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Stuart Highway 3080km INDEX 目次
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第六週 向かい風のラスト・ラン 砂漠をぬけて、道は南太平洋へ
砂嵐が追いかけてきた。巻き込まれる10分前の写真 第六週目(1) 砂漠も南東風もうんざり Glendambo
11月28日。 夏(9月〜3月)はスチュアートハイウェイ縦断の自転車旅には不向きだ。気温は連日のように40℃を超え、僕のように酷い目に遭うことは避けられないだろう。また信じられないことに50℃に達することもあるという。またノーザンテリトリーでは12月〜2月が雨季にあたり、道路が寸断されることもある。 スチュアートハイウェイが自転車旅行者で最も賑わうのは7〜8月、北半球の夏休み頃にあたる。気温は25〜35℃というから、今とは10度も違うことになる。日本の夏休み頃と似て適度に暑くて快適だろう。この時期になると世界中からサイクリストが集まって各RHやメジャーなパーキングエリアには旅人たちのテント村があらわれ、なかなか楽しいということだ。 さて、レストエリアBonBonでは少し寝坊して朝7時半に出発した。相変わらず向かい風となる南東風が吹いていた。この季節、アウトバックの南半分においては通常、「東」あるいは「南東」の風が吹く、ということで間違いないようだ。 オーストラリア大陸の南海岸沿いは地中海性気候で穏やか。小麦やブドウ畑が広がる農村地帯だというのだが、さて、いつになったら気候はかわるのだろうか。かなり南下しているはずだけど、まだまだ砂漠が続いている。気温も連日のように45℃を突破する。僕の持っている温度計は50℃までなので、すでに限界が近い。いつも振り切りそうになっている。 過労で体力が落ちていることを感じるものの、雨水タンクの水を生のまま飲んでいるにも関わらず下痢はない。タンクには「飲んではいけない」とあるが、健康に配慮する余裕なし。もう、どうにでもしてくれ!といったカンジだ。だいいち10リットルをこえる水をいちいち煮沸していたら、燃料がいくらあっても足りない。 今朝もガブガブ飲んできた。日よけ屋根を伝ってタンクに貯めた水だから、きっとカラスの糞なんかも混じっているんだろうな。 栄養満点。 57km地点のパーキングでまたまた動けなくなった。疲労が溜まり過ぎている。まあ、焦らず、休憩しよう。ヘルメットをしたまま横になって眠った。 昨日までと同じ失敗はしない。十分に休み、かつ食べよう。 インスタント味噌汁をチューブごと食べて、スポーツ飲料の粉末を溶かした水に砂糖を混ぜて飲み、ようやく回復。時速11〜12kmくらいでゆっくり漕ぎ続け、午後4時ごろ、85kmを走行してGlendamboに到着した。グレンダンボ、人口20人。久しぶりの立派なロードハウスだ。テイクアウトも公衆電話もある。 疲労が蓄積してボロボロだったので少し奮発してバストイレ付の部屋を2泊チャージした。これで他人を気にすることなく疲労回復に努められる。
ステーキハンバーガー、素敵だ! エアコンがうれしい。ガソリンスタンドの売店で見つけた野菜ジュースがとても美味しい!1リットルを一気に飲み、ハンバーガーをむさぼり食った。 それにしても、ここの水は塩辛い。水道からもシャワーからも塩水がでる。 飲み水だけは雨水タンクから汲んできて部屋に備え付けの電気湯沸し器で沸かして利用した。やっぱり飲み水だけは真水がいい。 第六週目(2) 砂嵐 Pimba ここまで2500kmを走ってきた。まだ砂漠が続いていてうんざりする。いつも同じ姿勢でMTBを漕ぎ続けているわけだけど、ハンドルを掴む手が痛い。昔、まだ旅の自転車がドロップハンドルだった頃は、ハンドルを握る姿勢を自在に変えられたからこんなことは起こらなかった。 