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2004年12月31日(金)

寒すぎる

この年末はやたら寒い。

昼間には雪が降り続くし、夜になると晴れるんだけど、ものすごく冷え込む。氷点下20度を下回る朝は、今朝でいったい何度目だろうか。

寒さのおかげで雪はとても軽い。でも、山のツアーに行くと、あまりの積雪の多さに戦慄してしまう。相棒ガイドで冬山のスペシャリストであるU田さんがいなければとても体が持たないだろうと思った。

それにしても、この冬はとても冬らしい冬だ。雪はたっぷりだし、寒いし。

もちろんホワイトクリスマスだったし、年末もいかにも年末らしい。除雪作業がちょっと辛いが、雪がないと嘆くよりはいい。

それにしても、やっぱり寒いのは辛いな。せめて氷点下15度くらいにしてもらえないだろうか?なんて。


2004年12月28日(火)

ガイドの山小屋の交通事故

札幌から旭川まで高速道路での帰途、出口付近のアプローチで単独事故を起こしてしまった。僕の運転する大型4駆がアイスバーンでスリップしてガードレールに接触、 スピンして横向きになって車線を塞ぎ、車は止まった。停車した後続車と 運転席ドアまでの間隔は、ほんのわずかだった。 多重衝突事故の典型だ。僕はそのとき一瞬「死ぬかもしれない」と思ってしまった。追突の衝撃の第一撃目を覚悟して身構えたときのことはたぶん一生忘れることができないと思う。

あまりのショックで直後に車を買い換えた。倹約家の妻は猛烈に反対したが、今ではその妻がいちばんご機嫌で、新しい車で買い物に行くたびに上機嫌で帰ってくる。一方で僕は 買い換えた車に乗る機会はほとんどなく、相変わらず営業用のハイエースに乗って毎日、冬山に通っている。カーブのたびに体が硬くなるが、このトラウマもいつかは消えてくれるだろう。今でも生きているという、ただそれだけで嬉しい。

その事故からまだ2週間しかたっていない。


2004年12月21日(火)

安宿考 (2)テント

みんな大好きキャンプ。オートバイや自転車の旅となると、ちょっとアウトドアっぽくテントなど張ってみたくなるもの。旅でテント・デビューしたという人も、なかなか少なくないようだ。

僕のテント・デビューは林間学校を除けば高校生のころだろう。山岳部に入部してから2年間使用した軍隊仕様の三角テントが最初のテントだった。当時、僕らは この三角テントのことを「馬テン」と呼んでいて、いつも誰が持つのかを押し付けあっていたように思う。軽くて設営が簡単なナイロン製ドームテントと比べて、キャンパス地で重たいけれど天井が広い三角テントは馬小屋のような気がしたのだろう。この「馬テン」で鍛えられたおかげで僕はでっかいビニルシートがあれば何だってテントにしてしまえる。雨のあとの馬テンは水を吸って絶望的に重たくなったが、今となっては馬テンには感謝している。

さて、安宿の話に戻ろう。旅で節約しようと思ったらいちばん手っ取り早いのが「宿泊費」を削ることだ。出来る限り安宿を探すのもいいが、あまりひどい宿だと「野宿のほうがマシやで」ということになってしまう。実際、そんな経験をしたことのある人は多いはずだ。特に夏場の登山でよく耳にする。

「山小屋は中高年のジジババに我が物顔で占領されて中に入れてもらえなくって・・・」よく聞く話だ。そんなとき強引に山小屋に潜りこもうものなら、かなり陰湿な嫌がらせを受け続けることを覚悟しなくてはいけない。僕もいつだったか、用足しに外して帰ってくると、いつの間にか自分のスペースが消滅していた、回りはそ知らぬ顔をしている、なんていう経験をしたことがある。こんなときは面倒を起こさないためにも、さっさとテントを張ってしまうのが最善だろう。登山中にミレーのザックとモンベルの合羽でビシッとキメた中高年の団体を見ると僕は戦慄が走る。いろいろひどい目に遭っているからだろう。

つい話がそれてしまう。テントに関するエピソードを語ればキリがない。実際、旅人どうしで集まると決まって誰かのテント・エピソードが始まる。テント・ネタでは楽しく盛り上がることが多い。それぞれの旅人にとって様々な思い出が詰まっている。 幽霊の話や恋の話、酒の失敗談など。それが究極の安宿であるテントの、何よりの魅力だろう。コストダウンという合理的理由だけではない魅力にあふれている。

