ガイド日誌

最近の出来事

北の暮らし歳時記など

HOME

E‐mail


〈INDEX〉

ガイド日誌TOPとバックナンバー目次へ戻る


2010年7月28日(水)

わたしの夏の旅

 

みなさんの夏の旅は、もうお決まりですか?

 

水曜どうでしょう班もいま、あてのない旅をしているそうです。

旅って、いいですね。

 

旅が好きな方はきっと、ずっと前からあちこち旅をされてきたのではないでしょうか。

そのなかには思い出深い旅もあったことと思います。

 

なぜでしょう、昔の旅。

誰にとっても、旅をはじめて間もないころの旅が、特に思い出深いのではないでしょうか。そんな気がします。

 

学生のころに乗っていた1台の古いオートバイが、僕の手元にあります。

ずっと実家に放置していて屑鉄同然でしたが捨てることが出来ず、かといってこのまま朽ちていくのを看過できずに今年の春ついに北海道に運びました。

 

3か月かけて再生、20年ぶりに相棒は生命を取り戻しました。

タンクの色は濃紺の真夏の空のようです。

 

このオートバイを見ていたら、これに跨って出かけて行った学生のころの旅のひとつひとつを思い出して止まらなくなります。

 

ルピナスブルーの大きな燃料タンクが真夏の青空にしっくり馴染んだものです。

燃料タンクには白く大きく、Kawasakiの文字。19歳20歳の僕はこのエンブレムを、何度指でなぞったことでしょう。

 

愛おしいオートバイでした。

 

九州、山陰、山陽、能登半島、四国、甲信越、それから小さなフェリーで渡った瀬戸内海の島々。ひとつひとつはほんの些細な旅だったけど、小さな思い出が積み重なってきたと思います。

 

そして辿り着いた北海道。そして現在があります。

 

今ではオートバイに大きな荷物、テントと寝袋を突っ込んで各地を転々としながらアルバイトをしながら旅をするということはありませんし、たぶんそういう機会はこの先きっとないと思います。今おもえば青臭い旅ですが、愛おしい日々でした。

 

きょう、返却されたレンタサイクルを整理していたら自転車のカゴのなかにお客さんの忘れもの?ひょいと摘みあげたらそれは、どこかのキャンプ場の施設利用申込書でした。

 

そういえば今朝、大きなバックパックを担いだ外国人のお客さんがいらっしゃいました。きっとあの方が捨てていったのでしょう。

 

なんだか急に羨ましくなって、しばらくじっとその紙切れを眺めていました。

 

バラバラバラとまるで機関銃のような、トタン屋根に叩きつける大粒の雨の音。

夕立が激しくなっていました。

 

うまくいえないけど、

夏の旅。いいもんですね。

 


2010年7月25日(日)

ジレンマあります

 

日曜の朝はのんびりペースで始まりました。

 

予約もあまり混雑していないので、すっかり油断してました。

お昼前からはお客さんが一向に途切れなくなり、そのうち団体バスがやってきました。バスのなかには予約なしで来てしまう「一匹狼」もあります。まあ慣れっこですけど、正式予約に重複、それも2台も3台も重複したときはさすがにパニックになります!

午後には商品であるレンタル用自転車が予備保管用も含めてほとんどなくなりました。午後3時前後にはバス駐車場までもが満車になってしまいました。

 

いやもう、参った参った。汗も凍るよ。

 

ガイドの山小屋は個人旅行者、つまり旅人を対象にしてきました。

数年前まで団体を頑なに断り続けてきました。

 

その理由は、自分が現役の旅人で、旅先で「団体さん」のなかに巻き込まれたときの「不快」を、みなさんと同じようにリアルに理解していたからです。

 

平成13年ごろからレンタサイクルに団体のオファーが目立つようになりました。しかし当時の私たちにとってレンタサイクルは副業にすぎず、貸し出し可能な状態はママチャリとマウンテンバイクあわせて20台程度にすぎません。

そもそも受け入れは無理でした。

 

平成15年。それでも強引にやってくるバスがありました。まったくもう、冒険者ですよね。予約はもちろんありません。てゆうか、受けないし。(苦)

 

当時は道路が舗装されておらず、あぜ道のような1本道でした。そもそもバスの通行が危なっかしい。それでもやってくる冒険バス。

 

いやもう熱意に押し切られたってカンジで。

 

急いでママチャリを20台注文。

かといって保管場所もなく、毎晩ブルーシートで包みました。

 

気がつけば、ガイドの山小屋には毎日のように団体バスがやってきます。

あぜ道同然だった店の前の道路が完全に2車線にアスファルト舗装されてからは、ますますやってくるようになりました。

特に宣伝はしていませんし特別なことを何もしていないのですが、それでもやってきます。添乗員さんに媚びることもしませんし、無茶な要求にはノーと言います。そもそもガイドの山小屋は個人旅行のための店なので、団体がこなくても困らないと思ってますから媚びる必要はないんです。

 

添乗員さんには媚びませんが、せっかく来てくれたお客さんは別。みんな嬉しそうですからね。せっかく来たんだから楽しんでもらわなきゃ。

100台の自転車を一度に出すのはとても大変だけど、100の笑顔が帰ってくるんならやりがいがあります。

 

しんどそうな仕事ですよ。見た目と違って大して儲からないし。

でも、やればわかります。やり甲斐あるんです。

 

でも気になるのは、個人旅行のお客さん。

 

