帯電話など決して持たない」と言い放っていた人のなんと多かったことだろう。しかし、今は。
ま、いいんじゃないだろうか。
さて、関西弁を耳障りだと感じるひとも少なくないだろう。大阪人が嫌いだと公言するひとも珍しくはない。住んでいる地方はもちろん、人それぞれに事情があるのでそれはまあ仕方ないと思う。でも、関西弁を嫌うあまり、根拠の薄い言いがかりをつけてまで相手の言葉や文化まで否定するとなれば、ちょっと話が違う。
もとは関西弁だったチャリンコ。 ある説ではチャリ=韓国語のチャルンゲがルーツではないかという。チャルンゲを関西人が気軽にしゃべれば、チャリンコになる。たぶん間違いなさそうだ。
しかし、どこかの地方の言葉では、チャリ=盗み、という意味があるという。ボクも知らなかった。というか、それはいかにももっともらしい言いがかりだろう。 チャリ=盗み。これを蔑称の根拠としているが、なんとなく韓国語けしからんというあたりも見え隠れもする。
暗に、嫌韓や、関西への反感が背景にあると思うのは気のせいだろうか?
「チャリ」はいけない! 「チャリ」をやめろ!
悲しいというか、なんというか・・・。
一方的といえば思いつくのは捕鯨問題だ。
捕鯨をやめろ。 クジラを食べるのは野蛮だ。
日本はいま国際的な批判の矢面にたたされている。オーストラリアなどで顕著だ。 クジラは知的な動物で、絶滅が危惧されるからというのが表向きの彼らの言い分だが、本音のところはどうも違うところにあるような気がする。
実際にオーストラリアなどで生々しく反日反捕鯨を感じてきたボクには、 「日本人は気に入らねえな」 「調子に乗りあがって」 そこに間違いなく、反日感情があると感じた。合法的に日本人を差別する錦の御旗として捕鯨が利用されている。だから北欧やネイティブアメリカンの捕鯨には抗議しない。おまけにサメ漁(サメは魚類)にも反対するのだから、間違いないだろう。捕鯨反対には、反日、アジア蔑視が隠れているとみるひとは少なくないはずだ。
捕鯨反対の活動をすることで堂々と人種差別ができる。
だから、どんな正論で反論したってダメだ。 彼らの本音は、アジア差別にある。
チャリも捕鯨も、なんだか同じだなあ、と思うのだ。 方言の違いだよと言っても彼らは納得しない。
どちらも悲しいし、愚かしい。
第2部 「チャリダー」
ボクはチャリダーだ。 自転車で長い旅をするのが趣味。ライフワークといっていい。 旅が好きだ。
チャリといわれると不愉快。 やめろ。
ある日いきなり言われて、自分でも驚くくらい、あっけなく傷ついた。 いきなり存在を完全否定されたような気がした。
“チャリダー”という言葉がある。聞きなれないひともいるだろうから簡単に説明すると、旅人用語で、自転車で長旅をするひとのことを言う。
自転車競技者あるいは自転車趣味人を意味する“サイクリスト”と、“チャリダー”は、少しニュアンスが違うらしい。 “サイクリスト”のなかから外に飛び出していった人たちのなかに、“チャリダー”がある。ここに自転車の旅人という意味の日本語ができた。
英語でいうバイカー、あるいはプッシュバイカーに相当する日本語だ。 英語では自転車競技者や愛好家全般をサイクリストとよび、マウンテンバイクで野山を走るナチュラリスト系の自転車乗りや自転車の旅人のことをバイカーあるいはプッシュバイカーと呼んでにわかに区別している。(けっこう曖昧だけど) しかし、自転車後進国の日本にはしばらくそれに相当する言葉はなかった。
“チャリダー”は北海道で生まれた。 オートバイで長旅をするひとのことをライダーさん、と呼んだことから、それと区別するために、ごく自然に、チャリダーという言葉が生まれた。今から30年くらい前には誕生したと思われる。言葉として比較的新しい。
オートバイの旅人=ライダー 自転車の旅人=チャリダー ヒッチハイカーと同じ活用法をもちいる。 応用編として、徒歩ダーというのもある。ほかいろいろ。
マヨネーズ好きのマヨラーとか。こんなかんじの言葉だ。