アリススプリングスで手袋を買いなおしたが、思ったほどは改善されなかった。ハンドルの形状や傾斜を、工具をつかって変更するが、一時しのぎにすぎない。出発6週目に入って、特に左手のマヒが深刻になってきた。 掌でグーチョキパーをしてみても、小指はわずかにピクピクと震えるだけ。 いろんな方向に動かしてみるのだが、マヒ特有の動きをする。ショックだった。命はどうにか繋いできたし、完走への道筋も見えてきたというのに、 思わぬところに深刻なダメージを被った。このまま後遺症が残ってしまうのだろうか。さらに中指や右手の薬指もシビレがひどくなっている。 感覚を失った左手の小指をみて不安になる。このまま治らないのだろうか? MTBはカッコいいし丈夫だし分解もしやすいが、こんなところに弱点がある。やはりハンドルだけは昔ながらのドロップハンドルのほうがいいように思う。かさばるのは難点だけど。 グレンダンボ2日目、最高気温が47度に達する。恐るべき灼熱の地。連泊でよかった。もし出発していたら、この熱で焼かれて倒れていたことは想像に難くない。いくらなんでも45℃を超えると「無理」。外に出るときはターバン巻いて長袖着用して日陰でじっとしていることだ。自転車を漕ぐなど考えられない。 この日は夜10時になっても気温が40℃もあって夜間も昼間のような猛暑が続いた。大地全体が熱を発している。エアコンが効かず、室温も30℃どまり。 朝6時に出発。昨日の熱気がいまだに漂っていて、日の出の時間だというのに31度もあった。 天気予報によれば、きょうの目的地Pimbaの予想最高気温が39度。昨日は45度だったことを考えればきょうは快適に走れると思われた。39度ならば悪くない。快適だ。 我ながら気温の感覚がおかしい。39度といえば猛暑のはずなんだけど、ここでは「涼しい」に値する。温度感覚が10度ずれている。 午前8時、気温33度。そして北風が吹いてきた。ラッキー!待ちに待った追い風だ。突然MTBが快適に転がり始める。 午前9時、風は西よりに変化、北西の風となる。南東に向かう僕にとって完璧な追い風になった。軽く漕ぐだけで時速30kmを超える。信じられない! 午前10時、風が相当に強くなってきた。もちろん追い風だ。こういう風を昨日まで自分は正面に受けてきた。きょうは借りを返せるだろう。 ふと、風に違和感を感じて振り返った。 「!!!」言葉を失った。 空が真っ赤に染まって、僕を追いかけてきていた。 赤い砂嵐だ。 どうしよう?そりゃ、逃げるしかないじゃないか。でも、どこに? とりあえず逃げよう。思い切りペダルを踏んだ。 ***** とは言っても、とても逃げ切れるものではなく、僕はたちまち砂嵐に飲み込まれた。予測された風速から計算してみたら、砂嵐は時速60km前後で向かってきたわけだから、とても逃げ切れるものではない。そうとわかってはいても後ろから迫ってくる真っ赤な壁をみたら誰だって逃げ出したくなるはずだ。 さて、砂嵐の真っ只中にいる。ところが中は思いのほか静かなもので、砂の粒子が極めて微細なため呼吸にも影響なく目も痛くならず、特に何ということもない。風も収まってきたし、ただ不気味な赤い世界であることを除けば、埃っぽいなぁ、くらいのものだった。それでもやっぱり気持ち悪いので頭からネットをすっぽり被った。ハエよけネットだけど、これをしていると幾分埃っぽさがマシになるようだった。 視界は非常に悪く、赤い霧のなかをさまよっているようだ。荷物も体中も赤い砂で真っ赤な埃まみれになってしまった。宿で嫌われるかもしれない。 砂嵐は前線の通過時の突風で巻き起こったのだろう。それにしても気になるのは嵐が北西の後方、グレートビクトリア砂漠中央部からやってきたことだ。 グレートビクトリア砂漠中央部は核&宇宙開発のための「軍事上の立入禁止区域」になっている。イギリス軍の核実験がここで行われてきた。