来店されたとき、バスが2台も3台もいて、団体ツアーでごったがえしていたら、どんな気分だろうか。

僕ならきっと嫌だろうな。

 

それでもプンプン怒って帰ってしまうひとは今のところいないようです。

たぶん、ですが。

でも、不愉快を口に出すひとはいます。無理もないと思います。

 

目立たない場所にあるこんな小さな店に、国内だけでなくアジア、ヨーロッパ、各国からたくさんのお客さんが来てくれるようになったことはとても嬉しい。

でも、同時にジレンマも抱えています。

 

それでも、間もなく団体さんの季節は終わります。

8月に入れば、3日おき1台程度まで減ってくるでしょう。

10月は、ゼロ。(笑)

 

ジレンマは解消されるんですが、少し寂しく感じることもあります。

ねえ、やっぱ、賑やかなほうがいいなって、思うこともあるんですよ。

 

9月も半ばを過ぎるとお客さんが1日に5人くらいとか、決して珍しくないですから。

それが本来の姿なんですよ、ガイドの山小屋は!

 

そのころの美馬牛の風景は綺麗。紅葉のころなんて、ほんと綺麗。

10月の夕暮れどきなんて、奇跡の風景だと思う。

でも、お客さんは1日に5人くらいなんだけど。(笑)

 

お店を賑やかなJR美瑛駅前ではなく、美馬牛(寂しい無人駅ですが)の駅裏に建設してよかったと、今では思ってます。

まあ、ジレンマは、ありますけどね。

 


2010年7月24日(土)

雨でも登山しますか?

 

開業から10年間は登山ガイド業務が僕たちガイドの山小屋の主な仕事でした。

(現在は山岳ガイド業務は冬季だけです)

 

主に個人旅行のお客さんを対象に小人数2〜9人の募集ツアーを実施してきましたが、やむを得ず稀に団体ツアーを受け入れることもありました。

 

それは個人のお客さんとは切り離して行う団体登山ガイド業務でしたが、当時、発注の際に無茶を要求するエージェントさんは珍しくありませんでした。

それに抵抗すれば「業者はお宅さんだけではないですよ」とズバリ申す担当者のいる会社もありました。

さすがにそういう不安を感じるお仕事のときは、やんわりお断りしました。

しかし、多くの職業ガイドたちは生活のために、無茶な要求を受け入れざるを得なかったと思います。

実際に事故が散発していました。

あのまま続けていても僕たちは決して事故を起こさなかったと、言いきれるものではありません。

 

やめる直前、リスクは極限まできていたと思います。

 

全員に登山靴と雨合羽って、厳しすぎませんか?って本気でいう会社。

山小屋(避難小屋)の場所取りを前もって指示する会社。

雨でも風でもスケジュールどおりの催行を強いる会社。

 

こうした要因で発生する事故でも全てガイドの判断ミスってことにされます。

夏山登山ガイドをやめたきっかけは、大怪我で1年間仕事ができなかったことが直接の原因でしたが、怪我の功名だったと思います。

 

よかった。

 

きょうは雨です。こんなお天気で続行される登山ツアーは、まさかないと思いますが。そのまさかが、実際にはあるんですよ…。

 


2010年7月19日(月)

夕方の富良野国道

 

さいきんとても忙しく、買い物に行けない日が続きました。

ついに食べ物がなくなってしまったので、きのう夕方、思い切って買い物に出かけることにしました。

超繁忙な連休ですが午後から雨になり案外と早くに店じまいができたのです。

冬のツアー営業用のハイエースでゴトゴトと、家族みんなで出かけました。

 

しかし、折しも連休の中日、すごく混んでいるとウワサの富良野国道・・・。

戦々恐々としつつ国道に出てみたら、

 

あれ?

あれあれ?

 

ガラガラなんです。

昼間あふれかえっていた道外ナンバーも「わ」も見かけません。

 

平日ならば業務用や出退勤の車がひっきりなしに通行する夕方7時半の富良野国道。夕暮れ時って結構混んでますよね。

ふだんの日曜日ならばレジャー帰りの車が多い時間帯。そういうのってたぶん、日本全国どこの町でも同じです。

 

美瑛・富良野は今がラベンダー観光の最盛期。

そして今は3連休。

 

夕方には観光客の皆さまはそれぞれのホテルにチェックインしているでしょう。道内の人はたぶん大渋滞することで有名な富良野近辺を避けたでしょう。3連休の中日だから事業所のほとんどは休みで業務用の車両も最低限。通行が少なかった理由はそんなところでしょうか。たぶん。

 

いや〜、たまにはいいもんですね。

まるで深夜のようで。

 


2010年7月15日(木)

ask me!

 

お店の混雑には周期があって、その合間でなるべくパトロールに出るようにしています。(パノラマロードだけ)

 

なぜかというと、迷子を防止するため。

 

自転車にまたがって、地図1枚にらめっこ、不安そうに交差点でたたずむ人をよく見かけます。いやもう、毎日のように出会います。そういう人!

その気持ち、わかるぅ〜!

