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ニュージーランド 自転車の旅

空、雲、山、川、森、雨、

そして風の国

Southern Highway 2500km

ニュージーランド南島一周

チャリ(MTB)の旅

 

 

亜南極圏強風帯「吠える45度」 南島の南端地方には絶え間なく西風が吹き付ける

 

INDEX 目次

[TOP] 出発前の遠征準備から入国当日まで

[1] 第一週 カンタベリー平野 クライストチャーチから南へ

[2] 第二週 南を目指す道 ダニーデンなど

[3] 第三週 吠える45度 Catrins Coastなど

[4] 第四週 Main South Road クイーンズタウンなど

[5] 第五週 雨の国 西海岸からエイベル・タスマン国立公園

[6] 第六週 海岸国道 ネルソンからクライストチャーチへ

 

ニュージーランド政府観光局 日本語

ビジターインフォメーションセンター「アイサイト 」日本語

 

地図中の赤い線はルート図 右回り1周約2500km

 

 


 

 

 

 

続き 第二週[2]へ


第一週 カンタベリー平野 

クライストチャーチから南へ

 

 

 

 

訪れた10月は桜の季節

第一週目(1)

クライストチャーチ みんなの家

第1日目〜3日目の宿は市内にあるバックパッカーで、ふつうの住宅街にある。ストリート表示で探す。ストリート表示はとても合理的で日本の住所のように探しにくいということがまずない。実際、僕は旅の最後まで迷子になるということがほとんどなかった。今日泊まる ことになっているバックパッカーもすぐ見つかった。市街地から約1.5キロ、外見はごく普通の住宅だった。

スーパーの駐輪場 新旧のマウンテンバイクの見本市だ

そのバックパッカーは一軒家を共同使用するという、シンプルな宿だ。僕に当てがわれたのは10畳ほどの広さに2段ベッドが3台並ぶ清潔な6人部屋で1泊18ドル、約1500円という安さだ。キッチンも明るく広くて使いやすく、シャワーもトイレもみんなが大切に使うから古いながらも清潔で気持ちよかった。住人たちも居心地がよさそうだった。

まだ昼も早いので住人はまばらだったが、あるとき部屋に戻ってみると女の子が2人いる。ごめんなさい、といって部屋を出たが、しかし僕が部屋を間違ったわけではなかった。男女別相部屋ではなく、男女相部屋だったのだ。しかも6人のうち4人が女の子で男は2人だけ。じかも唯一の男性のルームメイトはアルバイトをしているので夜遅く帰ってくる。部屋では僕一人が男、という時間が長く、これにはとても気を使った。この部屋は全員日本人で僕以外はワーキングホリデーの学生だった。みな、いまどきの若者という印象ではなく、しっかりした子たちだった。バイタリティに溢れている。この子たちであれば日本に帰ったらきっと、それぞれの道で成功するだろうなと思った。経営者の目で見てそう感じたのだ。

僕はまだ若いので、これまで「若さ」が羨ましいと思ったことなど一度もなかったが、このとき初めて「若さ」が羨ましいと感じた。僕がもう一度22歳に戻ることができたなら、大学を休学して、あるいは大学を卒業してからワーキングホリデー制度を使って留学したい。当時からワーホリ制度はあったが、どうせ遊学だろうと誤解していたからあまり興味がなかった。ところがワーホリはいわゆる遊学ではなく、自己資金は限りなくゼロに近くてもオッケーだからヤル気があれば誰にも等しくチャンスがある。学歴も関係ない。まず半年は語学研修に集中し、残りの半年はみっちり働く。だからお金はかからないし、完全に異国の生活に溶け込むから、否応なく語学力が身につくことになる。そして、世界のなかのニッポンが客観的に見えてくる。また、外国人が日本人をどのように見ているかを知ることになる。

ワーキングホリデーのビザには年齢制限があり30歳までとなっているから僕はそもそも資格がない。それ以前に僕には家族があるので、いずれにせよ今から学生に戻ることは不可能だ。20歳代に戻りたい、独身に戻りたい。そしてもっともっと勉強したい。今ごろになって自分が送ってきた怠惰な学生生活を少しだけ後悔した。彼ら彼女たちが眩しく見えた。