最近20年は地上核実験は行われていないというが、この砂嵐に死の灰が混じっていないとは誰が保証できるというのだろうか。 複雑な気分だった。 WOOMERA PROHIBITED AREA この先には核実験場があるという 第六週目(3) スチュアートハイウェイの終点 Port Augasta 砂嵐のなかをチャリチャリ漕いでピンバに至る。立派なロードハウスがあった。この日の走行距離は113km。追い風にのって5時間、久しぶりに楽な1日だった。シャワーを浴びると排水が真っ赤になった。 翌朝は日の出前に出発。昨日とは打ってかわって再び南東の向かい風に戻っていた。厳しいスタートだ。 気温は20度。昨日を境に気候が変化した。空気の質感も違う。道路に沿ってパイプラインが伸びていて電柱も見られる。人の生活圏に近づいたことがわかる。 風が強くて時速10kmしか出ない。坂では自転車を押して歩いた。なるほど、プッシュバイカーだ。暑くはないけど向かい風はそれなりにきつく、我慢しながら漕ぎ続けた。もう耐えることには慣れっこだ。耐えてやる。 周辺には湖が多い。しかし、どこもかしこも真っ白な塩湖だった。昨日の砂嵐のせいで赤く汚れている。湖畔におりて手にとってみたら、やはり正真正銘の塩だった。なるほど、これでは地下水が塩辛くなるわけだ。 かなり大きな湖もあるが水はなく、すべてが塩に覆われていた。それはそれで厳しい土地だと思う。これでは農作物は育たないだろう。人家はない。
風のなか111kmを走ってRanges View(山脈の眺望)というわかりやすい名の峠に至る。眺めがいい。ここで泊まることにした。最初はマットレスだけで寝ていたが寒くなり、久しぶりにテントを張った。強風のなかでテントを張るのは大変だったが、張り終えたテントの中は平穏でありがたかった。ぐっすり眠った。 ついに砂漠が終わったようだと感じた。 ***** 翌朝は寒さで目覚めた。いつまでもテントのなかでグズグズしていた。蟻が多く、朝になると活動が活発になってきたから追い立てられるように出発する。 峠のダウンヒルから1日が始まった。峠を下りきると風が収まり、本当に砂漠は終わっていた。草木が増え、動物が増えた。カンガルーの死体も増えた。 まもなくポートオーガスタの町が見えてきた。緑の多い、シックな町だ。1ヶ月ぶりにケンタッキーとマクドナルドを見た。 やがて海がみえた。 コバルトブルーの海。木造の桟橋がありボートが浮かんでいる。幻をみているようだ。 スチュアートハイウェイの基点(終点)の碑があった。幻ではなく、本当に終わったのだ。 命を拾ったと思ったが、なかなか実感が沸かない。今までが激烈すぎて、まだ素直に喜べない。力が抜ける感じだ。 第六週目(4) ラスト・ラン そしてアデレードへ アデレードまでは、あと304km。東京〜関ヶ原くらいのものだから、大したことはない。しかしながらアウトバックとは比べ物にならないくらい車が多くて怖い。 広い国だというのに道路が狭い。車に邪魔にされながらアデレード目指して走る。 すぐ左には大陸横断鉄道の線路が併走している。東海岸のシドニーから西海岸のパースを結ぶグレートサザンレイルウェイだ。
後ろからポンポーンと警笛を鳴らされた。 振り返ると列車の運転士が笑って手を振った。列車に挨拶されるなんて始めてだ。
さて。 僕はというと、 ポート・オーガスタ、 ポート・ピーリー、 ポート・ウェイクフィールド これらの港町を経由してアデレードを目している。 毎日だいたい100km毎の走行なのでちょうどいい。