 

ガイドの山小屋の自転車ならもちろん、他店のお客さんでもお声をかけます。

びっくりする人もいますし、待ってましたの顔する人もいる。ガイドの山小屋のお客さんでもボクだってわからないことが多いようです。

ヘルメット被ってますからね。

 

大抵のレンタサイクル店では地図をいただけるようですが、いただけないお店もあるようですし、あるいは、デザイン重視の手書きだったり、情報が古いモノをそのまま使っている場合もあるようなので、道に迷ってしまうのは仕方ないかもしれません。

ただでさえ、広い広い美瑛ですから。いくつもの丘をこえますから。

 

デザイン性はともかく、ロードマップを元にした正確な地図を積極的に配布できたらいいのにと思います。

今のところ、無料あるいは100円未満で配布されている地図のなかでは「こぼら会のびえいマップ」がいちばん正確で情報も新しいと思います。

 

交差点で地図とにらめっこ。そこへ近づく小型オートバイの男。

もうそれだけで充分に、あやしいですよ。

 

ギリギリ不審者?

わかってますって!

 

ところで、外国人と日本人の区別、外見ではまったくわかりません。

メイアイ、ヘルプユー?とか、ユー、ロスト?とか話しかけますが、無視しないでね。

 

いや大丈夫です、と、一言言い放てば、すぐに離脱します。

断固拒否のときは、そう言ってください。

 

まあ、今のところ、断固拒否に遭ったことはないようです(汗)

 

うまく使ってください。

 

あ、自転車のひとだけです。

自・転・車・だ・け。

だってオレ、レンタサイクル屋だもん。現役のチャリダーだもんな。

それに車やオートバイのひとは、なんとかなるでしょう。

 

すみません勝手で(苦)

 


2010年7月11日(日)

20年変わらないもの

 

昨日は雨で、お店が休みになりました。

ボクは1日中ずっとガレージに閉じこもってオートバイの整備をしました。

相棒の復活がみえてきたものだから、いてもたってもいられないカンジでした。

 

早朝の4時までぶっ通しの作業の末に、

20年ぶり、ついに復活したボクのオートバイ。

きょう午後、試運転をかねて、美瑛の丘を走ります。

 

これがなければ、たぶん北海道移住もなかったと思います。

 

罪つくりなヤツです。

 

1980年生まれの30歳です(クリックで拡大

 

 

20年前の相棒は今も相棒。

 

2枚とも本日夕方、上富良野町「ジェットコースターの道」頂上付近にて

いま、ジャガイモの花がとてもきれい!

 


2010年7月9日(金)

オートバイの旅

 

7月に入って夏本番。オートバイの旅人がふえてきました。

僕の店の前の道路は行き止まりですが、迷い込んだ旅のオートバイがときどきふらふらやってきたりします。

 

20年前はボクもそのひとりでした。

 

その、20年前にボクが乗っていたオートバイはシートを被せたままずっと実家の軒下に放置していました。軒下とはいえ雨風に晒される屋外です。ただただ年々朽ちていくばかり。

 

忘れたことなんてなかったけど、動かないオートバイを神戸から北海道へ持ち帰るのはとてもじゃないけど難しい。重さは230kg。

 

でもこの春ついに、屑鉄の塊、もといオートバイを引き取りましたっ!

 

しかし、なにしろ30年前のオートバイです。

さらに、20年近く屋外に放置されてビクとも動かない。運搬するにはまず、錆びついて回らない車輪の錆び落としから始めなければなりませんでした。

ゴム製の部品のなかには触れるだけで砂のように粉々になるものまでありました。

 

朽ちた金属の塊だったボクのオートバイですが、北海道に持ち帰ってから2週間でとりあえず動く状態になりました。長い眠りにつく前にエンジンはオーバーホールしてあったので、ブレーキの錆びを落として新品のバッテリーを入れてやっただけで、車検だけは取得することができました。

 

ナンバープレートは昔のまま。登録上の持ち主は旧姓のボク。

 

でも、本当の作業はそれからです。

 

車検が取れても安全に走ることができるという意味じゃありません。とりあえず、動く、止まる、灯火が作動する。それだけを調べる形式上の試験に合格しただけです。実用に耐えるわけじゃない。

 

難しい英語の試験に合格したからといって、英語がペラペラ喋れるとは限らないのと同じ理屈ですね。

 

作業開始から2カ月。

当初は赤錆びた鉄の塊にすぎなかった車体は黒く輝るようになりました。

蓋をあけたら錆び錆びだったガソリンタンクも、凹みや塗装の傷などの外見はともかく、中身は新品のように銀色に光っています。

 

なにしろ古いので美車とはいきませんが、それでも見違えるようだと思います。

 

少しだけ、20年前の面影を取り戻してきたようにも思えます。

 

仕事をしながらの作業なので、すぐにとはいきませんけど、もしかしたら今年じゅうに現役に復帰することができるかもしれません。

 

1日の仕事が終わってから、夕方の美瑛をときどきオートバイで走ります。

エンジンが奏でる穏やかな鼓動を感じているだけで仕事の疲れがほぐれていくような気がするんです。

 

夕方の恒例行事なんですが、相棒と一緒に再び美瑛を走る日は、そう遠くないと思ってます。

 

ガレージのなかには仕事用の小型オートバイと、プライベートな2台のオートバイ。隣に並んだ現役のオートバイと比べて旧相棒には、つい最近まで精気がまるで感じられませんでしたが、今は違います。生命が宿ってきた雰囲気がある。オーラが見える。気のせいでしょうか。

 

この相棒と20年ぶり、北海道をツーリングできたらいいなあ、と思ってます。

 


2010年7月8日(木)

真夏の嵐

 

8時、 開店。暇。

9時、 やっぱり暇。開店から1時間目ようやく最初のお客さん来店。(ホッ)

