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ニュージーランド 自転車の旅

空、雲、山、川、森、雨、

そして風の国

Southern Highway 2500km

ニュージーランド南島一周

チャリ(MTB)の旅

 

 

亜南極圏強風帯「吠える45度」 南島の南端地方には絶え間なく西風が吹き付ける

 

INDEX 目次

[TOP] 出発前の遠征準備から入国当日まで

[1] 第一週 カンタベリー平野 クライストチャーチから南へ

[2] 第二週 南を目指す道 ダニーデンなど

[3] 第三週 吠える45度 Catrins Coastなど

[4] 第四週 Main South Road クイーンズタウンなど

[5] 第五週 雨の国 西海岸からエイベル・タスマン国立公園

[6] 第六週 海岸国道 ネルソンからクライストチャーチへ

 

ニュージーランド政府観光局 日本語

ビジターインフォメーションセンター「アイサイト 」日本語

 

地図中の赤い線はルート図 右回り1周約2500km

 

 

〈DATA〉

MTB :ゲイリーフィッシャーマウンテンバイク「フクイク」 2005年製 単体重量13kg

携行品:テントをはじめとする完全装備 燃料 食料 レインギア ヘッドランプ テルモス コンパス 個人装備 ファーストエイド…など縦走登山をベースにした装備 他に地図 2種類(英語) 資料数点(英語) 英和辞書 筆記具一式  交換部品とメンテナンス用品 防水デジカメ ボーダフォン携帯電話 ニッケル水素電池充電器や変換プラグ等 またMTB関連のヘルメットや手袋 サイクルメーター等  部品、補修用品、工具 サブザック ダッフルバッグ 輪行バッグ等

パッキング方法:サイドバック4個 合計容量約160L  他に大型ウェストバック10L

重量 :マウンテンバイク+オプションパーツ 等 約15kg

携行装備 約20kg 食料・飲料水等 7〜10kg  合計総重量 40〜50kg 

使用した参考資料:Pedallers Paradise(by Nigel Rushton) SouthIsland(kiwimaps) RoadAtlas 2005(WisesMaps) South Island Accommodation(AA Books Complimentary Copy) など

 

ニュージーランド:首都ウェリントン 英国連邦 国家元首エリザベス女王  議会制民主主義国家 首相ヘレンクラーク女史 人口約400万人 面積は日本とほぼ同じ 多民族国家 北島と南島で構成され人口の7割が北島に集中 最大都市 は北島のオークランド 南島の主要都市はクライストチャーチ 両都市と日本の間には直通便が運航しており所要時間11時間 主要産業は農業 公用語は英語 全域にわたって非常に治安が良い 日本との時差は夏季4時間冬季3時間

通貨:ニュージーランドドル($NZ) 2005年下期は円安傾向にあり80〜90円 で推移

道路交通:英国、日本と同じく左側通行 市街地の制限速度50〜70km郊外100km 国道はハイウェイ、自動車専用道はモーターウェイと呼ぶ 有料高速道路はない 自転車も車やモーターバイクと同等に扱われ車道通行の義務があり道路交通法の遵守が求められる例:右折時の車線変更 一時停止等 また自転車はヘルメットを被らなければならない

 

続き 第一週[1]へ

はじめに

冬山での大怪我のリハビリと体力回復のために出かけた旅でした。最初のうちブヨブヨの足は思うように動いてくれなかったのですが、まあ、ノロノロと走っているうちに隣の町へ、さらに隣の町へと風景は変わっていくわけです。スポーツ選手であればとっくに引退の年齢に達した僕ですから損なわれた筋力や運動機能を回復させるのは容易ではないと思ったのですが、まあ何とかなるものですね。

 トレーニングは辛いものですが自分に甘い僕にとっては、まず退路を断つのがいちばん効果的と考え、その場を海外に求めました。国内には逃げ場も誘惑も多すぎて、それでは僕はダメなんです。自分に甘いですから。こうして10月下旬、冬山山岳ガイドへの現役復帰をかけて、変更不可の格安航空券と数万円の日本円と20万円分のトラベラーズチェックを懐にねじ込んで、自転車とともに関西空港から飛び立ったのです。