この家の住人たちは忙しい。みんなスキルが高い。仕事探しに精を出す者、フラット(アパート)を探す者、ここを家と定めて学校に通う者、仕事に通う者、さまざまだ。皆、目的がはっきりしている。ダラダラ過ごしている暇などないのだ。ただ一人、旅行者である僕を除いては。ちょっと申し訳がなかった。

この宿はとても気に入った。僕の旅は幸先がいいと本気で思った。


第一週目(2)

先は長い RAKAIA 人口800

1泊26ドルの小屋 キッチンつき

クライストチャーチ滞在の3日間で必要な資料は揃い、食料などの補給も整った。また交通にも慣れ、走り出してからも特に何の不自由も感じることはなかった。ただ、宿があまりに居心地がよかったので去ることにやや寂しさを覚えたが、このまま埋もれるわけにはいかない。ルームメイトたちに別れを告げて出発した。僕を見送ってくれたのはいちばん仲が良くなった27、8歳くらいの物静かな女性だった。彼女とはなぜかウマが合い、よく話をした。僕も彼女も互いのファーストネームしか知らない。おそらくもう会うことはないだろうと思う。

クライストチャーチの市街を走ること15分くらいで郊外に出た。国道1号線はこの国をまっすぐ縦断している大動脈だが、何のことはない2車線の普通の道だった。舗装は粗く、北海道名物の2、3軒の農家のためだけに造られた農業道路のほうがはるかに立派だと思われた。制限速度は100km/hで、つまり高速道路みたいなものだ。片隅を僕のMTBがチャリチャリと走っていく。大型トレーラーに追い越されるときの物凄さときたらちょっとスリルがある。

これからしばらくは「カンタベリー平野」と呼ばれる大平原をまっすぐ走ることになる。ただただ、まっすぐ道が続いている。周りはどこまでも農場で、途切れることがない。20kmごとにちょっとした町というか、集落があり、カフェやガソリンスタンドがある。パブリックトイレも必ずあるので不便はなかった。

ただ、この日は南西の風が強かった。南西に向かう僕にはまともに向かい風になるわけで散々に苦しめられる。昼近くなると風はさらに強まった。おまけに昼すぎからは雨が降り始めた。ついてない。

雨の走行にはロクなことがないので早々に切り上げることにする。RAKAIAという町に入ったところでキャンプ場があったので一も二もなく飛び込んだ。泊めてくださいと頼む。雨のなかテントを張る気になれずグズグズしていると26ドルで小屋に泊まれるという。一見古い粗末な小屋だったが、ちゃんとキッチンがあり清潔なシーツのかかったベッドがあった。ヒーターもあり、食器も揃っていた。一発で気に入って今夜はここに泊まることにする。オフィスのおばさんは柔和な方で「この風のなかをよく頑張ったわね」と褒めてくれた。なんだか子供のような気分になり嬉しかった。

小屋に入るとまもなく雨があがって日が射し始めた。なんだかわけのわからない天気だ。それでも、あの強い向かい風から開放されたことに安堵した。向かい風は登り坂以上にほんとうに辛い。周辺には遮るものが何もないので容赦なくぶつかってくる。速度がどんどん落ちていく。歩くのと変わらない速度になることもある。

ずっと向かい風と闘ってきたので疲労が激しい。顔にはびっしりと塩が浮いていた。シャワーを浴びるとどっと眠気が襲った。目が覚めると夕方7時を過ぎていたが、南半球のことなのでまだ昼間のような明るさだった。

嫌々、ふたたびマウンテンバイクにまたがってラカイアの町のスーパーに買い物に出かける。でかい肉と果物と牛乳を買う。顔くらいの大きさのステーキを焼き、クライストチャーチで買った米で粥を炊いた。疲れた体には粥がしみじみ旨い。

国道1号線 道路脇は草むらなので休憩には事欠かない


第一週目(3)

雨はどうしようもなく ASHBURTON 人口15000

天気予報は雨を告げていたが朝起きると薄日が射していた。となりのキャビンに宿泊している三菱ランサーのおじさんは雨が降る雨だ雨だと残念がっていたが、この調子だと午前中だけでもなんとか持ちこたえるのではないかと思い、連泊を思いとどまって出発する。なかなか決断がつかなかったので出発は遅くなってしまった。