10時、ようやくポツポツとお客さん来る。

11時、雨が降り出す。きょうの商売終了の予感。

11時30分、豪雨。お客さん救出作戦開始。

12時、救出終了。商売終了。

13時、雨あがる。とたんに来店するお客さんが途切れなくなる。昼食えず。

14時30分、台湾L社のバス来る。

14時40分、香港A社のバス来る。

14時50分、不明T社のバス来る。

    この間にも一般のお客さん途切れず来店つづく。

 

15時、ガイドの山小屋、おもむろにパニックに陥る。実は機能マヒ。

 

30分間で3台の大型バスがきて、3度にわけて計100台以上の自転車が放出されたことになります。

すべての自転車が一度に「四季彩の丘」を目指すわけで、ある意味壮絶・・・。

バスは1時間間隔で受け入れる手配なのですが、みなさんけっこう自由というか気楽というか…。しかし今日のように30分の間に3台集中は珍しい。

 

15時30分。L社出発。

15時40分。A社T社相次いで出発。

16時。ほとんどのお客さん戻る。

16時30分。そして誰もいなくなる。

 

夕方、トイレ掃除したんだけど、凄まじ怖かった・・・。

 

嬉しいような、わけわからんような、嵐の夏の日でした。

 

みなさん、午前中に来店していただいたほうがよいと思います。

嵐に飲み込まれません。コース説明も、落ち着いて丁寧に出来ますし^^;

 


2010年7月7日(水)

品薄と節約と

 

最近は、ほとんどの皆さんが電動自転車を借りていかれます。

お昼過ぎには最後の電動自転車が出庫して、ついに売り切れになりました。

これから7月下旬にかけては予約も混雑していて、品薄状態が続きます。

そういえば、すでにレンタカー屋さんはどこも満員だといいます。

 

「レンタル代が高いから、そんなに売れないだろう」と思ってはじめた電動自転車のレンタルですが、最初のうちはせいぜい賑やかしのつもりでした。

それが、まさか主力になるなんて思っていませんでした。

 

しかし、1台が10万円以上します。

北海道の夏の観光シーズンは短く、7〜9月の売上がすべてだと言っていいくらいです。

たった3か月で元がとれるはずもなく、売れるからといって何台も買えない。そのへんの苦しい台所事情。保有台数は20台が限界です。

それでもたぶん、美瑛富良野ではもっとも保有台数がある店なんじゃないでしょうか。

 

電動自転車。少しずつ増やしていくつもりですが、年間3〜4台が限界でしょうか。

 

実は、お店としては、もっとも高い利益率が望めるのはダントツでママチャリです。2〜3週間で車両代金の元がとれて、あとは壊れるまで儲かりまくり。みなさんがママチャリ志向ならもっと儲かるのに!と思うんですが、そんなに甘くない。

 

ママチャリ=安い=みんなママチャリに殺到

 

という単純な構図に、みなさん以前のように簡単には乗らないようで。(苦)

 

ママチャリ=予定の半分も回れない&しんどい=それって損してんじゃん!

 

インターネットの普及のせいでしょうか。そのへんバレバレのようで。(汗)

結局、失敗のない電動自転車へとお客さんの志向が向いていくようです。

 

じゃ、ついでなので少しでも節約する知恵を。

 

午前、美瑛で電動自転車を3〜4時間。1800〜2400円

JRで移動。220円

午後、美馬牛で電動自転車を3〜4時間。1800〜2200円

合計 3820円〜4820円

 

多くの方がこのようにしているようです。

これで1日で美瑛の丘全部を回れるわけですが、でもお金高くないっすか?

 

美馬牛・ガイドの山小屋で「電動自転車 乗り放題プラン」3000円

これで全部回れます。乗り放題プランの専用バッテリーは国産最大の10Aです。1個のバッテリーで140km走れます。1日でバッテリーが切れることはありません。しかも乗り放題専用の自転車は、変なカラーのオバサンぽい電動自転車じゃありません。新しくてカワイイ。( 新型車&10Aバッテリーはガイドの山小屋だけ)

 

効率のいい回り方は、美瑛の丘全体を、「JR美瑛駅」を数字の「8」の中心において8の字形に回る方法。「美馬牛」は8の字の右上、書き順の最初と同じ位置になります。効率がよく合理的で、2回借りるよりも無駄走りがなくラクです。

8の字の上半分が「パノラマロード」、下半分が「パッチワークの路」です。※

 

数字の中心がJR美瑛、書き順スタート位置が美馬牛。書き順と同じ方向に進みます。

 

 

◆午前9時 美馬牛出発

美馬牛小学校 ー 四季彩の丘 ー 拓真館 ー 哲学の木 ー 三愛の丘でソフトクリーム

◆正午頃、JR美瑛駅

ケンとメリーの木 ー セブンスターの木 ー 親子の木 ー 北西の丘でソフトクリーム ー マイルドセブンの丘 ー JR美瑛 ー 新栄の丘 ー クリスマスツリーの木

◆午後5時、美馬牛ゴール

 

行き

【JR富良野線 旭川から美馬牛へ】 

・旭  川 742  928

・美  瑛 821 1002

・美馬牛 829 1009

【JR富良野線 富良野から美馬牛へ】

・富良野 818

・美馬牛 848

 

