ガイド日誌
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2005年12月31日(土) 結婚ラッシュ IN ガイドの山小屋2005 今年、ガイドの山小屋の周辺では、いったい何組のカップルが誕生して、何組が結婚しちゃったのか正確には把握できないくらい、今年はオメデタ続きの1年だった。特に6月以降はいいことばかりが続いたような気がする。 お客さん同士の結婚や交際は言うまでもなく、スタッフや元スタッフも次々と伴侶を決めていったし、ついでに僕の妻までも3人目の赤ちゃんを授かった。ありがたいことだ。 きっと実際にはもっと多くのカップルが誕生していると思う。知らないだけで。 11月前後には各地から次々と「結婚しましたハガキ」が届いた。また、ある2人はクリスマスに婚姻届を美瑛町役場に提出するためにやってきた。毎年冬になるとやってくる2人だったが、ついに意気投合してゴールインしたようだ。2人の出会いには僕もちょっとだけ貢献できただろうか。幸せそうな2人を見て、なんだかとても嬉しい。 さらには今日、ほんの先ほど、数年前に結婚したお客さん同士の夫婦の間についに赤ちゃんが誕生したことを伝え聞いた。めっちゃワンダフル!OBさん、おめでとう! 今年は半ば頃からオメデタイことが満載だったように思う。11月中旬には弟のように思っていた友人がガイドの山小屋のツアーで出会った女性とついに結婚した。ハラハラし通しの2人だったから、無事にゴールしたことで心底ホッとした。そしてこれが最後のフィナーレだと思っていたらどっこい、最後の最後まで嬉しい報告が続いたものから、なんだか笑いっぱなしの年の瀬だったように思う。 みんなほんとうに幸せそうだ。2005年は最高の1年だった。こんな年はなかなかない。 2005年、ありがとー! 2005年12月30日(金) さいきんの三段山 お天気安定の年末年始。しかし・・・ 例年、年末年始といえば雪雪雪・・・。毎日毎日雪が降ってばかりいるものなのだが、どうも今年は穏やかな日々が多い。この冬は日本列島全域がブルブル震えていて12月から全国で積雪が見られたというのに、一方でここ北海道の積雪はイマイチといったところ。 12月26日にややパワーのある吹雪が去ってからというもの、まとまった積雪はなく、雪はどんどん固くなってきた。山の雪も風により表面から除々に固まってきた感じがする。クリスマス前後に積もった雪はまだ完全には締まっていないけれど、ラッセルをしていると中層がかなり密になってきたことを感じる。 新雪のなかを歩くときは雪上を歩くのではなく、雪のなかを漕ぎながら進む「ラッセル」を行う。ご存知のように埋もれるスキーを一歩一歩、交互に抜き出すわけだが、そのときスキーの抜けが昨日あたりから悪いのだ。降った直後の雪はめちゃめちゃ深くて苦しいものだが、雪は軽い。しかし中途半端に締まった雪のなかを漕ぐと、これが結構キツイ。雪が重いのだ。こうなったらさっさと締まり雪になって堅固な下地になってほしいものだが、しかしながら新たな雪が降らないから表面はどんどん固くなってきて、そうなると滑りにくくなってくる。 みんな、パウダースノーを蹴散らしながら滑りたいのに、肝心のパウダーの質がイマイチ。 天気がいいのは有難いけれど、でもやっぱりそろそろ新雪がどっと降ってくれないかなあ・・・と、思いませんか? 正月前後もお天気は安定しているようだ。しかし山の上のほうはカリカリのガタガタ乱氷地帯。樹林帯はイマイチの粘っこい雪。 三段山は言うまでもなく富良野岳も含めてメジャーな目ぼしい斜面はたくさんの人が滑ったあとで、すでにガタガタだという。はやく修復してもらいたいものだが、あらたな雪がたっぷり積もるのはまだ先のようだ。 やはり、全国からパウダー求めてたくさん人がやってくる年末年始は、お天気はやや不安定なほうがいいかも?それでもまだ滑られていない斜面を探して血眼になるのも悪くはないが、やっぱりお気に入りの斜面が新雪によって修復されるほうがいいに決まっている。パウダーを楽しみにしてやってくる皆のためにも雪はドカドカ降ってもらいたいものだ。 2005年12月29日(木) きょうの三段山 快晴にクラクラ〜