前日の風は何事もなかったかのように静まり、薄日が射しているのできょうは快適な1日になるような気がした。天気予報が気になるがとりあえず15時まで走ってみよう。雨が降り始めたら前日のように最初に見つけたキャンプ場に飛び込めばいいと決めて走り出す。しばらくは快適だったが、進行方向の空は真っ暗で不安を覚える。真っ暗エリアはどんどん近づく。それでも向こうからやってくるオートバイが雨合羽を着ていないので何とかなるだろうと思っていたら、たちまち雨が降り出した。走り始めてまだ2時間くらいしかたっていない。

いつも思うことだが外人は寒くても半ズボンで平気だし、雨が降っても滅多なことで雨合羽を着ようとしない。なぜだ?だから、いまのように外人が雨合羽を着ていないからと雨は降っていないと判断することはやめることにした。彼らはクレイジーなのでアテにならない。

僕は几帳面な典型的日本人なのでさっさと雨合羽を着込む。4つのサイドバッグは完全防水なので何もしなくてもいいようだ。

雨はますます本降りになる。トボトボ走っていたら後ろから声がする。「はりきっていこー」。ピチピチ短パンにピチピチウェアを着たハードゲイのようなNZ人がロードレーサーと呼ばれる高速性自転車にのって追いついてきた。どこ行くんだよ、どこから来た?へえ日本人かい!クレイジーだな。あばよ、気をつけてな!彼はひとりで喋り続け、あっという間に行ってしまった。もちろん雨具はつけていない。

国道1号線はアッシュバートンという町に入っていく。NZのハードゲイ氏は雨のなかに消えてしまった。アッシュバートンは小さな町だが整然として美しく街路樹には桜が咲いている。ニュージーランドのキャンプ場(ホリデーパーク)は大抵市街地にあるものだが、ここでもキャンプ場はすぐに見つかった。雨のなかのキャンプなのでスタンダードキャビン(日本でいうバンガロー)を申し込むと40ドルだという。少し高いと思ったが右写真のような部屋でベッドは6台もある。キッチンには電子レンジから冷蔵庫まで全てが揃っている。明日も雨が続くというからここには2泊することになるから、これくらい整っていると有難い。40ドルといえば高いようだが日本円で3500円くらい、日本ならユースホステル宿泊くらいの予算なのだ。それでシステムキッチンつき2LDKに泊まれるとはまったく恐れ入る。もちろん個室だ。

ここで2泊をすごしたが雨降りではやることがない。ランチにドライカレーをつくり、ディナーにはサーロインステーキを2枚とアスパラガス2束を平らげた。あとはもっぱらテレビばかり見ていた。


第一週目(4)

冷たいキャンプ場 TIMARU 人口28000

それにしても欧米人というのはなぜ丘の多いところに街を作りたがるんだろう?カンタベリー平野のド真ん中をただ真っ直ぐに走ってきたというのに、大きな街はなぜかわざわざ丘の上にある。ここティマルもそうだ。大小の坂が連続する丘の町だ。

まるで美瑛やないか。それにチャリにはけっこうキツい。

カンタベリー平野の景色は北海道に似ている。特に起伏のある地域では美瑛の丘の風景に極めて似ている。だから美瑛でよく見かけるアマチュア写真家がここを訪れたならば、きっと狂喜乱舞するに違いないと思う。右も左も延々と被写体になりうる風景が連なっているのだ。いっぽう美瑛で暮らす僕にとっては全然、外国に来たという実感が沸かない。というか、全くおんなじである。北海道弁を聞くか英語を聞くかの違いしかない。