帰り

【JR富良野線 美馬牛から旭川へ】

・美馬牛 1711 1731 1830

・美  瑛  1720 1739 1838

・旭  川  1745 1817 1909

【JR富良野線 美馬牛から富良野へ】

・美馬牛 1711 1830

・富良野 1739 1850

 

 

時間とお金の節約を考えた有利な方法。

検討してみても損はないですよ。ボク、一応、土地勘のある地元民ですから。

自分でもこのコースをときどき走っています。

 

※体力レベルと所要時間

電動自転車=普通/6〜7h マウンテンバイク=健脚向/8h ママチャリ=無謀!?/10h以上

距離約50km、最短3時間弱/ほぼノンストップでロードバイク使用の場合

 


2010年7月3日(土)

夏の旅

 

僕たち的には、毎日の仕事に励んでいる、ということになるんですが、訪れるお客さんたちはまさに、旅の人、なんですよね。

 

うらやましい・・・。

 

きょう、修学旅行の生徒さんの忘れものを届けるために、オートバイでバスを追い「ジェットコースターの道」を爆走したのですが、ジェットコースターの道はオートバイ旅人の聖地のようになっていて、きょうも何台かのオートバイと並走(追い越しましたが)しました。

 

彼らは雄大な旅を満喫していて、

ボクはドジな高校生の忘れ物を届けるためにバスを追いかけている。

 

同じオートバイなのに、なんという違いでしょう!!

 

仕事で走り回っていると、ときどきピースサインなんかももらうんですが、実はボク、単に仕事中なんですよね。^^;

 

うらやましい・・・。

 

恒例、秋の自転車旅の下準備をかねて、いろんな方のブログを拝見したりしています。

きょう、

「しんどい!こんなのイヤだ!」という赤裸々な文章にたどり着いたとき、なんだかホッとしました。このひと、正直な人だなって。

 

「すごい人」は全然そんなこと感じなくって、いつも雄大なことばかり考えているのかもしれませんが、ニセモノアウトドアマンで全然すごくないボクは違う。

そういえばボクは自転車旅の途中いつも不満ばっかり言ってます。きょうは寒くって嫌だ、とか、きょうは風がつらい。とか、きょうも向かい風だった、とか、坂ばっかりで嫌になる!とか、言葉が通じん!とか。そんなかんじ。

そういえば自転車旅の感想であんまり「サイコー!」なんて書いたことないかも。

 

いっつも、「しんどい!こんなのイヤだ!」って思ってるかも。

実はネガティブなんやろか、俺って。

 

でもでも。でもですね〜。

じゃ、なんで自転車で旅するのと言われたら。

 

ニッポンのホッカイドーに帰ってきてから、世界地図のうえに、自分自身の足で刻んだ道を記すことができるんです。

 

自分の足で旅したんです。

ガソリン燃やして移動したんじゃない。ガソリンのかわりに脂肪を燃やすんです。

 

これが実は快感。かなりうれしいです。

俺すごいやん。すごいし、脂肪めっちゃ燃えたやん。みたいなかんじで。

 

ほんと、びっくりするくらい脂肪が燃えます。

こうしてボクは年に15kgくらい体重が変化します。

だから今は、ちょっとくらい太ってもいいんです。(ダメっすか?)

 

遊んで(かなりビミョーだけど)、脂肪燃えて、英語うまくなる。

あ、英語うまくなる、は嘘かも。単に悪戦苦闘してるだけだから。でもまあ、ひとりぼっち異国で悪戦苦闘してたら嫌でも喋れるようにはなりますって。確実に。

 

脂肪を燃焼して雄大な旅。

英会話スピード上達コースが無料でついてくる。

超エコでしょう?

 

あああ、なんか、きょうはめっちゃ話が飛びました。

 


2010年7月1日(木)

人気?青い池

 

それはまだガイドの山小屋がカヌーツアーをやっていた頃の話です。

だいたい10年くらい前のことです。

 

場所は白金温泉の手前、民間のクレー射撃場があって、 その奥に砂防ダムがいくつかありました。そのひとつは元の河原が浅瀬になっていて、水が溜っていました。美瑛川の上流なので水もきれいです。

水量調査?のボートをおろすスロープがあって、車で乗り付けることができました。(今は樹木でふさがれています)

 

僕らはそこでカヌーの練習をしていたのです。カヌーガイドは僕をふくめて常に4〜5名いました。5月6月はここで本シーズン前の練習に励んでいたのです。

 

立ち枯れたカラマツをポールがわりにして急旋回の練習、後退、横移動、流れのなかに出て遡上、Uターン、いろんなことをここで練習しました。

 

だから、まさか10年後、この水たまり池が「青い池」という名前になって脚光を浴びるなんて思いもしなかったんですよ。だって、そんなに素敵なところでもないし。

正直、なんで〜?って思ってます。

 

この青い池、さいきんは大型観光バスもやってくるそうです。もちろん自転車で行こうとする方もいらっしゃいます。

 

JR美瑛から行けばやたら遠いうえ交通量の多い車道の端(歩道がない)を走行するため、最短で安全に行けるJR美馬牛を出発点にする方が多いようです。電動自転車で青い池へ、今では珍しくなくなりました。

 

ただ、具体的に所要時間がどれくらいなのか、ボクにはつかみかねています。

自分のMTBではよく白金温泉まで行くのですが、MTBと電動自転車では特性が大きく違います。スピードならMTB、ラクなのは電動自転車。所要時間も感想も大きく異なったものになるでしょう。

実際に行ってみないとアドバイスは難しい。

 

7月に入って何かと忙しくなってきましたが、なんとか時間をみつけて

 

「電動自転車で行く白金温泉「青い池」ダイジェスト!」

 

を作りたいと思っています。

 

ただね〜、

 

青い池、期待外れだったという感想を多く聞きませんか?