天候:快晴 のちくもり 〈十勝岳の噴火活動〉
めちゃ元気 天気予報が外れた。きょうは快晴。冬の天気予報はアテにならない。 ヤル気満々の参加者たち。男性陣はマイスキー、女性陣2名は、ひとりはテレマークスキーを見るのも履くのも初めてだというのに、スタート前からアドレナリンを放出している。もうひとりは小柄で色白な控え目な女性。静かに闘志を燃やしている。風のように素早く滑るので驚いた。 出発時にテレビの取材をうける。みんな妙にハイな状態だったから、これを見る人はどう思うだろう? 「快晴〜、フゥ〜!!」みたいな。 きょうはやたら飛ばす人たちだ。背中には「もっと滑らせろよ〜」というプレッシャーを常に感じる。おいおい、きょうのツアーは初心者向けの一般コースなんですけどネ。まあ、いいや。快晴すぎて目がクラクラする。 眩しい。 昨日はどうやら風雪だったようで、おとといのツアーのラッセルはあらかた消えていた。ハードなラッセルが名物の尾根越にもあらためてジグザグの道を刻む。どうせ1日で消えてしまうけど。 世間は冬休みに入った。入山名簿を書いているときにも相次いで山の仲間に会う。 「やぁ〜山小屋さん、今年もヨロシク!」え?まだ年末なんですけど。と、軽くツッコミ。 シーズンインの今はバックカントリースキーヤーにとっては、まさに年はじめ。みんなウキウキ気分だからそういう挨拶も自然だったりする。みんな冬が大好きなのだ。もちろん僕も! 2005年12月27日(火) きょうの三段山 え〜んやコラ深雪
天候:くもり時々雪のち快晴 〈十勝岳の噴火活動〉
元気元気 昨日の吹雪が嘘のように、きょうは穏やかな天気になった。 思ったほど雪は増してはいなかったが、風が猛烈だったようで地形がすっかり変わっていた。思わぬところに壁があったり、山があったり、谷があったり。積もったばかりの雪はほんとうに純白で汚れていないからサングラスをしていても足元の地形が見えない。何度も谷にハマったり小山に激突したりする。突然、急斜面になっていてびっくりしたり。まあ、そういうのもご愛嬌のうち。 風成雪は癖があることが多くてラッセルはけっこう大変なんだけど、11ヶ月ぶりのラッセルは懐かしくて楽しい。尾根を登る急斜面の半ばで胸まである雪のヤマを切り崩しながら、 「これこれ!これだよ〜」と、一人で興奮したりする。ヘンな性癖だろうか? 一緒に行った元スタッフが、「すんごいラッセルだったのに社長はなぜか嬉しそうだった」と言っていたが、その通りで、そのときは雪のうえにいるヨロコビみたいなものを感じていたように思う。最初のうちだけかもしれないけど。 風成雪なのでちょっと固めの雪。滑りはまあまあ。咳き込むほどのパウダーには至らないけど、板が見えない深雪のなかを浮遊して滑る気分は格別で、なんともいえないいい気分。深い雪をみんなで直滑降でブワーッと降りていく。途中から急速に晴れだしたのでみんな嬉しそうだ。 白銀荘に着くと知り合いに多く出会う。出会う人出会う人みんなが「よかったねえ!」と、昨年の冬山事故からの回復を喜んでくれる。僕は回復をアピールするために、そのたびにみんなの前でぴょんぴょんジャンプしてみせる。 白銀荘でぴょんぴょん飛んでいるヒトを見かけたら、それはたぶん僕。 「どうやらあいつがガイドの山小屋らしいよ、ヒソヒソ・・・。」 そんなヒソヒソもオッケ〜だ。 2005年12月26日(月) オーストラリアからやってきた参加者 いまニセコが外国人観光客(主にオーストラリアから)で盛り上がっている。