18年前にチャリダーを引退したはずの僕が再び海外を走ることになるなんて・・・。大丈夫なんでしょうか・・・。NZは2回目の訪問です。

それから6週間後、僕はすっかり日焼けして昨年以上の体力を取り戻し、体重10kg減で帰国しました。懐には16万円分のトラベラーズチェックが手付かずで残っていました。いったんは引退も考えたプロ山岳ガイドですが、帰国の2週間後には現役に復帰することができました。以降、北海道の遅い春が訪れる5月まで、晴れの日も吹雪の日もパウダースノーにまみれた幸せな日々を遅らせていただいています。さらにまた、旅の副産物といいますか、気が付いたときには英語力が幾分アップしていました。おかげで近年激増している外国人のお客さんにも臆することなく対応できるようになりました。夏の間、ほとんど毎日のようにたくさんの外国人のお客様と話す機会がありますが、今日まで何とかやっています。なんだか得した気分です。

いろいろ事情もあってこの旅の記録にはあまり観光の要素はありません。名所旧跡は皆無だし、自炊ばかりでおいしいものを食べに行ったことも ありません。アクティビティもなし。小さなデジカメ1個だけですから美しい写真を撮ったわけでもありません。見る、食べる、遊ぶ。一切なし。ただ、毎日 のように真正面から自然と向き合ってきました。

帰国したとき、僕の手元には記念品もお土産もなかったけど、ただ、ノート2冊にわたって毎日書き続けた日記が残されていました。雨に滲んだページもあれば乱暴に書きなぐったページもあります。細かい字で淡々と綴られた日もあれば、なげやりな日もあります。まさにそのときの僕の心情そのものがそっくり記された日記。僕の泣き笑いが記録されています。

ここにはその日記をほぼ忠実に転載しています。それはしばしばあまり楽しい内容ではないかもしれません。ガイドブックにはなりえないし、やや客観性に欠けるし、歪んだ見解もあると思います。もしかしたら読む人を不快にさせることもあるかもしれません。色気のある話もまったくありません。

古風な酒場の2階は安宿になっていることが多いようだ

ただ、食べ物に関する記述は多いかもしれません。僕は食いしん坊ですから。また自分の足で旅をしてきたから視線の位置は純粋な旅人であるつもりです。

いろんな意味で僕を原点に引き戻してくれたニュージーランド。敬意と感謝をこめてこの日記を完成させたいと思 います。

 


出発まで(1)

出国前

夜があけるとNZの中央山脈が見えてきた

パスポートが切れていたので10年パスポートを取得した。お金はトラベラーズチェックで20万円を用意した。北海道銀行旭川支店の外貨担当の女の子 は不慣れなようで先輩の女子社員に厳しいツッコミを入れられていたが僕のトラベラーズチェックは何とか無事に発行された。「新入社員でしょ?」と訊ねると、そうだという。 彼女はドジではあったが誠意ある応対はとても心地がよかった。むしろお客様の目の前で後輩を叱る先輩のほうが問題があるかもしれないと感じた。

出発10日くらい前、突然、航空会社から電話があった。出入国についての確認だった。帰り便のダイヤの変更などが伝えられたので助かったが、ニュージーランド内での滞在先などについて僕が未登録だったためそこを鋭くツッコまれた。電話の向こうの彼女は明らかに警戒の色をみせている。

「あのう、僕、キャンプ旅なんで登録のしようがないんです」

「それは困ります!」彼女は警戒のレベルをさらに強めたようだった。仕方ないので僕は旅の全容を説明する羽目になってしまった。

説明を終えると彼女の警戒は幾分緩やかになったように感じられた。少なくとも、先ほどの強い口調は感じられない。そこで、

「携帯電話ならば持ち歩いていますから電話番号の登録でいかがでしょうか?」そう告げると事態は一気に収束に向かって進んでいった。最後に、帰り便については必ずリコンファームするようにと念を押され僕は解放された。あやしい出国者のリストから は何とか外れたらしい。

出発の前日になってようやく初日の宿泊の予約電話をいれた。もちろん英語で。さすがに初日から無宿はヤバイと思ったから。

なんとかバックパッカー(安宿)は無事に予約できたが、それにしても英語の電話は緊張するものだ。先が思いやられる。目の前が真っ暗になった。

出国当日の朝、僕はいまだ旭川空港から関西空港までの国内線航空券を持っていない。気づいたときは満席で、1日1便の飛行機が満席ではどうしようもないのだが、まあ何とかなるだろうと空港へ向かった。やはり満席だったからキャンセル待ちをした。空席が出て無事に乗れた。何とかなるものだ。

しかし、だ。預け荷物でストップがかかった。重量制限はともかく、内容については十分に気をつけたつもりだったのだが、パンク修理のゴムのりがチェックに引っかかった。工具箱を見せるよう求められ、ゴムのりは抜き取られた。仕方ないので空港まで送ってくれた妻にいったん手渡したが、ふと思いついてもういちど受け取って機内持ち込み荷物のなかに忍ばせた。搭乗チェックをゴムのりは無事通過した。以後、ゴムのりが「待った!」をかけられることはなかった。帰国までずっと工具箱のなかでじっとしていた。