この間久しぶりに行ってきたんですが、実は僕もそう思う。

美瑛・富良野「3大がっかり」のひとつ?なんて話もちらほら・・・(苦)

 

オススメしていいのか、どうなのか、

悩むところではあります。

 


2010年6月28日(月)

負けなかったニュージーランド

 

まだ6月だというのに、30℃を超える日が続いてます。

暑い〜

 

本州と比べたらまだまだ・・・。と言いたいところだけど、すっかり北海道仕様の体になってしまった瀬戸内育ちの僕たちは、完全降参。

 

さて、熱帯夜を吹き飛ばす勢いで徐々に盛り上がりってきたサッカーワールドカップですが、ボクが注目していたのはニュージーランド代表でした。

 

総人口400万、老若男女ラグビー一色といっていいこの国が本戦に進んだことは、それだけで快挙といえます。

 

人口560万の北海道代表が、ワールドカップ本戦に挑めますか?

それくらい、すごいことなんです。

 

そのニュージーランド。すばらしい戦いをしてくれました。

F組

スロバキア 1−1

イタリア 1−1

パラグアイ 0−0

 

優勝候補のイタリア、そしてパラグアイにも負けなかった!

泣〜〜

 

いつの間にそんなに強くなったんだいニュージーランド。

どんだけ根性あるんだよニュージーランド。

 

ラグビー世界ランキング1位のニュージーランドでサッカーは超マイナースポーツ。サッカーグラウンドなんか見たことないですよ。

蹴飛ばすのは羊の尻くらいなもの、それがニュージーランド。

 

あのニュージーランドが〜!!ですよ。

何があったんでしょう?

 

負けなかったとはいえ勝ちはなく、F組はスロバキアとパラグアイが決勝トーナメントに進みましたが、スピリットは十分に伝わりました。俺いますぐオークランドに飛んで代表を拍手で迎えたい。

 

そして次。ニッポンの出番ですよ。

我がニッポンは、ニュージーランドが屈しなかったパラグアイに挑戦します。

あまりサッカーに興味のないボクですが、なかなかどうして注目の一戦ですよ!!

 

燃えるぅ!

 

さあさあ、それはそうと、人口560万の北海道もしっかりしましょうよ!

1970年代、国家的財政破綻を経験したニュージーランド。それでも見事に蘇ったニュージーランド。北海道よりも人口が少ないんですよ。風景も気候もそっくりですが。

なんでもかんでも不景気のせいにしてないで、中央の予算や政治をアテにせず、北海道は北海道。不死鳥のごとく蘇ってみらいたいものです。

 

難しい難しいなんて決まり文句ばかり言わないで。コンサドーレがワールドカップに出場するよりは難しくないんじゃない?

 

ニュージーランドに学ぼうよ、北海道。

 


2010年6月26日(土)

社外秘 業務日誌流出!

 

みなさんの会社のようにガイドの山小屋にも、業務日誌があります。

あ、コレじゃないですよ。(当たり前)

 

過去の日報を読んでいたら、不謹慎ながら、かなり面白い。

なにしろ社外秘ですから刻々と赤裸々に詳細が記されています。

 

どんな内容か、気になりますよね?

では、平成20年にタイムスリップ!

 

 

平成20年6月**日 くもり

****-0*JH601 CI

数量 18

売上 ****

添乗員お名前 ****(****)

お昼前、添乗員さんより「今日、営業してますか?3時半に行きます」とtelあり。今年はじめての****(旅行会社名)さん。

時間通り3時半到着。今にも雨が降りそうな天気だったが何とか1時間もつ。添乗員さんは全員揃いましたと言うけれど、数えてみたら自転車が1台足りない。しかし****さんのバスは出発してしまう。オーナーが心配して探しにいく。まもなく迷子になっていた中年の女性をみつけて連れて帰る。大急ぎで添乗員さんに連絡、オーナーが(すでに出発してしまったバスを追って)拓真館に連れていった。

 

 

2年前、奥さんが書いたこの日の日報の一部抜粋です。

どうです?ドキドキしたでしょう?

 

業務日誌は必要な場合に備えてマジメに詳細に書かれています。添乗員さんからの情報、バスの運転手さんからの些細な情報などもメモしてあります。それらは後日役立つこと があり大いにプラスです。そういったマジメな書類ですけれど、数年たって読むとかなり面白い。その日の出来事が蘇っています。

 

コレってまさかの出来事ですけど、案外こういう類の話も山ほどあります。

って、マジっすか?

 

本にしたら面白いだろうなあ、と思うけど、さすがにそれはできないなあ。(笑)

 


2010年6月23日(水)

人妻とオートバイ2人乗りの巻

 

そういえば学生のころ、 オートバイでする仕事っていいなあと憧れたことがあります。その頃に読んだ流行小説の影響だったと思います。

 

オートバイの仕事って何が思いつきますか?