ところで、北海道のキャンプ場では一種異様な光景に出会うことがある。他人に気兼ねせず、気軽に自然に溶け込むはずのテントなのに、そのテントが密集して団地を作っているのだ。なんだか本末転倒な話だが、決して笑い話ではない。本人たちは本気なのだ。キャンプ場に長期滞在する彼らは自然と身を寄せ合うように「団地」のような臨時のコミュニティを作り、 キャンプ場の主要部分を占拠し、部外者や新参者を監視し、「オレがいちばん旅慣れているゼ!」というアピール合戦にあけくれている。 仲間に入れてもらおうと思えば、まず恭順を示さなければならない。そんなの嫌だからなるべく彼らに関らないようにするのだが、常にこちらの様子を伺うような彼らの鋭い視線に耐えなければならない。そういう光景を見ていると、ああ、やっぱりみんな日本人なんだナと思う。俗世間から逃れてやってきているはずなのに、やっぱりここまで来ても、知らず知らずのうちに「社宅」のようなコミュニティを作って身を寄せあい序列まで作ってしまうのだ。そして彼らなりの見栄の張り合いに没頭 し隣人を監視する。これじゃ社宅の奥さんたちと同じじゃないか。でも、彼らにそんな指摘はできない。そんなこと言おうものなら、きっと激昂して袋叩きに遭うだろう。つまり図星というわけだ。ちょっと哀しい光景だと言えなくもない。みんな本当は寂しいのだろう。

テント生活は安い。タダに近い。トイレと水道があれば基本的にどこでもオッケーだから場所を選ばない。辿りついた町で日が暮れたからテントを張って・・・、と、気軽なのもいい。まあ、張る場所を探して苦労することはあるが、それも慣れてくると勘が働いてスムーズに事が運ぶだろう。目立たず、適度に人目について、しかも迷惑ではない、私有地ではない広場。僕が好きなのは砂浜だ。

最近のテントは設営は極めて簡単で10分とかからない。しかしながら撤去はやはり面倒で、夜露を乾かしたり寝袋を干したりパッキングをやり直したりと、あれこれと立ち去るまでに1時間くらいかかることも少なくない。それにセキュリティの問題もある。夜中にヤンキーに囲まれた、襲われたという話も少なくない。酔っ払いに朝までおしゃべりに付き合わされたなんてこともある。警戒すべきはやはり人間だ。また雷や雨もつらい。それに少しずつ疲労も蓄積する。だから、そのへんはバランスをとって考えていくといいだろう。

ただし、テント団地のようなコミュニティに飛び込むのはどうだろう。思考がつまらない俗世間に還ってしまうし覇気を失ってしまうかもしれない。 そんなことしなくても仲間はできる。同じオーラを持つ者同士というものは自然と引き合うものなのだ。それに旅人としての感性を保つには、やっぱり自然のなかに 静かに身をおくのが一番だろうと思う。空や地面から、また傍に生えている木々から 自分の体内に不思議な力が入ってくるような気がしてくる。精気というのだろうか。とても清らかな力だ。

ふと気になってテントのファスナーをあけて外を仰ぎみたとき、大木の枝の陰から満天の星空が降ってくるのに出会って圧倒される。決して珍しいことではないけれど、やはりいいもんだナと思う。しみじみ思う。


2004年12月19日(日)

仕事はじめ

晴れた空に、どこから運ばれてくるのか、はらはらと粉雪が舞う。白砂糖のような雪がふんわり積もっている。積雪はさほど多くない。あと何日かで今年も終わる、そんな週末。

まもなく僕のウィンターシーズンが始まる。体力は充実しているし、見渡したところ何も問題はない。僕にとっての仕事はじめはクリスマスくらい。いよいよだ。

ゲレンデで足慣らしをしたり、丘を散歩したり、十勝連峰の山々を歩いてみたり、これからは春まで毎日スキーを履く。細いクロスカントリースキー1本で始めたのに、いつの間にかブーツ5足、スキー板8本を目的別に使っている。そのどれもが僕の大切な相棒だ。最初に買ったHagaの赤いクロスカントリースキーは今でも立派な現役。いろんな思い出が詰まっているので、とても捨てる気にはなれない。

昨日は深雪用の太いスキーを履いてゲレンデで練習を、きょうはネイチャースキーを履いて野原を散歩してみた。雪のうえに立つと体がすぐに慣れてくる。自然に足が前へと進む。長かった夏のことなどすっかり忘れたかのようだ。