そのニセコに滞在中のスキーヤーが僕のところに参加者としてやってきた。おお〜。僕んとこにもついに国際化の波がやってきたのか。 10月下旬から12月上旬まで6週間と少し、海外で日本語とは一切無縁の生活を続けていたので今のところはまだ英語には抵抗がないものの、帰国してわずか3週間だというのに、もう英語が抜け始めていたことがショックだった。ツアーインフォメーションは勢いでスムーズに行ったものの、自分的には納得がいかない。回りのひとには僕がペラペライングリッシュスピーカーに見えていたようだが、実はそうではない。彼女の発音がよかったので僕はもっぱら聞き手にまわり相槌を打っていたにすぎない。僕が説明に詰まると、彼女が「こうこう、こういうことですよね?」と助け舟を出してくれる。それに僕が「そうそう!そうなんです!」と肯定する。そんな調子で話が盛り上がり、いつの間にかまとまってしまったからいいものの、自分的にはなんかカッコワルイ。かなり不満足。やはり日本語三昧の生活に戻ると急速に和のひとになってしまうらしい。 ちょっとショック。 本格的に2ヶ国語のツアーを行うのはもちろん初めてのことだ。これまでも台湾からの参加者をカタコトで案内したことはあったが、明日は及ばずながらも自分なりの2ヶ国語でツアーを進行しようと思った。夜、ツアーの準備を終えてから勘を取り戻すべく、会話パターンを思い出すために妻を相手にああだこうだと喋ってみる。英会話は文法の勉強などはするものではない。ああいえばこういう、みたいな会話のパターンとリズムというか、規則性が大切だ。正しい正しくないは別として、いろいろ喋ってもるのがいいと思う。幼児語のレベルでいいと思う。また、そういうのが何となく楽しい。 妻にアドバイスを受けながらあれこれ喋ってなんとなく納得したので自己満足して眠りについた。そして今朝。さあツアーに行くんだと目覚めてみると窓の外は猛吹雪だった。警報まで出ている。もちろんツアーは中止。 楽しみにしていたのに、ショック。 英会話は楽しい。ただし、何度も言うが僕は下手っぴ〜だ。でも下手は下手なりに英語で喋るのは楽しいものだ。うまく伝わると世界が広がったような気がしてこれまた楽しい。それに「おれいま、なんかカッコイイじゃんよ」みたいな気分になれるのもまた楽しい。ニュースを字幕なしで理解できたときは自分が偉くなったような気がして家族に威張ってみたりする。 ほんの短い時間だったが、久しぶりの日常英会話がとても楽しかった。NZ滞在中のある日、町で出会った日本人と2週間ぶりに日本語の会話ができたときも楽しくて懐かしくて嬉しかったが、そのときに似ていると思った。 2005年12月25日(日) 旧トムラウシ登山道 大雪山の樹海 なんとなく滅多にいかないコースに行きたいと思った。少し迷ったが朝のツアーガイダンスでいきなり「きょうは新コースに行きます」と宣言する。わっと皆から歓声があがった。万一、十勝岳が噴火活動のために入山禁止になったときのためにと僕はいくつものコースバリエーションを持っているのだが、きょうのコースはそのうちの一つだ。そこは眺望がすばらしく、十勝連峰からトムラウシまでの山稜の雄大な連なりを、ほんの間近に手に取るように見渡すことができる。 ここは三段山や十勝岳や富良野岳、どこよりも眺望がすばらしい。そして眼下には大雪山の樹海が広がっている。そこは人跡未踏の野生の楽園だ。きっと渓谷にはイワナが跳ねていることだろう。 テレマークスキーのツアーをやっていると、つい基本を忘れて「より上級の滑り」に関心がいってしまう傾向がある。歩いていても登っていてもつい、滑る対象になりうる斜面ばかりに気をとられる。ファンキーな滑りを求めてしまうし、実際にそれが楽しい。