こういう対応は空港によってバラバラで、なぜか空気を抜くよう求められたり、実に好意的に扱われたり、実にさまざま。要するに気分次第ということなんだろうか。また、国内線で重量の超過料金を求められることはなかった。


出発まで(2)

重量との闘い

出発を待つMTBと荷物 関西空港にて

旅の荷物は出発の前日0時まで完成しなかった。というのも、どうしても重量が増えすぎて、国際線の規定範囲内に抑えることが難しかったのだ。あれこれ足したり引いたり、体重計に荷物を載せるたびに深いため息をついた。出発1週間前までは繰り返しそんなことばかりやっていたのだ。軽量化はダイエットと同じように、とても難しい。

国際線の手荷物は20kgまでと決められていて、それを超えるとべらぼうな超過料金を取られてしまう。まずリストラされたのは書籍。最終的に辞書と「地球の歩き方」の2冊だけになり不要なページは破り取った。別の資料は縮小コピーして読み続け、関西空港のゴミ箱に捨ててきた。あとは現地調達する。地図も宿泊の情報も現地で仕入れることにする。

照明は小さなヘッドランプ1個だけにした。MTBのハロゲンライトはあきらめた。まあ夜間走行はまずありえないから問題ないだろう。使用する電池は単4に統一し、繰り返し充電することにした。SONYのニッケル水素電池用の充電器もボーダフォンの充電器も240V対応だったのでそのまま使えた。これだけで随分と助かった。変圧器などは重くて持って行く気がしない。携帯ラジオはあきらめ、食料品もほとんど降ろしてしまった。モバイル持参など、とんでもないことだった。

火器はラジウス(灯油式山岳コンロ)を持って行きたかったが、重量制限が壁になって結局はガス式に決定した。おかげで1kg以上軽くなりコンパクトに収まることにもなった。ランタンはあきらめた。ヘッドランプ1個あればいい。

MTBの前と後ろ、合計4つのバッグはそれぞれ5キロ以内に収まった。最終的に重量は18kgに落ち着いた。それでもツアーパーツを取り付けたMTBとの合計重量は30kgを少し超えてしまう。あとは空港でのやりとりに賭けるしかない。MTBは輪行バッグに、荷物類はパタゴニアのバッグに放り込んだ。ラフトボートと同じ素材のこのバッグはやたらデカくて丈夫なので重宝した。

国際線の窓口で、やはり荷物を停められ超過料金5万円を請求された。5万円だって!?往復航空券が13万円なのに片道で5万円の荷物超過料金はあまりに高いではないか。だったら航空券をビジネスクラスに変更して欲しいと交渉した。ビジネスクラスは割高だが食事が比べ物にならないくらい豪華だし、シャンパンなどお酒も飲み放題。しかも快適に眠ることもできる。一方でエコノミークラスは弁当みたいな粗末な食事に狭くて眠れないあのシートだ。しかも、おそらく周りが団体旅行のオバサンたちでうるさいことだろう。そして、ここで何よりも僕が着目したのは、ビジネスクラスやファーストクラスは手荷物制限が30キロまで緩和される点だ。超過料金を払うくらいならビジネスクラスに変更したほうがはるかに有意義でお得ということになる。しかし、相手はなぜかビジネスクラス変更に応じようとしない。それでも僕の主張が理に適っていたので相手は攻め手を欠き、僕は押しに押しまくった。やがて2万5千円にディスカウントすると伝えてきた。こうしてなんとかディスカウントには成功したが、僕はあまり納得はしていない。それでもやはりビジネスクラスに変更したほうがお得だったと思うし、おまけに帰国時にオークランド空港で支払った超過料金は$75(約6000円)だったから。日本は何もかもが無意味に高くて、しかも理由が不透明だと思う。だいいち、ジャージ姿の男をビジネスクラスに乗せてくれない。なぜだ!ジャージの何がいけないんだ!