北海道にはライダーやチャリダーのためのシェルター的な簡易宿泊所として「ライダーハウス」というのがある。おもにライダー&チャリダー用、とされている。 昔から旅人が多かった北海道ではライダーと並んでチャリダーという言葉はすっかり定着している。
そして、チャリダー本人たちはというと、「チャリダー」という言葉に友情や思い出や誇りがいっぱい詰まっている。
テントや寝袋をもち、自炊をしながら、自分の力で自分の足で旅をしてきた。 たくさんの友達ができた。 私の人生のなかでかけがえのない日々だった。
私は昔チャリダーでしたと誰かが語るとき、チャリダーという言葉には誇りや思い出が詰まっている。ボクもその一人だ。
でも、あるとき突然に言われるのだ。
「チャリ」はいけない! 「チャリ」をやめろ! 「チャリダァ?気に食わん!気に食わん!絶対に認めん!」
とまあ、完全否定。 悲しいというか、なんというか・・・。 黙るしかない。
この手のネガティブ・キャンペーンには、反論したって無駄だから。
ボクはチャリダーだし、おまけに自分が経営するレンタサイクルショップでも、ママチャリのことをママチャリと呼んできた。かつてシティサイクルとしていたこともあったけど、何のことかわからないお客さんも多くてママチャリと呼び名を変えた。10年以上そうしてきたし一度もクレームなんかなかった。ふつうはそうだろう。
でも別に、チャリという言葉を半ば強引に広げようとしてそうしてきたんじゃない。 ただ、チャリという言葉に愛着はあるし、ユーモラスで好きだ。 いかにもチャリンチャリ〜ンって自転車が走ってきそうじゃないか。
「蔑称だ!」 この悲しみはいったい何だろう。
悪意のある雑音は一切無視しようと決めてはいるけれど、当分このいいようのない空虚感が取り払われることはないだろう。
声が届かないことは承知のうえだけど、アンチ・チャリダー(チャリ)派のひとに言いたい。 大好きな自転車をもって、長い旅に出てみてはいかがだろうか? 喉が乾けば川の水をすくって飲み、湖のほとりにテントを張り、はるか地平線に向かってペダルをこいでみてはいかがだろうか。 いくつかの国境をこえたら関西弁への反感も嫌韓もなくなる。 チャリダー?そういう連中は気に食わなねえな。ましてそんな気持ちなど一瞬で消え去るはず。
国境も人種も宗教も、ボーダーのない世界に、自転車の旅ならば少しだけ近づくことができるんじゃないだろうか。
僕はそう思っている。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ チャリンコ、チャリ、チャリキ 地域:近畿地方 訳語:自転車 解説:韓国の済州(チェジュ)島で「自転車」を「チャルンケ」と言い、戦前に大阪に移住してきた韓国人の子孫が「チャリンコ」と言い出したのが広まった。カマキリ自転車を「カマチャリ」、たとえば「チャリで駅まで5分」自転車通学を「チャリ通」という。中京では「ケッタ」「ケッタマシン」。なお戦後の混乱期に関東の一部の地方では、チャリンコとは「子供のすり」の警察隠語であったという説もある。
2009年10月5日(月) きょうの十勝連峰 美馬牛からみた今朝の十勝連峰の山々。 このあと、にわかに雪雲に覆われてしまいました。
本日、午前10時30分撮影
十勝岳、三段山、上ホロカメットク山のあたり。
三川台、トムラウシ山など、美瑛川源流域。
2009年10月4日(日) 雪虫 中秋の名月の季節になった。朝晩は冷え込 み、秋はいっそう深まる。 大雪山の山々では紅葉が終わり、あとは雪の到来を待つだけとなった。
ここ美馬牛も数日前から雪虫の舞いが見られるようになった。秋の冷たい雨があがり、晴れ間がのぞくと、どこからともなくやってきた白く小さな綿毛が舞う。雪虫と呼ばれるこの虫は、昔から初雪の便りと言われてきた。そろそろ里にも雪の便りがやってくるのだろうか。