しかし、そういう対象の山域には入山者も多いから、精神的にはギスギスしてしまうことも多い。実際、僕の周囲の仲間も以前よりもギスギスしている印象がある。心から楽しんでおらず、むしろ他の入山者を忌むような言動も多く聞かれるようになった。もちろん僕もそのなかにいたのだ。 反省することしきりである。バックカントリーの精神とは、やや遠い。 そうやっていつの間にかバックカントリーの精神ではなく、統率・ルールを重んずる冬山登山家の精神に近づいていってしまう。もともと日本人は固いことが好きだから、そのほうが 受け入れやすいし快楽に繋がるのだろう。 近年チャリダー(自転車で旅をするひと)に戻った僕は、なんとなくいろんなことに心境の変化がある。「基本に戻ること」の楽しさに気付くようになったのもそのひとつだ。テレマークスキーは旅する道具なのだから旅に使わなければ道具の持つ意味が半減する。ファンキーな滑りだけを求めるならば山スキーでいいのだ。実際それはよく指摘を受けることでもある。 関係の雑誌やカタログ写真などではよく外人がすごいところを滑るシーンがあって、みなそれに憧れてしまうのだが、あれはあくまで旅の1シーンだ。欧米人はそこに至るアプローチをすごく楽しむ人種で、カヤックを使ってみたりMTBだったり。掲載のカタログなどをよく見てみるとそのプロセスのメッセージ性に気付くことがあるが、ほとんどの人にはあくまでイメージショットとして受け取られているように思う。バックカントリーのトリップは旅そのものがファンキーでクレイジーで楽しい。そんな旅のシーンなかだからこそテレマークスキーが本来の道具の存在意義を発揮する。それがまたカッコイイ。 いっぽうで日本人というのは律儀で真面目なので、アプローチは楽しむものではなく苦しいものだと決めている。ほとんどのバックカントリースキーヤーはいきなりスキーにシールを貼り付けて山頂を目指してぐいぐい登り出す。これもバックカントリーの精神ではなく、精神論に重きをおく登山家の精神に近い。頑張ることに意味がある典型的日本イズム。頑張る人が賞賛される日本人のアイデンティティでもある。常に上を目指すから特にビジネスの世界で本領を発揮してきた。もちろん誇るべきものだ。世界中で成功している。 でもやっぱり、ちょっと遊びは下手だよなあ。 旧トムラウシ登山道。かつて美瑛町からトムラウシ山へと至る登山道があった。20年以上前の地図には載っていることもあるが、今は存在が忘れられてしまった。道はすっかり自然に帰してしまったから痕跡すら見ることはできない。しかし冬だけは、地形図のうえに記された点線を辿ることができる。そういうちょっとしたショートトリップには、やはりテレマークスキーがいい。 午前中はずっと地味に森のなかを歩きつづけるこのコース。参加者の反応はいまひとつだ。しかし昼前後になると森が開けて、いきなり眺望が飛び込んでくる。十勝連峰からトムラウシへと連なる大山稜だ。 100%ピュアな自然の森。モモンガの巣穴があり、大雪ではもう採りつくされたともいわれるカバノアナタケがあちこちのダケカバの幹に張り付いている。眼下には樹海が広がる。十勝連峰から見下ろす樹海とは比べ物にならないくらいスケールが大きい。説明を受けるまでもなく誰の目にも生命の森だと理解できることだろう。空が近い。 帰路はコースをかえて森のなかを緩やかに下るコースをとる。木漏れ日あふれる森のなかをスルスルとすべっていく。ママチャリでゆっくり走るくらいのスピードだ。周囲の景色を見る余裕があるし、おしゃべりしながら滑ることができる。鳥の声もきこえる。スキーの初心者であっても、いっぺんにスキーが好きになるだろう。いつも思うことだがテレマークスキーは一生懸命にがんばるスキーではない。それぞれが楽しければそれでいい。もちろん上手になれば楽しさの幅は広がるが、バックカントリーの楽しさはビギナーから上級者まで、誰でも等しく味わえる。