 

白バイ警官

郵便配達とか新聞配達とか

バイク宅配サービス

ラーメン屋とかピザ屋の出前

オートバイ・レーサー

 

こんなものでしょうか。案外と思いつかない。

 

最近の僕、オートバイで仕事しています。昔の憧れを実現させたわけではないです。たまたま、なりゆき上でそうなりました。レンタサイクル屋の仕事です。

 

まさか本当にオートバイで仕事をすることになるとは思ってもみなかったし、そもそもレンタサイクル屋になるとも思ってなかったし、まさかレンタサイクル屋でオートバイを使うようになるなんて、もっと思いつかなかったです。

 

いやあ、人生先はわかんないものですね。

 

レンタサイクル屋のオートバイはいろんなことに使いますが、いちばん出動回数が多いのはパトロールです。団体のお客さんのとき、レンタサイクルが一度に何十台も出庫しますから、先回りして交差点で交通整理するのです。

そうしなければ群集心理で車が来てようがお構いなしで交差点を強行突破してしまいます。いやマジでそうなんですよ。

 

それから迷子の捜索。これも団体さんに多いです。それから故障車の出張メンテナンス。たまにあります。

 

通常のパトロールでは、勝手に畑に入って写真撮ってるひとを見つけたらヤキを入れたりするんです。(冗談です)

 

ホンダの250ccを使っていますが、ナンバープレートは香川県。珍しいので会話のきっかけになることも多いのでお気に入りです。以前は高知ナンバーのオートバイも持っていて、「高知」がきっかけで珍しい友人が出来ました。よさこいソーランの長谷川岳さん。こんど参議院議員選挙に立候補するそうです。もし当選したら、ボクの友人史上初の代議士誕生です!

 

まあ、それはともかく、ナンバープレートは大都市のナンバーよりも田舎のほうが好意的に受け入れられるように思います。その証拠に神戸ナンバーで寄ってくるのは関西人だけだし、品川ナンバーではいきなり捕まったし!

 

きょうの午後やってきた台湾の「獅子旅行社」さん30数名御一行様。しかし、集合時間になっても初老の女性がひとり帰ってこない!

そこでオートバイ出動。

でも見つからな〜い!

そうこうしているうちに後からきた別の台湾系団体さんが帰ってきて、そのなかに交じっているだろうと思ったら、そこにもいない。

 

どこだ〜〜?

 

美瑛の丘、ひたすらオートバイ爆走。(苦)

 

20分後、美馬牛から北へ1キロで畑作作業中の農家さんのお世話になっている台北奥様を発見。オートバイで奥様と二人乗りして帰りました。

 

そういうことにも活躍するボクのオートバイです。

ちなみに、ガソリン1リットル30キロ以上走るんです。

どうよ?エコでしょう?

 ホンダ XLディグリー1991年


2010年6月22日(火)

レンタル・マウンテンバイク(MTB)

 

レンタサイクルが、転換期にきているようです。

かつてマウンテンバイク(MTB)はレンタサイクルの花型でした。
体力的にきついママチャリにかわる救世主として脚光を浴びてアウトドアブームも追い風に、そんな時代でした。

続いて電動自転車の登場。エコロジーの流れにも乗り、いまやレンタサイクルは電動自転車の時代です。
アウトドアブームは衰え、MTBもほぼ見捨てられたような気配すらあります。

さて、ガイドの山小屋では5年前に購入した前後フルサスペンションのMTB10台が、そろってダメになりました。

痛んだ部品をすべて修理交換すれば新しく買うくらいする。

それって矛盾だし、 困った。

僕たちは議論しました。

新しいMTBを買うべきか。買わざるべきか。
予算はいくら?
そもそも新車を買って利益は出るのか?

そうなのです。
そもそも利益は出るのか?なのです。

電動自転車の登場でMTBはレンタサイクルにおける役目を終えたかのように思えます。
いまMTBを借りるお客さんはごく少数で、どうしてもMTBじゃなきゃいけないひとはほとんどいません。それも、予算の都合で仕方なく、という理由です。


おまけに乱暴に扱われることが多いMTB。
泥泥に汚されて返却されても泣き寝入りするしかないし、またメンテナンスのたびに乱暴に扱われた痕跡を目の当たりにして僕は少しずつ傷つきました。
マウンテンバイクは常にトラブルのもと。それが現実でした。
MTBをやめたい理由はいくらでもあります。

経費の観点からこれまで10年間マウンテンバイクの状況を冷静に見つめてきたボクの奥さんも言います。(これから新車を買って継続することは)
「それこそ、おごってあげるようなものです。」

僕はMTBで旅をしている現役のチャリダー。MTBは自分の手足のようなもので、メンテナンスは面倒だけど嫌いしゃないです。
でも・・・。
 
いろいろ悩みましたが、もう新しいMTBを買うのはやめようと、いったん決心しました。
美瑛の別の店もMTBをやめつつあります。やはりMTBはトラブルの火種のようで、廃止する方針といいます。そういえば最近はMTBをあまり見ません。

オレもたぶんそうなる。と思ってました。でも、いったんやめると決めたら、チャリダー精神がメラメラ燃えた。

そうと決めたらむしろ意地になってしまい、倉庫じゅうの部品をあつめて10台のフルサスペンションMTBのうち執念と根性で使える部品を組み直した6台を再生しました。これらのマウンテンバイクはサイズが大きめなので男性用ですが。

これで今シーズンは乗り切ろう。

 

よぉし、時代に逆行ってことで!