今週はスタッドレスタイヤに交換しようと思う。10月になればいつ雪が降ってもおかしくはないから。 10年ほど前、まだガイドの山小屋で「美瑛川カヌーツアー」をやっていたころの話。10月の体育の日の連休に雪が積もった。初雪のカヌーツアーには予約が殺到して大盛況になった。川面からの眺めはさぞかし美しかっただろうけど、水分の多い雪の重みで大きく傾いたシラカバなどの木々が川をふさいでいた。そこに我がガイドの山小屋のカヌーが激突、転覆してしまったのだ。
もちろん乗員もお客さんも、カナディアンカヌーに乗っていた全員が雪のなか川の中に投げ出されたのであった。美瑛川は水深が浅くて膝程度だけど、全員が頭からずぶぬれになった。
ヒェェェェェ〜〜。
さて、まもなく初雪。 カントリーライフの冬支度の季節はいよいよ本番。これからいろいろと忙しくなる。
2009年9月12日(土) サンマ会議 今朝は秋晴れの快晴。 朝早くに美瑛の町に行くために車を走らせた。 美馬牛小学校のある緩やかな坂を登りきったとき、目の前にはいつも旭岳がある。 今朝の旭岳は、真っ白に雪化粧していた。 真っ青な秋の空にぽっかり浮かんでいた。
初冠雪だ。 めでたい。
さて、秋も深まり、秋刀魚(サンマ)の季節になった。 大型のホッケを焼くために大きいものを選んだのだ。
焼き網に交換してサンマを焼く準備。加熱開始。
やはり七輪で豪快に焼きたい
皮が焼き焼かれて焦げ剥ける。白い魚肉がのぞく。
ホットプレートを誰が洗うか。そこが肝心。
2009年9月9日(水) 初雪の便りと雪崩と 朝晩は冷え込むことが多くなった。ここ数日で誰もがタンスの奥から長袖を引っ張りだしただろう。大雪山では紅葉が始まった。きょうは初雪の便りもきかれた。 その頃、南半球ではそろそろ春が訪れようとしている。
雪が緩むと積雪の多い地方では雪崩も頻発する。南半球であろうが日本の山であろうが大雪山であろうが、雪崩は起きる。自然のなりゆきは止めることはできない。
当たり前の自然現象なのに、わが日本では、雪崩はまるで犯罪のような扱いをうける。起こしたほう起こされたほうの当事者は仕方ないとしても、報道は極めて過激でまるで芸能ゴシップ記事のようだ。
私たち日本人は報道にからきし弱い。テレビの情報を無条件に「正しい」と受け止める。報道だけじゃない。有名なタレントが「納豆がいい!」と一言言うだけで日本中のスーパーから納豆が消えるという笑い話のような笑えない出来事も決して珍しくない。我々ニッポン人は世界でも類を見ないほど単純でウブで、マインドコントロールされやすい民族なのだ。
そういえば今年6月、新型インフルエンザが流行しはじめた頃、感染したひとはまるで犯罪者のような扱いをうけた。マスコミに執拗に追われ、報道の影響をうけた人たちから容赦のない誹謗中傷をうけた。あの出来事はまだ記憶に新しい。
日本における雪崩被害者や関係したひともまた同じような扱いをうける。 何かが間違っていると思うけれど、止まらない。
僕の親しい友人がニュージーランドにいる。彼の名はひっぢ。ひっぢは冬が大好きで、かつて冬だけの人生を送っていた。冬の人生、というのはネガティブな意味ではなく、日本の冬に日本のスキー場で働き、南半球に雪が降ればニュージーランドに渡り、1年中を冬で過ごすという何とも羨ましい生活をしていたけれど、今ではすっかり落ち着いてニュージーランド市民になった。11月〜3月はトレッキングガイドとして働き、6月〜10月はバックカントリースキーのガイドをしている。
ひっぢのブログをみていると、さいきんは雪崩の話題が多い。以前日本のスキー場で雪崩コントロールの仕事をしていた彼にとって雪崩の危険は身近な存在だったに違いないが、気負いがまるでない。日常の風景のように雪崩が語られている。 それが案外と情景として美しい。
冬の楽しみのなかには常に雪崩の危険が潜んでいる。 しかし僕らは雪崩を警戒するあまり、何か大切なものを忘れかけてはいないだろうか? まるで雪崩に立ち向かう勇敢な兵士のようなストイックな気分になってはいないだろうか?
オレたちはヒーローになりたくて冬山に遊ぶのではない。
雪崩は怖い。あっという間に命を飲みこんでしまう。 では、どうすれば上手に付き合えるだろうか?