それがいい。 所要時間4時間半。自然あふれるこのコースは、いまのところ僕の専用で他の人には出会ったことがない。もっとも近くには山スキーの対象となる著名な山頂がないから、きっといつまでも静かなフィールドであり続けるだろうと信じている。 ただ春先になれば、熊に注意しなければ。 2005年12月24日(土) 尾根をこえて行こう 十勝連峰「三段山」山麓 昨日、11ヶ月ぶりにガイド復活を果たしたとは言ってもそれは初心者向け講習をかねた美瑛の丘めぐり。ハードなことをやったわけではない。 きょう、ついに冬山への復帰をかけた1日が始まった。昨夜はなかなか寝付けず、ようやく眠ったのは午前4時になったころだった。緊張していたんだと思う。 冬営業が近づくにつれて嫌な夢を見ることがあった。場所は冬山、僕はガイド業務をしている。スキーを履いていても膝まで埋まる深い雪。僕は5、6人の参加者を引き連れて、ときどき振り向いて冗談を言ったりしながらも正面に向き直ったときには真顔になり、苦渋の表情をうかべながら一人黙々とラッセルをしている。シーズン中いちばんよくあるシーンだ。 突然、右足が動かなくなる。11ヶ月前に砕いた関節が、全く動かない。痛みはないが、動かない。感覚もない。右足は鉛の塊のように微動だにしない。 やがて天気が急速に悪化する。さっきまで見えていた稜線が遠くなり、やがて吹雪にかき消される。後ろに続いている参加者たちは黙って立っている。やがてみんなの顔が白く変化していく。黙ったまま、声を発することなく白い蝋人形のように吹雪のなかに立っているのだ。 「ああ、このままではみんな死んでしまう!」 しかし僕の足は動かない。時間だけが過ぎ、吹雪はますます激しくなる・・・。 そんな夢だ。決まっていつもそうだ。 12月24日、クリスマスイブ。参加者は懐かしい顔ばかり6名。メンバーはこれ以上ないくらいの気心の知れた人たちばかり。神様がくださった最高のクリスマスプレゼントだと思った。昨日もそうだが、幸先がいいこと、このうえない。 すべてがいつもどおり。三段山の頂上に連なる稜線もいつもと変わらず11ヶ月前と同じようにそこにある。どこも何も変わってはいない。ここに帰ってきたんだ。そのことが嬉しくて懐かしさが込み上げてきた。僕の足は、何事もなかったかのように雪を散らし、どんどん前へと進んでいく。標高もどんどん上がる。大怪我のことも長いリハビリも忘れたかのようだ。すべてが順調だった。 いつもの稜線に取り付く。45度をこえる急斜面、キックターンを繰り返しながら登っていく。切り返す場所も同じ、タイミングも同じ。10年間続けてきたことだから、体が覚えている。雪面にきれいなジグを切りながら、斜面に道が刻まれていく。いつもの冬と同じだ。 尾根をこえた。背後には富良野岳が、正面眼下には美しい雪原が広がる。みんなでキラキラした斜面に滑り出す。細かい雪の結晶がスキー板の底でこすれるときのシャーッという心地よい感触が足裏から脳裏に抜けていく。感動で、泣きそうになった。 またここに帰ってきたぞ。声に出さずにつぶやいた。これで全てが元通りだ。僕は完全な復帰を確信した。そして以前よりもますますこの仕事が好きになったような気がする。悪夢のことはすっかり忘れた。とんだ笑い話だ。 「引退なんかするもんか。いつまでもこの仕事を続けたいさ。」 目立たぬよう、はしゃがぬよう、僕はただ毎日ここでこうしていたい。これが自分の天職なんだと、そう思っている。 2005年12月23日(金) 冬シーズンが始まった 今朝の美馬牛は氷点下20℃。12月にこれほど気温が低いことは珍しいと思う。昨夕、神戸に住む実家の母が「北海道みたいなんや、雪!雪!」と興奮ぎみに電話してきた。そんなことで電話してくるんじゃないよ忙しいんだからと電話を切ったが、どうやら今年は全国的に本格的な冬になっているらしい。 