冬は短い。シーズン100日はあっという間に過ぎていく夢のようだ。今年も思う存分に夢の日々を楽しもうと思う。8本それぞれのスキー板にも、今年それぞれの思い出が刻み込まれていくんだと思う。


2004年12月18日(土)

あやしい食い物 それは食べるとチクチク痛い「ヒゲ鍋」だった

みなさんは獣の体毛をむしゃむしゃ「食った」ことがあるだろうか。僕はある。

それは「猪鍋」のはずだった。秋の山野を駆けていた野生のイノシシの肉を、大根や季節の野菜と一緒にたっぷりグツグツ煮込んだ味噌仕立ての鍋、になるはずだったのだ。

ヒゲ鍋だろうと関係ない。オトコたちが食らいつく

その晩、冬の山岳ガイド仲間や近所に住む仲間やその家族、総勢10人以上がやってきて僕の家の狭い茶の間は大変な騒ぎになっていた。テーブルには山盛りの野菜と獣肉で今にもあふれそうな鍋がふたつ、卓上コンロのうえで湯気をあげている。誰もが鍋が煮えるのを注視しながら待っていた。味噌が煮えるときの匂いがたまらない。

まずは、男たちが注視していた鉄の鍋が煮えて周囲の男たちが一斉にその鉄鍋に取り付いた。そこは鉄の結束で結ばれた野生のオトコたちが囲むエリアだ。「硬ぇえ!」とか言いながらも肉に食らいつく。さすがは野生のオトコたちだ。以前に食ったという熊の肉の話などしながら鍋を食い続けている。何本もの箸が同時に鉄鍋に突き刺さる。すごい勢いなので鉄鍋が貫通しそうだ。

いっぽう、女性と子供が多いエリアの鍋は土鍋だったので煮え方がゆっくりだ。男たちの鍋を羨ましそうに眺めながら、しばし待つ。土鍋のほうが具材がやわらかく煮えるので、きっと旨いだろう。もう少し、もう少しの辛抱だ。

待つこと野性エリアに遅れること10分、ついに土鍋の蓋があいた。うむむ、見事だ。ゴボウの香りと味噌の香りが調和していい香りになって漂う。男も女も子供たちも、みなの顔はほころんだ。

うん、最初はよかったのだ。腹も空いていたし、まあ、こんなもんかな?と思わせるものがあった。しかし、しかしだ。これはいったい・・・?

それは「肉」というよりは「髭の皮」といったほうがふさわしい。食うと口のなかでチクチク痛いのだ。それはイノシシの皮の部分で体毛は十分に刈られておらず、1〜2ミリの剛毛がびっしりついている。ほとんどの肉はその、獣の1〜2ミリの髭のような剛毛にびっしり覆われた「肉がちょっとついているヒゲの皮」だった。これはかなり生々しい食い物で、口のなかでは「獣」がリアルに再現される。誰かが「ワイルドな食い物だ」と言ったが、もちろん羊の丸焼きなどよりも、よほどワイルドだろう。腹のなかに野生のイノシシが入っていく、という臨場感がたまらない。旨い。しかし、だ。空腹が満たされるにしたがい鍋を取り囲む皆の頭のなかには、ある想像が浮かんだにちがいない。僕の場合はというと、それはスポーツ刈りのイノシシだ。

 

「スポーツ刈りのイノシシ」。残念ながら見たことはないけど。

でも・・・。

食ったことはある。

 

山里の「道の駅」には、その村で産する珍しい山海の幸が売られていることがある。この猪肉も、とある県のそんな道の駅で購入したものだ。しかし、だ。顔も知らぬ通りすがりの観光客に本来ならば捨てるようなものを上手に売りつけるやつがいる。いまとなっては苦情を言うこともできない。悔しいが、僕はどうやら無知な観光客としてうまく騙されてしまったようだ。

「野生イノシシ 細切れ肉」だ〜?どこがやねん!これは髭の剃り残しの皮だろうが!まったく腹がたつ。100グラム500円とは、そこそこ上等な国産牛のスキヤキ肉の値段ではないか。僕の地元では但馬牛(神戸ビーフ)のすき焼き肉が600円くらいから買えるというのに。

しかし、だ。「スポーツ刈りのイノシシ」を連想するなんて、貴重な体験をしたとも言えなくはない。きっと、一生忘れられない味になるに違いない。


2004年12月15日(水)