入国あれこれ話

組み立てを待つMTB クライストチャーチ国際空港にて

機内にて

ニュージーランド航空5119便、隣の席はマッチョな白人女性。よりによってこれはないよ〜と思う。僕はどうもマッチョな人と隣り合わせる縁がある。決して小柄ではない僕はそのたびに窮屈な思いをしている。11時間の空の旅はけっこう辛い。おまけにそのマダムはひどく酒飲みでずっと酔っ払っていた。おまけに読書灯がしょっちゅう消える。そしてエコノミークラスは団体旅行のおば様たちのガハハ笑い声と、狭いとか寒いとかいう不平不満が もうもうと充満している。スチュアートは配膳を引っくり返す。後ろ席の荷物が僕の足元まで侵略してくる。おまけにしょっちゅう座席に後ろからの蹴り攻撃が加えられる。 そのたびに飛び起きる。ほんとついてない。

到着

ほとんど眠れずに朝を迎え、ひどい気分のまま飛行機はニュージーランドの地に降り立った。入国審査は厳格だったがスムーズで、MTBのタイヤの泥から靴底、テントのグランドシートまで調べられたが申告が正確だったから難しいことなく通過できた。この国は付着して持ち込まれる泥と、食料品の持ち込みについて厳しいチェックがある。それぞれについて詳しい説明を求められた。ひとつひとつについて簡単な英語で説明し、最後に「ザッツ・オール」と言うと検査官はにっこり笑って「協力ありがとう。いいバイクだね。ニュージーランドにようこそ、いい旅を!」と言ってくれた。一発でニュージーランドが好きになった。

マウンテンバイクの組み立て

空港のアイサイト(観光案内所)でうろうろしているうちに直行便で一緒にやってきた大量の日本人はいなくなり、僕一人になった。ちょっと心細さを感じ、万一のことを考えてポリスステーションの向かい側でMTBを組み立てはじめた。取り外していた変速機を組み付け、ワイヤーの調子をみながら丁寧に仕上げていく。最後に関西空港で抜かれた空気を再注入してマウンテンバイクは完成した。旭川空港で 荷物預かりを拒否されたパンク修理のりは、隠匿していたウエストバッグから取り出され、ふたたび工具箱に無事収められた。

着陸が10時、税関開放が11時。そして走り始めるころには13時になっていた。ダイエットコークを1本買って走り始める。走る喜びが少しずつ沸いてくる。

ブレーキのチェックを行ったりわざとハンドルを振って荷物のバランスをみたりしながら走る。最初サイクルメーターが動かなかったが、ビーコン端子を調整して受信器の歪みを直してやると正常に働き始めた。やはり飛行機を乗り継いでいくと多少、部品に影響があるものだ。

交通にビビる

交通が左側通行であることは幸いしたが、ただそれだけのことであとは日本とは異なる点が多い。例えば右折。自転車も車と同じように車線変更を行い、車のように中央線から右折していく。だから加速と指差し指示が欠かせない。これには最初ビビッたが、だんだん慣れてきた。あと、日本は原則左側優先だがここでは違う。右側優先だ。信号機は少なく、かわりにロータリーが多く、GIVE WAY と書かれた標識がたつ。自転車も車と一緒に停止線で止まり右側から来る車に道を譲る。途切れたら発進する。これは慣れてみると実に合理的なシステムだと気づいた。信号は不要で事故も少ない。それにこれなら無意味な停止がないので交通はスムーズだし渋滞にはなりにくいだろう。頭いい!なんで日本は導入しないんだろうか。これでは日本にきた英国人やNZ人に日本人は頭が悪いような印象を与えないだろうかと心配になる。

ガーデンシティ

市内の住宅街は整然としていて美しい。平屋が多く、どの家も庭先がよく手入れされていて花が咲き乱れている。塀がある家は少なく、どの家も広くはないが開放的な庭先をもっている。

郵便配達は赤いマウンテンバイクだ。配達員は赤いMTBヘルメットを被っている。カメラを向けづらかったので写真がないのが残念だが、とても格好いい。

道が広く、空がおおきい。一度だけはっきりと胸がジンと鳴った。この僕が旅先で胸を鳴らすなんて、いったい何年ぶりのことだろう?それもこんな住宅街のど真ん中で・・・。いい歳をしてと、ちょっと苦笑いした。

物資の補給など

旅の準備のために3泊4日をこの町で過ごした。宿泊したバックパッカーは一軒家をみんなで共同使用するという形式で、とても快適だった。おまけに1泊が$18(1500円)とずいぶん安かった。滞在中に地図を2冊買い、資料を何冊か入手した。午前中はもっぱらバックパッカーの中庭でこれらの資料と向かい合い、辞書片手に翻訳に熱中した。夕方には本屋に行き、資料になりそうなものを探し求めて立ち読みに没頭した。また市内の大型スーパーで米をはじめとする1週間分相当の食料を買い込み、さらに自転車屋では整備用品やパーツを準備した。 キャンプ用品店では炊事用ガスカートリッジなどを購入した。クライストチャーチは人口33万、大きな町なので何でも揃う。バッグはどんどん膨らんでいく。最終的にMTBを含む総重量が40kgを軽く超えてしまったようだ。

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