ナーバスになりすぎるニッポンの俺たちを、ひっぢはどう見るだろうか。
雪崩を当たり前の風景としてとらえ、上手につきあっているNZのパウダージャンキーたちの姿を彼のブログを通して見つめていると、何か大切なものが見えてくるような気がするのだ。
8月16日以降に雪崩の記述が散見される ニッポン人的な雪崩情報とは、ちょっと違うようだ。
2009年9月6日(日) 旅のホームページ 自転車旅の計画をたてている。計画はあくまでも計画で、9割は妄想にすぎないけれど、それでも楽しい。
今年も3〜4つの行先を選考しているけれど、どのプランも魅力的で困ってしまう。ヨーロッパから北アフリカ、南米ボリビアからチリ縦断、ようやく半分に達しつつあるオーストラリア大陸全踏破のつづき、そしてニュージーランド。どれも魅力的だ。
旅行に出るまえには誰もがそうするように、ボクもまた自転車旅のホームページを検索しては毎日飽きることなく眺めているけれど、なかなかどうして。
「どれもアクが強い!」
「猛毒注意警報!」みたいなものだって少なくない。 「どうだ、オレは凄いだろ!」系も数多い。
でも、思うのは、アクが強いHPは読んでいて最初は不快だけど、だんだんと慣れてくるから不思議。そうして、徐々にだけど、味わい深さを感じるようになる。
あたりさわりのないHPは案外おもしろくないものだ。本音が綺麗な言葉で隠されている。言いたいことを言っていないことがどことなく伝わってくる。
まあ、仕方ないとは思うけど。
そういえば、ある会社の採用担当者のこういう話を聞いた。
面接のときマニュアル本のとおりのきれいな受け答えをする学生は採用しません。思い切ったことが言える人間でなければ、会社は成長しない。
人と付き合っていても、アクが強い人 のほうが面白い。度胸のあるひとや失敗を数多くしたひとは人間として魅力にあふれている。いっぽうで、あたりさわりのない人はどうしても少しばかり物足りない。
旅をするひとは、ちょっと変わった人が多いだろう。特に辺境の旅人になればなおさらで、そういうひとのHPは偏屈とならんで示唆にあふれている。それだけに深みがあって、「毒」に慣れさえすれば、面白さ花満開だ。
先人が言うように、そこそこの毒は、良薬なのかもしれない。 よ〜し、オレももっともっと毒を吐くぞ!(違?)
2009年9月2日(水) 自転車の旅 昨夕、久しぶりに自転車屋さん に行ってきた。今年の自転車旅の準備をするために、相談したいことが山ほどあった。
ボクの自転車は激しく痛む。たくさんの荷物を積んで長距離を走るし、未舗装の道はもちろん、灼熱の砂漠を走ることもあるし、砂嵐に巻き込まれて部品の隅々まで砂まみれになることもある。ボクの自転車はちょっとかわいそう。 大がかりな修理というか、リフォームをすることになった。
自転車の旅というと、顔をしかめてしまう人が多いと思う。辛そうなイメージが先行してしまうのは、まあ仕方ないかなと思う。でも、それ以上に得るものが大きいんじゃないかな?とボクは感じるから、旅を続ける。
なんたって、地球儀を眺めながら、自分の力(人力)でここからここまで旅をした、という痕跡を確かめられる。
そういうのって、良くね?
変態趣味だろうか?
健康ブームだ。自転車はいい。体重は劇的に減るぞ。1か月で10kは軽いぞ。
膝への負担が少ないから、靭帯がボロボロでもノー問題だ。ジョギングのような激しい衝撃がない。
とまあ、そういうもったいぶった理由を並べたてた物理的な要因よりもむしろ、 ああ〜、旅してるな〜、という感慨が好きなのだと思う。
なんたって人力なのだ。地球を自分の足で踏みしめている。
ボクが通う自転車屋さんは北海道では希少なプロショップ(専門店)でとても評判がいい。どこで聞いてくるのか北海道を旅するチャリダーの多くがここを訪れる。この日も旅のチャリダーさんが修理にきていた。これから宗谷へと北上するのだという。
旅のチャリダーさんと旅の話をしていると、なんだかテンションあがる。
さて、今朝は抜けるような青空。なんだか旅に出たくなってきた。 これからは毎日のように地球儀を眺めながら旅先を妄想して楽しむのだ。
そういうのって、良くね?
変態趣味だろうか?
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