あまり感動しない。それどころか坂道に腹が立つ。丘といえば坂道の連続なのだから。

さて、ティマルだが、きょうもキャンプ場に泊まる。Holiday top10という全国チェーンのキャンプ場に泊まるが、ここの共同キッチンはほんとうに何もない。真新しいコンロと流し台が整然と並んでいただけである。鍋も食器もなにもない。新しくて清潔きれいなことだけが取り得といえば取り得だが冷たい印象だし不便を感じる。持参のコッフェルで食事を作るが、同じものを作ってみてもやはり出来栄えが違う。全国どこのHoliday Top10も同じようなものだった。まあ、失敗がないという点だけが評価できる。キャンプ場には当たり外れが大きいから、それはそれで重要な要素なのだ。

ティマルの話に戻ろう。おまけに近くのショッピングセンターで買ってきたローストチキンは、よくぞまあこれだけ不味いチキンが出来るものだと、ある意味で感動するくらい不味かった。キウィフルーツを7個食べてようやく口の中は落ち着いた。

まあ、こんな日もある。

農家の納屋隣で朽ち果てる歴史的キャンピングカー

馬で牽くタイプのもの。写真が不鮮明で残念だが、

木製の車輪のうえに煙突まで付いた小屋が乗っている。


第一週目(5)

桜 OAMARU 人口13000

キャンプ場を8時半に出発したあとこの町のセントラルに立ち寄り、銀行で外貨両替を行ったりアイサイトに立ち寄って資料を立ち読みしたりしていたらティマルの町を出発するころには10時を回ってしまった。全重量40kgを超えるフル装備、荷物満載のMTBと、スポーツ解禁直後の怪我病みあがり30歳代後半の男は毎日だらだらと前進はしているものの行程が思わしくない。しかも連日が向かい風という手痛い誤算が加わる。この季節、この地方には南西の風が吹いているなどと「地球の歩き方」には書いているはずはなく、予期せぬ伏兵の出現に僕は憔悴していた。この「地球の歩き方」、所詮は観光ガイドブックなので僕の旅にはあまり役に立たない。紹介されている宿やショップには偏りがあり、いわゆる観光客向けのものだ。重たいから何度も捨てようかと思ったが、それでも唯一の日本語資料なので捨てるには至らない。訪れる町のイントロダクションはもっぱらNigel Rushton著ペダラーズパラダイスを愛用する。もちろん英語の小冊子だが情報が細かくデータが正確。文章もわかりやすく翻訳しなくても理解できる。また実際に自転車で走行して得たデータだから、走った人にしかわかりえない情報が満載されていて重宝した。町の人口、標高、どんな店が何件、ホテルが何件、バックパッカーが何件、キャンプ場が何件、といった具合だ。さらにキャンプ場の場合、No showerなど、注釈も加えられている。無用な広告もイメージ写真の類も一切ない。これ以上の資料はないだろう。

ペダラーズパラダイスには、ちゃんとこの季節の南西風の解説がされていた。しかも、最南端に近づくと連日猛烈な西風に晒されるから注意しろという。身の毛がよだつ有難い情報だが、いったん始まってしまった旅はもはや変更するわけにはいかなくなっている。変更は妥協を呼び、最終的にこの旅はただの観光旅行になってしまう可能性が高い。僕はいったん崩れ始めたら立ち直るのが難しい自分に甘い人間であることは自分自身が一番よく知っている。

天気は良いものの、きょうも相変わらず風が強い。強い風に吹かれて満開の桜の花びらが舞っている。まさかここで桜が見られるとは思ってもいなかった。ソメイヨシノはもうほとんど散ってしまったが、八重桜やボタン桜などが日本的な美を添えている。桜は日本を象徴している。何かしら日本との関わりがあるところに見られることが多かった。

思わぬところで祖国を感じるのは嬉しい。桜は胸にしみる。

オアマルもまた坂の多い町で平坦なところがほとんどない。登ったら下ってまた登る。その繰り返しでイライラする。小刻みなアップダウンに終わりはないのだ。夕食はお粥と牛ヒレ肉のステーキ、茹でたアスパラガスとキウィ。それからオレンジジュースだ。キャンプ場の共同キッチンで手際よく調理する。ついでに朝食とランチ用のサンドイッチも作っておく。チャック付のフリーザーバッグはサンドイッチ保存用にとても役に立つ。食パンは一斤がなんと99セントとバカ安だ

400m先、左にキャンプ場がありますよ〜 オアマル郊外の国道1号線

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