いっぽうでこの時期の美瑛としては雪の量はやや少ないのかな?という印象。積雪は一時的に40センチくらいになるが、ここ数日の冷え込みで雪が締まり、だいたい30センチくらいになっている。山はまあまあだが、平野部の雪はそれほど多くはない。おかげで除雪がラクで嬉しい。 ガイドの山小屋の冬の業務がきょうから始まった。例年、初日のツアーは参加者がいないことが多かったのだが、今年はいきなり近くのユースホステルに宿泊しているお客さんが全員参加してくれて賑やかな営業初日になった。さらに快晴に恵まれたから、樹氷とダイヤモンドダストでキラキラしている美瑛の丘はこのうえもなく楽しい気分に包まれた。 そしてきょうは僕にとって大怪我から11ヶ月ぶりに現役ガイドに復活した初日でもある。幸先がいいこと、このうえない。 再びスキーを履くことが出来たことも嬉しかったし、自分でもあまりブランクを感じないほどガイドトークも上々だったと思う。丘だからあまり滑りを楽しむということでもないが滑りに対するトラウマも無さそうに思う。心配して損した。 いろんな心配事がいっぺんに吹き飛んだ。おまけにひどい風邪にやられてツアー引率ができるのか心配していたのに、いつの間にか風邪もどこかに飛んでいった。粉薬(パウダースノー)が効いたらしい。 やっぱり冬がいい。冬は最高だ。 2005年12月19日(月) 寒波来襲日本列島 そのころ北海道は・・・ この3日間、雪はしんしんと降っている。しかし、猛吹雪ということもなく、除雪が追いつかないということもない。まあ、普通の冬かな?といったところ。 最低気温も氷点下10度には至らない。日中の最高気温はプラス1度くらいまで上昇する。雪はやや湿り気があり、北海道らしくない。 テレビでは繰り返し12月にしては珍しい寒波の来襲について日本列島各地の状況を刻々と伝えている。ある街角でインタビューに答えた女性は鼻を膨らませながら異常気象だと主張しているが、いやいやそうではないと思う。お年寄りはみな口を揃えて「昔はもっとすごかった」と言っているし、忠臣蔵の討ち入りも12月なのに降りしきる雪のなかで行われたではないか。それに戦国時代の戦記を読むと尾張地方や西国でも冬には積雪があったことがわかる。昨夜、雪が降りしきる岐阜市内の様子がテレビ中継で伝えられたが、稲葉山城(現在の岐阜城)がすっかり雪景色になっている様子を見て戦国時代みたいだと思った。日本列島は本来あるべき姿を取り戻したのではないだろうか。 しかしながら雪に往生している日本列島、一方で北海道はそれほどでもない。寒波の中心は列島深く食い込み、北海道を忘れていったのだろうか。いまのところ雪の量は例年並みというところだと思う。美瑛の丘でクロスカントリースキーを楽しむことだって出来るし、十勝連峰ではもうバックカントリースキーが自在に楽しめる。もちろんスキー場の積雪も十分だ。ここ数年、冬の初めは暖冬小雪傾向があったが、今年は順調に冬が来たと感じる。 午前10時現在、気温はマイナス6度。細かい雪が小雨のように降っている。昨日の午後に駐車場を除雪したのだが、一晩を経てあらたに10センチばかり新雪が積もったようだ。 美馬牛小学校に通う長女が残していった足跡が雪のうえに転々と残されていた。 2005年12月15日(木) ガイド日誌 再開 今週ニュージーランドから帰国しました。 国内線のDC機が真っ白な雪に覆われた旭川空港に滑るように着陸したとき、実に久しぶりに北海道の山野が愛おしいと感じました。安堵とともに長い旅がようやく終わったことを感じました。 ガイド日誌を再開します。これからもよろしくお願いします。 Southern Highway 2500km New Zealand MTB旅のレポートは順次連載していきます。 |