ポート・オーガスタでは途中のレストエリアIngomarで会った日本人ソウタが薦めていたフリンダースホテルに泊まる。 ほとんど博物館級の古いホテルだったが、その古さが新鮮で面白かった。歴史的景観のクラシックな町だ。 ひたすら南東めざして走っていると、先で1台の小型車が停まった。気にせず通り過ぎようとすると、中から40歳くらいの女性が出てきてボクを通せんぼをした。 家族の経営する果樹園からの帰りだという その女性は、自分も若い頃に自転車でアデレードからパースまで行ったことがあるという。 大きく手を広げて見ず知らずの東洋人のボクの肩を抱き友情のハグをした。 僕は当初、何がなんだかわからず??の状態だ。 ただ歓迎されていることはわかった。 そして、たくさんの桃をくれた。スモモくらいの小さな桃だけど甘い果実がしっかり詰まっている。 その場でむさぼり食う僕に、女性は「まあ!そのまま食べるの!」と大袈裟に驚きながら、さらにたくさん の桃の実を持たせてくれる。なんだかお母さんのような人だった。 ほんの5分程度だったと思うけれど、去っていく車の後姿が見えなくなるまで手を振った。 今思えば、あれは観音様だったのだろうか。そんな出会いだった。 名前も聞いていない。 ポート・ピーリーは煙突だらけの工場の街で特筆すべきことはない。 市街地には入らず、町の手前にあった国道沿いのガソリンスタンドが1泊35ドルで貸しているバンガローのような小屋に泊まった。 ポート・ウェイクフィールドではなかなか安宿がみつからず、かといってキャンプ場もなく、うろうろした挙句に国道沿いの高そうなモーテルにいってみた。 予想に反して中庭はよく手入れされたイングリッシュガーデンだった。 国道沿いだというのに中庭は静寂に包まれて、バラの花が咲いている。 庭の手入れをしていたアボリジニ系混血の女性が綺麗な英語で話しかけてきた。性格の温厚そうな方で親切だった。しかも宿泊はあまり高くなく、部屋は清潔で快適だった。 埃まみれで小汚い格好の僕なのに、とても親切にしてもらったので、出発するときは簡単な掃除をしてゴミは処理をして、出来るだけ部屋を整えてから出発した。 途中、ランドクルーザーの老夫婦に強制停車させられる。なんだろう?また桃かな?それとも迷子の道聞きだろうか? いや違う。地元だと言ってる。どうやら何かの提案のようだった。 しばらく話をしていると、いまから一緒にワイナリーめぐりをしようというお誘いだった。ランドクルーザーのルーフに自転車をのせていけばいいという。 一瞬心が揺らいだが、違和感を感じたので断ることにした。 自力でゴールしたかったし、以前同じような流れでホイホイついて行き、ホモのおじさんにレイプされそうになったことがあるので、今回も危険の予兆のようなものを感じたのだ。 丁重に断ったが、なかなか納得してくれない。だんだんとお婆さんの目が厳しくなってきた。やはり、なんとなく不自然だと思った。 仕方なく、はっきりとNoと断じた。ようやく諦めてくれたが、そっぽを向いて行ってしまった。いまだにあれが実際には何だったのかよくわからないままだ。
12月5日、午後。 最終日、追い風にも恵まれて、お昼すぎにはアデレードの街に入った。 見慣れた風景をみつけ地図を見ずにそのままオフィス街を走りぬけYHAに至る。 走行3080km。真夏の砂漠縦断を含むオーストラリア大陸縦断の旅がおわった。 何度も死神の手を振りほどいて、やっとここまで来た。 しかし、いまだに実感が沸かない。 でも、生還することが出来たことだけは確かなようだ。 僕は生きている。
第六週目(5) さようなら、アウトバック 塩の湖? 確かに塩だった 残雪みたい。 後ろから砂嵐がやってきた。逃げろ〜 あっという間に追いつかれてこの通り・・・ あまりにアバウトすぎる給水施設 だってパイプライン直付ですから。 名物ツイスター。小型の竜巻みたいで、とても迷惑なやつ。 家が!? 走ってきて! 去っていった・・・。名物「オーバーサイズ」 北海道美瑛町ガイドの山小屋公式WEBサイト ガイドの山小屋は「パタゴニア」のサポートをいただいております
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