安宿考 (1)ユースホステル

旅をしているとき、もっとも気を使うのはきっと宿泊だと思う。その宿泊がダメだとその日1日が台無しになるし、場合によっては旅そのものが台無しになることもある。それくらい宿の良し悪しは旅に占めるウェイトが大きい。だから誰だって宿選びは真剣勝負なのだ。

自転車旅行ではともかく安宿を求めた。テントがいちばん安上がりだけど、天気が悪い日にはきつい。それに、やっぱり面倒だ。野営はそれだけで小イベントだから慣れないうちは楽しいのだが、慣れてくると出来ることなら避けたいと思うようになる。いま「テント泊が最高」なんて思ってる諸兄もこの先きっと「やっぱり布団で眠りたいよなあ」と思うようになるだろう。ちゃんと屋根があって、しかも天井があって、そのうえ布団で眠れるシアワセ。疲れもすっかり癒されるというものだ。

そんなシアワセを比較的安価に手に入れることができるのは、やっぱりYH(ユースホステル)だ。説明するまでもなく旅慣れた人ならばよく知っているはずだから余計なうんちくはここでは語らない。日本のみならず世界のバックパッカーたちを支えてきたYH(ユースホステル)の世界ネットワークだが、最近、日本国内のYH事情は微妙に変化してきているように感じる。

まず高い。2000円台が主流と思いきや、いまや3000円を超えるYHは珍しくない。その多くは、これなら納得だなあ、と思わせるものだが、困ったことに本州のYHには「??」と思わせるところも少なくない。言うまでもなく3500円も出せば旅館に泊まれる。6〜8畳の部屋にはエアコンがありテレビがあり布団も敷いてある。他人との共同部屋ではなく個室だ。誰にも干渉されずに大の字で寝転べる。どちらが良いのかは言うまでもないだろう。

それはまだ良いとして・・・

今回の僕の旅は10月下旬〜12月上旬だった。言うまでもなくオフシーズンである。こんな時期にマイナーな観光地を、しかも平日に訪れる人は少ないだろう。実際、この時期は紅葉の名所を除いてはどこのYHも閑散としている。だから予約は直前でも大丈夫なはずだ。自転車旅行では、その日にどこまで行けるのか、おおよそ検討がつくのは午後になってからである。旅館民宿であれば町に着いてから探すのが常だが、YHの場合は「泊めていただくのだから」と謙虚な姿勢をとりつつ昼前後には電話をかける。YHでは謙虚にと、昔教えられたので身についているのである。しかし、だ。 一部のユースホステルは電話に出てくれないのだ。虚しくファックスに切り替わる。これがどういうことなのか、勘のいい人ならば察しがつくだろう。

それだけではない。やっと出た、会員です、一人ですけれど泊まれますか?と問えば「本日はいっぱいですから泊まれません」とおっしゃる。ああそうですか、と電話を切るのだが、そんな対応に何度も何度も遭遇してしまう。都市部ならわかるのだが、町から離れたYHでは果たしてそれは本当なのだろうか。偶然とは言い難いと 、にぶい僕でさえも思ってしまう。一度など見に行ってみたらそこは閉まっていた。満室じゃなかったのか?情けなくなってしまう。

41日間の日本縦断のなかで僕がYHを利用したのはたったの2回だ。どちらも公営で涼やかな対応と清潔な施設に夢見心地だった。しかし夢は続かない。行程の半分を過ぎるころになると、もうYHなど選択しようという気にもならなくなった。いったい 本州のYHはどうなっちゃったんだ?バックパッカーの味方ではなかったのか?なんとなく裏切られたような気がしないでもない。 楽しい思い出の多い北海道各地のユースホステルが妙に懐かしく思えた。


2004年12月12日(日)

冬の北海道へ

自転車旅行を終えてきょう、北海道に戻ってきました。

久しぶりの帰宅は一面の眩い銀世界。しかし美しいとばかりは言っていられません。日のあるうちに駐車場の除雪をしようと汗だくになって働きました。今年も冬がやってきたなと実感します。

14年間僕に付き合ってくれたMTB(マウンテンバイク) 最後の旅をおえた

 

しばらくお休みしていましたが、またこれからガイド日誌を更新していきたいと思っています。なお、ガイド日誌休載中の自転車旅行記は僕の手帳に書きなぐっていたものを簡単にまとめて「ガイド日誌 11月」の部に掲載しました。なお、とても長いために日記の形式ではなく抜粋としています。