 


2010年6月16日(水)

おかえりなさい日本

 

ご存じのように夏の北海道は、数年くらい前から急激に台湾からの観光客が増えてきました。

 

ガイドの山小屋も、同じく。

しかも、団体バスがやってくるようになりました。

 

何しろガイドの山小屋は無人駅(美馬牛)の裏、個人経営の見落としそうな小さな店です。なぜウチなんかに来るんだろう??って最初のうちは大層驚いたものです。おまけに当時、店の前の道は雑草が生い茂 った細道で、舗装などされていませんでしたから。

 

最初の団体バスがガイドの山小屋を訪れてから何年かたち、いまではバスも珍しくはなくなり道路もアスファルト舗装されました。

台湾のメディアで紹介されたり口コミで広がったようで、訪れる台湾のお客さんはどんどん増えていきました。

いっぽうでお迎えする僕はというと、台湾のひとって北海道好きだな〜と漠然と思うものの、それについて深く考えることはありませんでした。

 

しかし、

お客さんのなかには日本語を話す方が大勢いらっしゃる。

 

次第に台湾に興味を持つようにな ったのは自然ななりゆきだったでしょう。

 

いやもちろんわかってます。戦前まで日本統治だったこと。僕の曽祖父は公務員として台湾で暮らし台湾で亡くなりましたから、たぶん少し詳しいほうだと思います。

 

実際に台湾を訪ねたのは昨年のことです。

台北の町は僕の子供のころのような、昭和の日本のようでした、懐かしい空気がそこにありました。そこは日本語が飛び交う不思議な外国でした。沖縄や高知の雰囲気に 似てる。それから大阪の活気も。沖縄と大阪のミックスですよね。

 

でも、すぐに気付きました。ここはニッポン。

 

持ち帰った台湾の硬貨には、漢字で、圓拾、とあります。10元(台湾ドル)として使用されているのですが、圓(円)です。日本の通貨単位ですよね。

昭和12年生まれの母に見せたところ、ああ懐かしいといいます。ニッポンの戦前の銀貨にそっくりだと。

 

実際、「台湾人」の年配の方々の多くが本当に日本人でした。

 

敗戦、ニッポンは台湾から引き揚げた。

そこに進駐してきた中国国民党軍 には台湾人がニッポン人に見えたそうです。事実そうだったのでしょう。日本語で話し、中国語を解しないわけですから。

台湾の戦争は「戦後」もつづき、反乱、虐殺、粛清、多くの悲劇が元ニッポン人を襲ったといいます。

 

あのときなぜ「日本」は私たちを置き去りにしたのでしょうか。

 

こう言ったひともいました。敗戦のときに自分たちも日本に連れていってほしかったというのです。

だって日本人ですよ。戸籍の上でも、パスポートもそう。

内地人が引き揚げたとき「日本人」も日本に引き揚げさせるべきだった。こうして多くの台湾生まれの日本人が祖国に捨てられた。

 

沖縄にはアメリカ軍が進駐した。台湾には国民党軍が進駐した。

 

ふたつの日本の運命はこのとき別れ別れになったと言われています。

 

いま、僕は台湾からの団体さんをお迎えするとき、心のなかでこうつぶやきます。

「おかえりなさい日本へ」

 

この間来られた団体さんは、少しにわか雨に降られました。そのとき70歳くらいの女性がふと歌いだした。

 

雨雨降れ降れ母さんが♪

 

きょうの美馬牛は雨です。そのときのことを思い出しました。

 

 

「台湾人生」公式ホームページ

あなたは台湾が、かつて日本だったことを知っていますか?

http://www.taiwan-jinsei.com/

 


2010年6月9日(水)

草木たちの季節

 

6月に入り、気温もぐっとあがりお天気の日が続くようになりました。

 

きょう一週間ぶりに雨が降りましたが、それも夕方の2時間くらいの通り雨でした。今はもう草むらのあちこちで虫が鳴いています。

 

明日もまたよいお天気のようで週間天気予報をみても当分傘のマークは見当たりません。空気は乾いていて、風は気持ちよく、

 

これぞ、ザ・北海道。

 

ほんと、いい季節です。

 

週末を除いてまだまだ観光の季節には早いのですが、それでも仕事は山のようにあるもので、ボクは1日じゅう外作業、奥さんはせっせと書類を処理しています。それにしても、ただの田舎の貸し自転車屋だというのになんでこんなに書類が必要なんだろうというくらいいっぱいありますし、さらに毎日のように処理が必要な書類が届きますし。

 

ボクの外作業は、10日くらいずっとガレージの引っ越しをしていました。3か所に分散していた作業所を1箇所にまとめます。でも普通車1台分のガレージなのでボクのオートバイ3台だけでもう満杯というかんじ。結局自転車の整備は元の場所?という有様で、2週間何をやってたんだろう??

 

それでも工具や部品、油脂類が一か所にまとまっただけで作業の能率がぐっと良くなったようです。すぐに使えるファクトリーがあることは常時、整備状態の良いレンタサイクルを提供し続けるためにはぜひとも必要なことです。

 

気がつけば、裏庭は草が伸び放題。本格的な夏をまえにジャングル化の様相です。きょう台湾系の団体さんのみなさんが戻ってくるまでの待ち時間を利用して、ほんの1時間ほどですが、裏庭の草刈りをしました。

 

全体のほんの5分の1ですが、まるで手入れの行き届いた芝生のようになりました。これもまあ、せいぜい2〜3日のことで、たちまち草ぼうぼうになるんですが。

 

草木が燃えさかる季節になりました。

 


HOME   E‐mail